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霞ケ浦水運(9)-高瀬船で運ばれた仁王像

昨夜は夜中にかなり大きめの地震がありドキッとしましたが、M5.6だそうです。
余震慣れしているとはいえいやな思いが頭の中をよぎります。
過去の例からするとまだまだ安心はできないですね。今度はもっと南の方といういやな予感。
今朝は雨が降っています。これが明ければ梅雨明けかも?
夏風邪を引いたようでのどが痛い。「少しおとなしくしろ」と言われているのかもしれない。

さて、霞ケ浦は昔海だった。流れ海、香取の海、信太の海などといろいろに呼ばれたという。
淡水湖になったのは比較的歴史が浅いと思う。まだまだ知らない事が多すぎます。
知りたいという気持ちが大切で、知っているからどうということもないでしょう。
のんびりやっていきましょう。

 さて、昨日高浜の隣り町であり高崎地区(小美玉市下玉里)の街並みや霞ケ浦の風景などを紹介しました。
ここは水戸藩が「御留川」として自分たちの魚場とした領域です。

今日はこの高崎地区に元禄5年(1692年)に運ばれてきた石造の仁王像が残されていると聞いて行ってきました。

場所は旧鹿島電鉄の「しかむら(四箇村)駅」から北へ800mくらい行ったところにありました。
石岡脳外科病院の脇の道を真っ直ぐ行ったところの「極楽寺」への分かれ道の角にあった。
以前に、この近くの「耳守神社」へ行ったことがあったが、このすぐ近くです。全く知らなかった。

小美玉市になっているので、石岡の歴史ではほとんど紹介されない。この「耳守神社」など非常に関係が深いのに何の紹介もないのはどうしてだろう。行政の縦割りはどうしようもない。
歴史では今の行政区分ではわからなくなってしまうことも多い。是非考えてもらいたいものです。

niouzou01.jpg

ちょうど分かれ道の角に置かれている。とても立派な仁王像(金剛像、力士像)である。

niouzou02.jpg

2つの像が両側に置かれている階段の先には小さな祠がある。この場所には「安楽寺」という寺があったそうです。地蔵堂・釈迦堂・阿弥陀堂などが立ち並ぶかなり大きな寺だったそうです。そして、この仁王像がある場所には「仁王門」があったのです。
しかし、江戸時代の後期に焼失してしまい、この仁王像だけが残されたのです。(石岡100物語より)

niouzou03.jpg

この像はそれぞれ高さ1.7m、重量は3トンだといいます。合計6トンです。
そしてこの像が江戸から運び込まれたいきさつが「100物語に」書かれていました。

niouzou04.jpg

この説明板では詳細がわかりません。実際には元禄年に高浜村の河岸問屋「笹目八郎兵衛」により江戸から船で運ばれ、ここの阿弥陀堂に寄進されたものだそうです。
説明では高浜の湊ではなく高崎に運ばれてきたようです。
江戸から江戸川・利根川・霞ケ浦と高瀬船で運ばれてきたのです。300年以上前のことですね。

niouzou05.jpg

今はこの辺りには寺の面影はありません。この一角がこんもりした小さな森となっています。
また竹林が・・・。のんびり時を見つめてきたのでしょう。

niouzou06.jpg

裏側はこのような田圃がひろがり、白鷺が舞い、きれいな水が流れていました。


 
この川は玉里運動公園脇の「野村田池」などから流れてきて園部川に注いています。
 

霞ケ浦水運 | コメント(10) | トラックバック(0) | 2011/07/08 07:23
コメント
No title
ROMAN様
この仁王様、300歳以上ということですよね。
なんでもかんでも観光資源と考えるのもなんですが、ほったらかし過ぎるのも。
こちらも全く知りませんでした。
水木作品に出てきそうな味わいのあるお像だと
思います。
仏像ファンという人や、石像マニアも一定数
いるのですからもっと知らしめたいですね。

No title
追伸:
二体ともそうですが、特に吽形のほうが朝青龍に
そっくり。しかも青面金剛のお名前に二度ビックリ。
元横綱にお越しいただきたいですね。
Re: No title
行徳様
朝青龍ににているといわれると確かに似ています。
力士像ですから相撲取りの典型的な顔立ちなのかも。
本当に知られていないですね。
あまり知らせようとも思わないようです。
困ったものです。
元横綱もモンゴルで選挙に出るなどと言われていますが
遊びに来ないかな?
Re: No title
行徳様
ほんのお遊びのつもりでで作ってみました。
やはり似ている??
http://www.rekishinosato.com/asashouryu.jpg
No title
うはは、
これは凄いですね~!

金剛力士像というと若い頃の山崎努さんのような
容貌が思い浮かびますが、こちらはぽっちゃり、
柔らか系ですね、
あ、もう結構です、おなか一杯ですから、と上げた右手が言っているような。

なにコレ珍百景に応募してもよいかもしれません。
No title
あれ?
説明板に、金剛像、力士像とありますね。
金剛力士の阿形、吽形と思っていましたが、
こういう区分あったのでしょうか。
寝られなくなりそうです、、、
Re: No title
行徳様
おもしろい違いに気がつきましたね。
でもこれでもあっているみたいです。
金剛力士の説明に
---------------------
阿吽形像の名称としては
 阿形・・金剛、金剛力士、金剛力士、密迹金剛、
 吽形・・力士、密迹力士、金剛力士、那羅延金剛、
と称されておりますがいずれにも「天」が付きません。現在では金剛力士像、仁王像、二
王像などと呼びその両像を阿形像、吽形像という呼び方で区別されているようです
-------------------------
というのがありました。
No title
なるほど~!
またひとつ知りました。
多謝です。
石の仁王さん
この仁王さんの話しは100話にでているんですか? このお顔は国東ではみたことがありますが、関東には本当に石の仁王さんは少なく、この大きさとなると、知っている限り、早稲田、駒込、秩父、ちょっと離れて小諸になります。彫刻した方の名前とかは知られているのでしょうか?
これは町の大切な文化財であります。
Re: 石の仁王さん
Utamさま

石岡100物語も茨石商事という地元の会社の会長さん?が長年「ワクワクふるさと紀行」という地元の発行誌に書いていたものをまとめたものです。
この中にこの仁王様が出てきます。
記事を転載します。

小美玉市栗又四箇の沼田家には、これについての興味深い棟札が残っていました。
「元禄五壬申歳九月吉祥 二王江戸運送施主 高浜村篠目八郎兵衛より上る」
これによれば、仁王像は元禄5年(1692)に高浜の大手河岸問屋・篠目八郎兵衛によって搬送寄進されたことになります。

今はこれ以上の情報はありません。
ここも行政が違いますし、教育委員会なるものも動かないと思います。
大切な財産がほおって置かれるようでさびしい気がします。
心強くなりました。ありがとうございました。

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