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有明の松

 この松にまつわる話は、南北朝時代末期1387年といいますから、今から700年以上も前に起きた出来事です。
1380年南朝方の小山義政が難台山中に城郭を造り、足利軍と合戦して破れ、さらに、1387年、小田五郎藤綱と義政の子・若犬丸が、再度、難台山に陣を構え、北朝足利方の上杉朝宗と合戦し、8か月に及ぶ籠城、攻防の末、食糧供給の道を遮断され、食料が尽き落城してしまいました。
藤綱は城を焼いて自害し、若犬丸は逃亡、小田五郎は郎党百名あまりとともに討ち死にしたと伝えられています。

この時に、難台城の婦女子が夜を徹して難台山を逆に登り裏山を下って、この松の下に集まり、夜を明かしました。その時に見た夜明けの空が大変すばらしかったので将来を明るく見ようと「有明の松」と名付けられたと伝えられています。

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この松は今はご覧通り、天に登る松の木は影も形もありません。裏に難台山が聳えています。

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昨年6月に撮影した時の「有明の松」
この松も前の松から採取した種子を発芽させた2世であるが、それがまた無くなってしまったのです。

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この地方はタバコの産地です。たくさんのタバコが栽培されています。
しかし、ご時世でタバコは縮小気味。最近はブルーベリー農園が結構あります。

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これはすぐ近くに建っていた「坂東・西国・秩父 百番札所(観音)」の奉納記念碑です。
この松もこのように信仰の対象になっていた時もあったのでしょう。
当時、山中では道もないようなところを下ってきたのでしょう。
どんな思いをしてこの松に希望を見出したのかを想像してみてください。
写真の右側が東で日が上る方向です。
北には落城寸前の山城がありました。

matsu.jpg 在りし日の有明の松


 

八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/08/10 06:36
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