志筑(しづく)の街並み
かすみがうら市志筑(しづく)地区は昔の武家屋敷の面影を今も残す貴重な土地だ。
佐竹氏が秋田に移封となり、かわりに秋田からこの地に8500石(後8000石)で転居となった本堂家が治めていた町である。
本堂家当主は江戸詰の旗本。この土地は家老「横手氏」が主に預かっており、陣屋は昔の志筑城址であった現志筑小学校のところに置かれていた。
しかし、小さいながらも江戸末期の騒乱の時代に、その存在感が高まった時があった。
大政奉還後に功績を認められ、10,110石に加増され本堂家は大名の仲間入りを果たし、ほんの数年間だけ志筑藩が成立します。
そして廃藩置県で1度志筑県となります。
新撰組参謀の伊藤甲子太郎(後に新撰組によって暗殺)、9番組組長であった弟の鈴木三樹三郎(後に御陵衛士から赤報隊)の兄弟を排出します。(志筑藩は脱藩しています)
どのような町か、訪ねてみると驚くほど小さな町です。
石岡の隣り町の1集落にすぎません。
石岡からは下志筑を通って、隣りに小さな池のある坂道を登ると中志筑(なかしづく)の街並みが続きます。
しかし、200m程で街並みは尽きてしまいます。

この時季、通りの家々には、百日紅(サルスベリ)の花が咲いていました。

このような立派な武家屋敷の門があります。


このような茅葺屋根の家が通りにあります。この屋根はこの通りのイメージを強いものにしているようです。

茅葺屋根は茅の並べ方で、このような数段の模様ができます。葺き直したばかりならきれいな模様が見えますが、時間とともに色あせてきます。
上の写真は2年ほど前のものです。

麓の池にはハスの葉がびっしり。池の中では時々ボコボコというような音がします。
魚かカエルかなどと見ていたら、カメが顔を出し、また池の中に潜っていきました。
河童がいても不思議ではないようなところです。

地方の家庭にはこのような雨水を蓄え、防火用水などとしても使ったと思われる用水鉢などがあります。
都会では見かけませんね。
佐竹氏が秋田に移封となり、かわりに秋田からこの地に8500石(後8000石)で転居となった本堂家が治めていた町である。
本堂家当主は江戸詰の旗本。この土地は家老「横手氏」が主に預かっており、陣屋は昔の志筑城址であった現志筑小学校のところに置かれていた。
しかし、小さいながらも江戸末期の騒乱の時代に、その存在感が高まった時があった。
大政奉還後に功績を認められ、10,110石に加増され本堂家は大名の仲間入りを果たし、ほんの数年間だけ志筑藩が成立します。
そして廃藩置県で1度志筑県となります。
新撰組参謀の伊藤甲子太郎(後に新撰組によって暗殺)、9番組組長であった弟の鈴木三樹三郎(後に御陵衛士から赤報隊)の兄弟を排出します。(志筑藩は脱藩しています)
どのような町か、訪ねてみると驚くほど小さな町です。
石岡の隣り町の1集落にすぎません。
石岡からは下志筑を通って、隣りに小さな池のある坂道を登ると中志筑(なかしづく)の街並みが続きます。
しかし、200m程で街並みは尽きてしまいます。

この時季、通りの家々には、百日紅(サルスベリ)の花が咲いていました。

このような立派な武家屋敷の門があります。


このような茅葺屋根の家が通りにあります。この屋根はこの通りのイメージを強いものにしているようです。

茅葺屋根は茅の並べ方で、このような数段の模様ができます。葺き直したばかりならきれいな模様が見えますが、時間とともに色あせてきます。
上の写真は2年ほど前のものです。

麓の池にはハスの葉がびっしり。池の中では時々ボコボコというような音がします。
魚かカエルかなどと見ていたら、カメが顔を出し、また池の中に潜っていきました。
河童がいても不思議ではないようなところです。

地方の家庭にはこのような雨水を蓄え、防火用水などとしても使ったと思われる用水鉢などがあります。
都会では見かけませんね。
石岡から近い所に、武家屋敷通りがあるなんて知りませんでした。 昔の常態をそのまま保存してるんですね!茅葺屋根を初めて見ましたが、材料は何でしょうか?
今のままで時代劇が撮影できそうですね!
>9番組組長であった弟の鈴木三樹三郎(後に御陵衛士から赤報隊)
>の兄弟を排出します。(志筑藩は脱藩しています)
このあたりの幕末のお話は「ワクワク」します♪
うちの近所も松陰神社(松田松陰)があったり
吉良氏ゆかりの地なので探せばいろいろあるんですよねー
(世田谷なんて昔はただの田舎ですから)
ハスの池は…絶対河童がいますww
コメントいつもありがとうございます。
こちらもやっと涼しく(少し寒いくらい)になりホットしています。
そちらは如何ですか?
> 茅葺屋根を初めて見ましたが、材料は何でしょうか?
・・・基本的には茅ですよね。
これだけの長さで太いものもなかなか手に入らなくなってきたようで大変です。
もう一つは職人さんが少なくなっているそうです。
> 今のままで時代劇が撮影できそうですね!
・・・その通りです。たくさん撮影に使われていますが、問題は電線や電柱です。
これがあると撮影できません。
そのため、わざわざ辺鄙なところに電気を引かずに撮影場所を作って提供しています。
こんばんは。いつもと違ってこっちが仕事中でお返事遅れました。
> うちの近所も松陰神社(吉田松陰)があったり、吉良氏ゆかりの地なので
・・・そうですか。いいですね。行ってみたいですが行ったことがありません。
萩の松下村塾は行きましたが、えらい人は若くして名声を残していますね。
それに比べて、この年になっちゃった トホホ・・・
もっとも渋谷だって明治の初め頃は田舎だったらしいですから、世田谷も
昔の物も多いでしょうね。武蔵吉良氏の城跡に豪徳寺。今や高級住宅街ですよね。
うらやましいですよ。ww
> ハスの池は…絶対河童がいます
この辺はさびしくもあり、河童も竜もムジナも皆いますよ。
ハスの池などは今にも河童がでそうな雰囲気ですね!
時代劇のロケにもなりそうな所。特に池のところが…。
ご訪問ありがとうございます。うれしいです。
> ハスの池などは今にも河童がでそうな雰囲気ですね!
> 時代劇のロケにもなりそうな所。特に池のところが…。
本当にカッパもいそうです。時代劇には近くは絶好のロケ地で、あちこち使われています。
特に山側の道などに電線がないところなどで、駕籠をかついで歩いたりもしているようです。
なかなか出くわしませんが・・・。
テレビの時代劇ではロケ地に石岡市は良く出てきます。武蔵、篤姫など。
タイムスリップしてみたくなり、又おじゃまさせてもらいました。
茅葺屋根にも色々なものがあるのだな・・・と。
昔、子供の頃田舎に遊びに行った時に見た茅葺屋根を懐かしく思い出しております。
武家屋敷もとても立派なものですね。
こんばんは。ありがとうございます。
田舎はこんなものですが、見ようによっては光りますね。
> 武家屋敷もとても立派なものですね。
・・・ここの殿様は江戸詰めで、この地には家老がいましたが、たったの8000石(最後は1万石強)。
小さいのに参勤交代まであって、一揆もおこったりそれなりに苦しかったようです。
今ではそれも、忘れられていくのは寂しいですからね。
こんな建物を見ながら思いにふけっていますよ。
また寄ってくださいね。