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霞ケ浦水運(8)-高崎、下玉里地区

昨日のブログで「御留川(おとめがわ)」が制定され、この高浜入が徳川水戸藩領となり、この場所が川とみなされ漁業権も水戸藩の物となった時期があると書きました。
この場所を確認したくて、高浜の隣り高崎・下玉里地区へ行ってみました。

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ここは下高崎側から高浜方面を見たところ。角にうなぎ屋さんがあります。その先の道を左に行くと高浜、右に行くと玉里の町に行きます。
玉里もその名前はヤマトタケル伝説などと結びついた古い名前で、この道がヤマト朝廷が進んで来た道なのでしょう。
この先の行方市には多くの伝説が残されています。機会があればまた紹介したいと思います。

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下高崎地区にも昔の河岸問屋の面影を残す建物が残されています。
このようなものは記録にとどめておかないとそのうちに近代的なものに変わってしまうでしょう。

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目の前に霞ケ浦が広がっています。

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霞ケ浦との間に少し空いたところには蓮畑です。 霞ケ浦周辺はレンコンの一大産地です。

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向こうに見えるのが筑波山。手前が高浜の町です。

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銚子側を見るとこの地域が対岸までの距離が狭くなっているのがわかります。
この辺りが「御留川」とされた場所でしょう。対岸は先日紹介した「八木干拓」の地域です。
この下玉里地区と対岸の井関地区は一時徳川水戸藩の直轄領になっていたのです。

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西の宮神社(恵比寿神社):地元の小じんまりした神社です。

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ここに「御留川」の説明がありました。西の宮の別称となっていますので、東の宮は?
この東には「素鷲(そが)神社」がありますので、素鷲神社が東の宮でしょうか?


霞ケ浦水運 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/07/07 08:44
コメント
No title
ROMAN様
いやあ、戦後付け足したことが8~9割無ければ
世界遺産でもおかしくありません。
素晴らしい木造建築ですね。OLD行徳にもこれほどの
物件は限られています。
外輪船の絵も素敵でした。アメリカでは今でも観光船で残っていますね。
本当に我がふるさとの極端な傾向は不思議です。
鉄道できた→水運消える→モータリゼーション
鉄道客急減→商店街衰退、西友撤退。
道標も陣屋門も同じように引き連られているよう
にも思えます。信念ってないのでしょうか、と
いってっ見たくもなりますが、、、、、
Re: No title
行徳様
今晩は。こうして調べて行くと何にもないと思っていたところが
世界遺産並み?
日本中良いところがたくさんありますね。
地元にずっといる人には見えないのでしょう。
ふる里に目を向ければそこには残さなければならないものがたくさん。
こうして知らせて行くのも一つの役目とこのブログも役に立てばいいですね。
あと1カ月でブログも1年になりますが、少しずつ変わってくれば嬉しいです。
途中震災でどうしようと思いましたが、逆に読者が大幅に増えました。
何かが起こるかも・・・(笑)
これからもよろしくお願いします。

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