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府中六井(6)-野々井と大蛇

 府中六井の最後は「野々井」です。場所は先日紹介した国分寺町から笠間へ向かう通称「笠間街道」(旧355号線)が山王川を渡ってすぐ左側です。

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ここを流れる山王川はご覧のように細い排水路のようになってしまいました。
昔は川遊びなどができたといいますのでイメージがわきません。
しかし、都会でも下水の整備が進み昔の川を整備し、遊歩道を設けたりしているところも増えています。
石岡も市街地を通るこの川の見直しが急務ではないかと思います。
液状化対策などと合わせて検討する必要がありそうです。

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野々井はこの山王川を渡ったすぐ先の左側Kさん宅の床下から湧き出していたといいます。
家が建ったのは昭和50年だといいます。北の谷のホチ水という水がこの野々井のことともいわれています。
元々は住宅などなく野原が広がっていたのでしょう。



さて、野々井というのは「野の井戸」という意味だとすると、この場所以外にもあるといいます。笹目内蔵助さんの「府中六井」にはもう一か所「野々井」をあげています。
場所は「ばらき台団地」(石岡市茨城町)の山王川に近い田の脇といいますが、場所は書物には書かれていましたが探してはいません。

さて、今回この北ノ谷の野々井で残されている大蛇の話を紹介します。
「昔、この野々井の付近に大蛇が棲んでいました。男がその大蛇を捕まえて殺し、この水で洗ったところ、その大蛇の血で田圃は真っ赤に染まり、その血が霞ケ浦に三日三晩流れ続けたといいます」

この話は、あちこちの資料に紹介されています。何故この話だけが残っていくのでしょうか。
大蛇は殺してはいけないものだったのかもしれません。

ここまで、府中六井といわれる井戸の跡などを見てきましたが、書物によっても井戸の場所が違っていたり、近くの同じような湧水が同じ名前で呼ばれていたりします。
いずれにしても貴重な湧水が今はほとんどその痕跡を残さない程自然がなくなっているのかもしれません。
石岡が名酒処なので、名水処であると胸を張って堂々といえないようでは町の歴史が泣いていますね。
地形を見ればこの石岡台地に水を運んでいるのは、霊峰筑波山、足尾山、加波山、そして龍神山です。
どうすれば水の都「石岡」が復活できるのでしょうか?
皆さんとともに考えて行きたいと思います。
  

府中六井 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/07/13 18:50
コメント
山王川あたり
昭和40年頃は山王川周辺は、一面田んぼ。川はまだ護岸工事もされていなかったけど、水はあまりきれいではなかったと思います。写真で見る限り、今の方が綺麗かもしれません。お盆のお供えものを母と流しに行った記憶があります。
野々井の場所も伝説も、子供のころはまったく知りませんでした。もしかしたら、その頃は、水は流れていたのかもしれませんね?

野々井の場所から20メートルほど先には、昔馬頭尊が立っていました。祖父には「馬のお墓」と教わっていたので、その場所が子供心に怖かったんですね。その馬頭尊も昭和45年頃にはなくなってしまいました。
 話は脱線しますが、山王川のすぐ近くに豆腐屋さんがあり、安くて美味しいです。
 
 

Re: 山王川あたり
べあべあさん?
コメントありがとうございます。
山王川は昔は川遊びもあったと聞いていますが洗濯水も流したと思いますので汚れたでしょうね。
しかし、生活排水の下水が完成し、全て流すのを禁止すればきれいな川に復活できます。
東京の方でもきれいに復活し始めている川は幾つもあります。
先日山王川が霞ケ浦に注いでいるところを見ました。
驚くほどきれいでしたが、通りの近くは金網で囲って下水が流れているのかと思う雰囲気です。
とてももったいないです。
江戸時代に利根川の流れを変え、運河を張りめぐらしたのを考えれば大したてをかけなくても
きれいになると思います。
昭和30年台はまだこの辺りは田圃と野原が広がっていたと思います。
No title
ROMAN様
これはまた懐かしい。安産不動産下の山王川も
まさにこんな感じでした。
年々汚くなっていったように思いますが、それでも小学校時分はザリガニがいましたね。
街中に清涼な水の流れと湧き水があったらどれほど素敵でしょう。当時はそれこそコンクリートが素敵に思えたのでしょうね。
この季節ですと辺り一面蛙の合唱でした。うるさいくらいに。
Re: No title
行徳さま?
前にお聞きしましたね。ザリガニとり。
川がきれいなら街もきれいに見えますね。
全国で一時よりきれいになってきたし、八郷などホタルも多いといいます。
これも場所を言うと人が押し掛けダメになるとか・・・。
川でなくても人工的な水路であっても魚の泳ぐ風情はいいですね。

> 街中に清涼な水の流れと湧き水があったらどれほど素敵でしょう。
・・・今はこの方が魅力的ですね。
No title
おはようございます。水の都復活のためにすることは多くの人に知ってもらうことです。石岡の歴史を書いた本をぜひ出版してください。Romanさんならできると思います。
ところで昨日総社宮、国分寺、国分尼寺に行きました。国分尼寺の場所がわからず帰ってきました。確か石岡二高の近くだったと思ったのですが間違ってますか?
Re: No title
troyさん
おはようございます。
>石岡の歴史を書いた本をぜひ出版してください。Romanさんならできると思います。
・・・まずは後1カ月のブログ開設1年が目標で、その後はまた考えます。
案内書程度なら?? まあ読む人もあまりいないし・・・(笑)

> 国分尼寺の場所がわからず帰ってきました。確か石岡二高の近くだったと思ったのですが?
・・・あら惜しかったですね。府中小学校の裏です。
もし国分寺から二高の方に行ったのなら二高手前のT字路を左。
突き当りの若松の信号で右(2つあるので手前のあまり車が通らない側)
をまがり小学校わきを過ぎてすぐです。
地区の小さな公民館があるので車を止められます。
この道を真っ直ぐ行くと高速道路とぶつかりますが、ここに鹿の子遺跡の看板があります。
遺跡の再現した小屋は先日風土記の丘で見られたと思います。
No title
ROMAN様
署名がいつのまにか消えてしまいましたね。

御幸通り神永歯科横を入ったあたり(今は通り抜けできなくなったようですが)、にも確か小さな流れ(小川とも呼べないような)があったように思います。
簡易裁判所の近くに氷屋さんがあり、夏になるとそち
らから下水路に冷たく透明な水がざあざあ流れていました。こちらでも水遊びできましたっけ。
恋瀬川まで行かずとも街中に結構水遊びポイントあり、笹舟浮かべていました。
コンクリ、アスファルトで土覆われ、かつての
川も全て暗渠。蛙も蝉も減りました。
Re: No title
行徳様
この水路の話地図には無いですね。
いま石岡冷蔵がある辺りでしょうか。
下水などが整備され水路などはなくなっていくのかもしれません。
でもきれいにして水の流れがあれば涼しげでいいのに。
昭和10年の地図を見ていると、この簡易裁判所のところは「石岡繭糸市場」があったようです。
こうやって街を見て見ると流れも見えてきますね。
八郷地区などにはまだまだカエルも蝉もたくさんいます。

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