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府中六井(番外2)-玉清井

 先日から府中六井とその他の井戸などを紹介してきましたが、行方の山百合まつりにきたので、ついでに「常陸風土記」で玉造の街の名の由来ともなったとも言われる湧水「玉清井(たまきよい)」に寄ってみました。
この行方市にヤマトタケルの伝説が残る場所の一つです。

「常陸風土記」の解釈に2通りがあり、日本武尊(ヤマトタケル)が東征して常陸の国にやってき来た時、「ここの清くわく泉で手を洗い、玉で井を清めた」という解釈と「水をすくおうとして、水中に曲玉(まがたま)を落としてしまった」という解釈があるという。

ヤマトタケルが本当にいた人物かどうかは別にして、当時の書物にも書かれている場所でもあるのです。
玉造という地名は多くの解釈がなされている大変興味のある名前ですが、鹿島からこの辺一帯、また石岡の方まで鉄にまつわる地名も多いのも気になるところです。
私の住んでいる近くに「鹿の子」という地名がありますが、遺跡がでて名前は有名になっていますが、この鹿はどうやら金、鉄に関するという解釈する方も多いですね。
また、石岡の八郷小桜地区に玉造という場所があります。ここも関係がありそうです。

kiyotamai01.jpg

霞ケ浦にも近い田圃が広がる中に1か所だけ木が茂った場所があります。
特に何の変哲もないような池があり、その池に中に日本武尊(ヤマトタケル)の像が置かれています。

kiyotamai02.jpg

このように、まわりは皆、田圃です。今は青々とした稲がまぶしいくらいです。
そこに古い木の鳥居と新しい石の鳥居が立っています。

kiyotamai03.jpg

前に訪れた時は同じような時期だったのですが、まわりは草が多く、今回はきれいに下草などが刈られ整備されていました。訪れる人も少し増えているようです。
この狛犬ならぬキツネ像?
こんなのが草に隠れていたかな?余り気がつかなかったが、どこか表情が怖いですね。

kiyotamai04.jpg

鳥居の横には大きな合歓(ねむ)の木がありました。
ねむの花と言えば芭蕉の歌が思い浮かびますね
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
私も、この歌で美女「西施」なる女性の名を知りました。
貧しい女性がその美貌で呉に献上され、国王はあまりの美貌に現を抜かし、国力が衰えてついに国を滅ぼしてしまったという。
最後は川に投げ込まれて蛤になったとの話も伝わります。
府中城の鈴姫伝説などとも少し重なります。
もっとも象潟(きさかた)は秋田県ですから、ねむの木だけで思い浮かべるのも変ですね。それに天気もいい。

でも秋田は佐竹氏が秋田へ転封になった時「茨城から美女を皆連れて行った」などとも言われているのですから浅からぬ因縁があるのかも・・・??




府中六井 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/07/19 18:45
コメント
No title
こんばんは
伝承・文化人類学は大好きです (^^ゞ

お稲荷さんのお狐様…私も最近かなり
威嚇する表情のものばかり見かけます
(持っていたイメージと違う)
どちらが本当のお狐なんでしょうね…?
Re: No title
おやまあ 再訪問だいかんげいで~す。
東京の方にはこの田舎風景はいかがでしょか?
こんな記事ばかり書いていますが良かったら
また寄ってくださいね。

> 伝承・文化人類学は大好きです (^^ゞ
・・・よかった \(^。^)/>
>お稲荷さんのお狐様…私も最近かなり威嚇する表情のものばかり見かけます
・・・やはり優しそうな可愛いのがいいです。結構恐がりですから・・・
行方
ROMAN様
http://ameblo.jp/shokokai-namegata/entry-10344310110.html
こんなHP発見しました。

凄いやる気感じますね。
そもそもこの玉清井が奇跡のような場所です。
名前も素敵ですね。この回りの米は間違いなく
おいしいでしょうし、それで作ったおにぎり
食べたいですね。ここの空気ご水を感じながら。
Re: 行方
行徳様
エリザベスちゃんのHP見つけたのですね。
これは行方市の商工会で作っているもので、大分前から興味を持っています。
やはりFC2でブログを発信しています。
石岡のこんなのがいればと少しうらやましくなったりします(笑)
顔は見たことないのですが、自宅にお庭を写していたことがあり、
結構立派なお宅のようでした。
やる気が感じられますね。
今回の山百合まつりも「地元の方のおもてなし」が売り物です。
同じ山百合まつりをしている石岡の「フラワーパーク」は殿様だから・・・
などという声も聞きました。
行方商工会のブログ
 私もこのブログ読んだことあります。盛りだくさんだし、勢いありますよね。
 以前ROMAN様が手塚良仙の墓について、お話しされてましたが、そのことについても、
 行方商工会のブログに書かれていました。「行方なのに、なぜ~?」と思いましたが、行方の一部は
 府中藩だったそうです。それにしても、よく調べていらっしゃいますよね。
Re: 行方商工会のブログ
べあべあさん、行徳さん

行方は現在霞ケ浦大橋を渡ったところ付近で発展してきました。
これは農地法をかえて、この一角の土地売買をしやすくしたようです。
大型のショッピング店などが開店しています。
この道路は土浦側でも整備が進んでいるようです。
土浦の協同病院が土浦市のこの道路沿いの「おおつの」に移転です。
行方商工会やもと麻生町長であった現市長さんなどの農産物の売り込みなどに熱心です。

このブログの女性は知りませんが、元気があっていいですね。
渡辺直美さんのようなイメージを持ちますが・・・・

しかし、行方も全体ではまだまだです。今までの「玉造」の街などまったく元気がないように思います。
問題も山積みだと思います。
行方四頭などを石岡の人ももう少し知らなければならないように思います。

ブログでも繋がれるかもしれませんね。
No title
すみません。現行方市長は旧北浦町長です


ヤマトタケルは玉造にも大きな足跡を残していると伝えられていますが

『常陸国風土記』においては、彼女は橘皇后、夫の日本武尊は倭武天皇と表記されており、
天皇、皇后と称されています。

そして興味を引くのが旧玉造町羽生地区にある弟橘媛神社です


そしてこの弟橘媛神社は北茨城にもあり、
その神社で芹澤鴨は神官をしていたことがあります。
Re: No title
>現行方市長は旧北浦町長です
ごめんなさい。間違えました。

>『常陸国風土記』においては、彼女は橘皇后、夫の日本武尊は倭武天皇と表記されており、
> 天皇、皇后と称されています。
> そして興味を引くのが旧玉造町羽生地区にある弟橘媛神社です
弟橘媛神社は橘郷造神社のことですね。訪れたことがあります。
私のHPの方でも紹介させていただきました。
http://www.rekishinosato.com/tachibanagou.htm

> この弟橘媛神社は北茨城にもあり、その神社で芹澤鴨は神官をしていたことがあります。
本当ですか? 
私はうわべを少しかじっている程度ですので、いろいろ情報教えていただけると助かります。


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