fc2ブログ

瀬戸井街道(2)-部原から厚茂峠

 昨日、今朝と「池花池」を紹介しましたが、ここは常陸国国府(石岡)から陸奥国(仙台、多賀城)へ1300年前に作られていた官道沿い近くにあると思っています。
この話は、一呼吸おいてからまた続けます。その前に「瀬戸井街道」の探索です。

 先日石岡の八郷地区を通っていたという(筑波参拝の)江戸時代の街道「瀬戸井街道」の宿場と思われる「山崎宿」を紹介しました。(こちら
しかし、どう考えてもそのルートがはっきりしません。
そこで、八郷町史に出てくるルートを国土地理院の地図などをたよりに探してみることにしました。

大増から瓦会を通り園部とを結ぶ県道140号線(通称瓦会(かわらえ)街道)は北側に難台山などの山並みを見、南の高台に豊後荘病院、ギター文化館などをながめられる窪地の街道である。

先日紹介した「山崎宿」はこの街道にあるのだが、どうもこの140号線は比較的新しいのではないか。
瀬戸井街道ではないようだ。ではいったいどこを通っていたのか?

文献では厚毛峠を通っていたらしいので、この厚毛峠を探すと、地図では標高117mの厚茂(あつも)峠がこれらしい。

atsumo01.jpg

部原(へばら)(変わった読み方ですね)集落のバス停「部原」から山の方に入っていく道がある。

atsumo02.jpg

道幅は4mくらいで、車が1台通れるだけだが、舗装されている。 道の片側は田圃が続く。

atsumo03.jpg

道はくねくねと山の方に入っていくが、途中茅葺屋根の立派な門が見えてきた。
ここはむかし豊後荘病院があったところらしく、病院の門が残されていた。
この門の奥には立派なお屋敷が続いているので、病院の院長の自宅だろうか?
きれいに茅葺の屋根の手入れがされていた。

山道に入ると車でも結構急な坂が続く。麓の集落が標高40~50mくらいなので、峠の頂上まで約70mくらい登ることになる。
それ程危険な道ではないが、車がすれ違える場所は少なく、坂の途中で車も止められなかったので、頂上付近で1枚撮っただけです。

登りでは盛んにセミが鳴いていた。もうツクツクボウシが鳴いていた。やはり山なのだろう。
(ここを訪れた時は、1週間ほど前になります。)

atsumo04.jpg

ここからは坂を一気に下る。

atsumo06.jpg

くねくねと下ると部落の道にぶつかる。

atsumo08.jpg

このぶつかったところの右側にきれいな水飲み場がある。コップで1杯飲んでみた。とても冷たくて
美味しい。

atsumo07.jpg

この反対側はお地蔵や石板などが置かれ、ここが街道の分かれ道であった様子がわかる。
こういうのが今も残るのはとてもうれしい。

setoi_1.jpg

おもしろいことに、この瀬戸井街道のルートが見えてくると、もう一つの宇都宮街道(宇都宮-瓦会街道)も前から気になっていたのが見えてきた。

昔の街道は幅が2間(3.6m)くらいだったというのだから今では車1台が通れる程度だ。
県道140号線が今はバスも通る道になっているが、これを中心に考えると江戸時代やそれ以前の道は見えてこないものなんですね。

この先、水戸までの道を順を追って見て行きたいと思います。次回は真家宿までを紹介します。

今回現地に行ってみてわかったルートは、瀬戸井(邑楽郡千代田町瀬戸井)-古河-諸川-八町-下妻-高道祖-北条-(風返峠)-小幡宿-柿岡宿-部原-(山崎宿)-真家宿-泉宿(岩間)-土師-住吉宿-随分附-鯉渕宿-水戸です。

1回目に山崎宿を紹介しましたが、この宿は通る時も通らない時もあったのでしょう。
今日が部原から真家宿までの半分です。
今後この先を水戸の一つ手前の「鯉渕宿」までを独断と勘をたよりに紹介していく予定です。
どうなりますか。

(地元以外の方には何処の道かなど全然わかりませんね。でも何処か懐かしい道や家の佇まいを楽しんでいただければと思います。まだしばらく続くと思いますので、できれば、お付き合いしていただけると嬉しいですね。)


 

瀬戸井街道 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/08/23 19:02
コメント
No title
こんばんは。さっきコメントを書いたはずなんですけど、ないみたいなのでもう一回書きます。
石塚街道の続きです。源義家が後三年の役で奥州へ行くときこの道のあたりを通り、石岡で4万人になったので4万堀という字があり、仁古田で5万人になったので、5万堀という字があるそうです。今日の記事と関係ないのですが、参考までに書いておきます。
Re: No title
troyさん
こんばんは。
連絡ありがとうございます。
この池花池の西側が「五万堀」です。
前九年の役と後三年の役でのルートが違っていそうです。調べてもよくわかりません。
少なくても常陸国府に来た道は違いそうです。
話は後から尾ひれがついてあちこちにありますね。

> 石岡で4万人になったので4万堀という字があり
・・・石岡は今の鹿の子あたりに五万堀と言われたところがあったそうです(美野里の五万堀と同じ)。
石岡の生板池で炊事して六万集まっていたので、この辺りは六万というのだとか・・・。
かすみがうら市の四万騎(しまき)ヶ原で四万の騎馬の訓練をしたそうです。

もう少し調べてみたいと思いますが、鎌倉時代は八幡太郎は英雄ですから何処までが信じれるのかがちっともわかりません。(^。^)ww
ところで石塚街道の石塚って何処かの地名ですか?  
No title
おはようございます。次はいよいよ岩間街道ですね。楽しみです。
ところで石塚というのは城里町(旧常北町)の石塚です。石岡の笠間街道府中交差点が起点で鯉渕車庫あたりで岩間街道に出て、杉崎十文字でR50号を通り水戸の一部を抜け石塚まで行く道です。石岡の行里川を越えるあたりまでは旧水戸街道で一里塚もあるそうです。見たことあります。
ウイキペディアに書いてありました。
No title
おはようございます。
お写真を見せていただいて、とても長閑なところですね。季節も盛夏から晩夏の感すら見えてきています。茅葺き屋根の旧病院の佇まいは、コンクリート建築と違い、温もりを感じます。きっと、手厚い治療と看病がなされていたことでしょうね。最後の石仏と地蔵様は、見つけるとホッとします。 p☆。
Re: No title
troyさま
おはようございます。

>次はいよいよ岩間街道ですね。楽しみです。
これもtroyさんのコメントからです。

> ところで石塚というのは城里町(旧常北町)の石塚です。
ありがとうございます。私は「石岡」「赤塚」のそれぞれの文字をとったのかもなんて(笑)

> 石岡の行里川を越えるあたりまでは旧水戸街道で一里塚もあるそうです。
こちらは良く知っていますよ。

ありがとうございました。
Re: No title
takasegawaさん
おはようございます。ありがとうございます。

> とても長閑なところですね。
・・・ほんとに田舎ですよ。東京に一番近い田舎・里山をキャッチフレーズにしたいところです。

> 茅葺き屋根の旧病院の佇まいは、コンクリート建築と違い、温もりを感じます。
・・・今は向かい側の高台に立派なコンクリートの病院が建っています。

> 最後の石仏と地蔵様は、見つけるとホッとします。
・・・どこでも里にいる人が守ってきたところに必ずあるのです。都会的な生活で忘れてしまっているところかもしれません。 
No title
こんばんは。
解り易くて 想像力を駆り立てられる 良いお写真ばかりですね(*^_^*)
ストーリーがあって 魅かれます。

緑の木立を通り 街道の分かれ道にあるお地蔵さまにも 手を合わせ道中の無事を祈りながら 沢山の旅人が通って行ったのでしょうね。

一枚づつの写真を拝見してゆくと 当時の様子が目に浮かんでくるようです。

タイムスリップして自分も同じ道を旅しているような気持ちになれますね。♪~

素敵なブログですね(*^_^*)心が弾んできます。
明日は どんな旅でしょうか。楽しみです。☆~
Re: No title
言の葉IS様
江戸時代の街道でも、主要な街道は今でも歩かれる方がおりますが、
このような途中からわからなくなってしまった街道などは行ってみないとわかりませんね。
その場所がたとえ昔の街道ではなく、間違っていたとしてもそこに暮らしていた人々の
姿が浮かんでくるように思います。
そんなところが好きです。
街道の分かれ道にはこのようなお地蔵さんや道標が残されていたりします。
とてもワクワクするんですよ。子供みたいですね。\(^。^)/

管理者のみに表示