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消えた真鍋公園(土浦)と正岡子規

 土浦の一高近くに「真鍋公園(総宜園)」という高台の公園があった。
明治22年に若き日の正岡子規が「水戸紀行」に書きしるした場所だ。

まだ常磐線が走っていなかった時に、学生だった子規は水戸にいる友人のところへ友達と2人で歩いて旅しました。
藤代で1泊して、土浦にやってきました。霞ケ浦を見るのを楽しみにしていたのに土浦から何も見えません。
この真鍋にやってきて小高い山の上の公園に登ってみました。
「見えた見えた。」ととても喜んで歌を残しました。

「霞みながら 春雨ふるや 湖の上」

時は4月で、少し雨が降るあいにくの天気でした。

子規がながめた霞ケ浦と土浦の街はこんな感じだったのだろう。
絵葉書が残されていました。

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[よろずや商会絵葉書ギャラリー]より(明治40年頃の真鍋公園)

この真鍋公園は6号国道ができる時に削られてなくなってしまいました。

この場所が良くわからなかったのですが、公園の半分の場所が残っていました。
「愛宕神社」がある場所です。

6号国道側から神社へ登る階段がついています。

atago01.jpg

しかし、この階段は途中で崩れて登れません。

atago02.jpg

柳生四郎氏が水戸紀行の道筋を昭和24年頃自ら訪ねて歩き、解説本を出版しています。
この昭和24年頃にはまだ公園はあったようです。
しかし、「この公園地も、六号国道ができるときけずり取られて、現在は石段も崩れたままで、容易には上れないままに、町の一角に忘れ去られたようになっている」と書かれています。

atago03.jpg

さて、この公園は愛宕神社の隣にあったそうで、今の神社は国道側からはいけません。
隣にある「真延寺」側から裏を回って行くことができました。

atago04.jpg

神社には祠と子規の碑の木の看板が置かれていました。しかし、ここからは木々が邪魔して霞ケ浦を見渡すことができません。
そこで、隣りの真延寺の境内から見渡せることから、ここに子規の碑を建立しました。

sinennji03.jpg

真延寺は七福神を祀る無宗派の寺です。

sinennji04.jpg

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この後、子規は石岡の「万屋」旅館に宿泊します。一等の宿だとほめているのに、石岡では記念碑もない。
 

水戸街道 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/08/03 07:12
コメント
No title
神社への階段は昭和40年代には既に上部数段が崩れ裏側の畑を通り抜ける必要がありました。
その後も崩壊は徐々に進み、先の震災では大きく崩れ、現在は隣接地への土砂崩れを防ぐ工事が始まったようです。
絵葉書に写る真鍋宿通りには土蔵が現存するのですが震災で被害を被りました。
Re: No title
通りすがりさん
貴重な情報ありがとうございます。
土蔵、石蔵は石岡もかなり被害にあいました。
真鍋宿の裏手の石蔵も屋根が壊れていましたね。
また寄ってください。

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