潮宮神社(いたみやじんじゃ)
昔、大洗から大洋村汲上浜から常陸府中(石岡)へ塩を運んだ中継地として栄えた小美玉市の倉数地区。
ここに通りから少し離れ、今は地元の方以外にほとんど人が訪れないと思われる「潮宮(いたみや)神社」があります。
創建は鹿島神宮の潮宮が10世紀末に移されたと伝えられ、中臣氏の領有地となっていた時代もあったようで、行方市の橘郷(羽生地区)とともに、鎌倉時代には鹿島神宮の知行地になったとも記録されているようです。
この今は忘れられた「塩街道」の事実をどれくらいの人が知っているのだろうか。
私もこのことを白井啓治さんの「潮の道余話」を読んで知った。

通りから細い道を入った少し奥まったところにこの神社はあるが、行ってみるととても驚かされる。

長い年数に多くの人がこの参道を歩いたのだろう。参道が一段低く沈み込んでおり、両脇の木が根をむき出しにして何本も傾いている。

拝殿はきれいに再建されており、奥に本殿がある。
御神木は杉の木のようで、しめ縄がまかれている。

傾いた樹木もほとんど幹にコケが生えており、その年月に思いがはせる。
昔、親鸞が鉾田の「無量寿寺」などへ通った道でもあったのだと思う。
ここに通りから少し離れ、今は地元の方以外にほとんど人が訪れないと思われる「潮宮(いたみや)神社」があります。
創建は鹿島神宮の潮宮が10世紀末に移されたと伝えられ、中臣氏の領有地となっていた時代もあったようで、行方市の橘郷(羽生地区)とともに、鎌倉時代には鹿島神宮の知行地になったとも記録されているようです。
この今は忘れられた「塩街道」の事実をどれくらいの人が知っているのだろうか。
私もこのことを白井啓治さんの「潮の道余話」を読んで知った。

通りから細い道を入った少し奥まったところにこの神社はあるが、行ってみるととても驚かされる。

長い年数に多くの人がこの参道を歩いたのだろう。参道が一段低く沈み込んでおり、両脇の木が根をむき出しにして何本も傾いている。

拝殿はきれいに再建されており、奥に本殿がある。
御神木は杉の木のようで、しめ縄がまかれている。

傾いた樹木もほとんど幹にコケが生えており、その年月に思いがはせる。
昔、親鸞が鉾田の「無量寿寺」などへ通った道でもあったのだと思う。
神社の多くは宅地化で、森(杜)が伐採されています。石岡の金毘羅さんや、きびさげ稲荷など、かつてはもっと森が広がっていたんですよね。きびさげの森、と呼ばれていたのですから。
その森が今も残っていたら、と残念に思います。
潮宮神社がこのような形で残ってるのは奇跡かもしれませんね。
こんばんは。少しわかりにくいところですので、いかれるならこの地図を良く見てね。
とても不思議な気がしますよ。
昔は沢山の人がお参りしたのでしょうね。
夏は無理されずにお過ごしくださいね。
今晩は。今日は私は仕事でした。この記事は少し前に書いていたものです。
一度紹介しておきたいと前から思っていたところです。
ただこの地区などに行っても寂れた風景しか目に入ってこないのですが、
昔はたくさんの物・人の流れがあったようです。
鉄道ができ、道路ができて車が走り、町の姿も変えていきました。
それも急速に。
石岡も同じです。石岡ももう少し広いエリアで文化が復活していけばいいなと思います。
石岡も八郷地区を中心に巨木が結構あります。市街地にもあったのですが一部が残るだけですね。
巨木・古木なども大切にしていきたいものです。
しばらく多忙だったので一気にまとめ読みさせて
いただきました。
興味深いお話がいっぱいですね。日本武尊の話が
多いのはこの地になにか縁があるのでしょうか・・
前記事の古代ハスのお花、綺麗です!
今晩は。夏だというのに戻り梅雨。
豪雨で被害も心配になりますね。
さて、行方に日本武尊に関する記述が多い理由はわかりません。
風土記などに書かれたいきさつが不明なもので・・・
まあ、じっくり見て行けば何かが見えるかもしれません。
文字などない時のお話ですので、何処までわかるかは全く不明です。
楽しみは先に残しておきましょう。
> 興味深いお話がいっぱいですね。
前まで遡って見ていただき感謝で~す。文章が長くて大変だった?? きっとそうですね。
懲りずに時々遊びにおいで下さい。
それにしても最近の人は仕事の仕方も考えなくなっていますね。
こちらもつい前まではイライラでしたが、責任がなくなり、気楽にやっております。
> 前記事の古代ハスのお花、綺麗です!
ありがとうございます。皆さまのを真似してみたけど、写真は全く素人です。おはずかしい!。