fc2ブログ

府中六井(付録2)-村上のおみたらし

府中六井に番外編があるとすれば、総社の「おみたらし」に村上神社の「おみたらし」と「子は清水」ではないかと思う。

総社のおみたらしを紹介したので、村上佐志能神社のおみたらしも紹介しなければなるまい。
村上という名前は恐らく府中の村の上にあった村から呼ばれたのかもしれない。
「村上千軒」といわれるくらい人が集まっていたというのだが、その頃はどんなだったのかと想像をめぐらしている。

この村上地区は龍神山の麓に広がった硬い地盤の上にできた集落で、何mか下まで硬い岩盤を掘らないと井戸が掘れなかったそうである。そのためにここの村上佐志能神社のおみたらしの湧水や子は清水(親が飲めば諸白、子どもが飲めば清水)伝説の生まれる要因があったのかもしれない。

murakami01.jpg

今、村上神社の入口には「御神水」と書かれた石板が置かれています。
今は水は申し訳程度しか流れていないようです。

murakami02.jpg

龍神山には村上と染谷の2つの佐志能神社があるが、この村上の方が古いのではないだろうか。

murakami03.jpg

少し村上神社はわかりにくいので訪れる人はほとんど見かけないが、龍神山の上にある奥の院の祠にはここから裏山を登るしかない。神社の本殿は古びた拝殿の裏に隠れるようにあるが、龍の彫り物が見事だ。

 この湧水についての昔話が残されている。

「村上の水は昔から村上神社の境内の「おみたらし」からもらい水をして飲料水として使用していた。村の女衆は手桶を下げ、男衆は天秤棒に桶を二つ下げて山から水を運ぶことが日課となっていた。この「おみたらし」の水は大変豊富で、旱天でも水が枯れることはなかった。そのため村上ばかりではなく、遠くは東大橋や小川あたりの農家の人も弁当持参で水を汲みに来たという。村上神社につくと神主にご祈祷してもらい、竹筒に水を入れて帰るのであるが、帰るときは途中で休憩することはなかった。それは、途中で休むとその場所に雨が降るといわれていたからであった。特に旱天(ひでり)に雨乞いをする時は、自分の土地に雨が降らずに、途中で降られては困ると信じられていたのである。竹筒に入れた水は家に帰ると神棚にあげ、雨の降るまで一心にお祈りしたとのことである。今でも農家の人たちは、初米ができると、村上神社へお供えに行く人がいるとのことです。」

このように、日照りでも枯れることがなかった湧水が今はこの姿・・・。
また竜神は雨降りの神でもありました。雨乞いも行なわれていたのでしょう。

また、龍神山の岩盤が、筑波山系とは違い「水成岩(粘板岩)」でとても良質な石が採れたのである。
これが、この山の悲劇をもたらしてしまった。誠に残念だ。

さて、このように村上地区に井戸がなかった理由は地盤が固いことと、もう一つ理由があった。
粘土質の層が多いために井戸を掘ってもなかなか飲料に適しなかったことも理由だったそうである。

しかし、粘土質のため、その土で瓦を焼く瓦焼きが3軒もあったのである。


府中六井 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/07/16 06:54
コメント

管理者のみに表示