石岡のおまつり(1)-まつり前
これから関東三大祭りなどと言われる「石岡のおまつり」を地元にいる立場から紹介します。
私も石岡に長いわけでありませんので、わかる範囲で一つ一つ紹介できればと思っています。
祭りの名称は「常陸國総社宮大祭」といい、毎年9月の敬老の日が月曜となったので、2003年より土~月の3連休に行なわれます。今年は9月17日~19日です。
(追記:祭りの開催日は当初重陽の節句の9月9日を中日とする3日間(9月8、9、10日)でしたが、これを昭和42年(1967年)に敬老の日9月15日を中日とする3日間に変更となり、更に2003年に今のハピーマンデーの月曜日が最終日となるように変更されました。)
開催の3日間で約40万人程が見学に来ると言われています。
しかし、この総社宮の正式な例大祭は9月15日に行なわれています。
こちらの行事は神社としての正式な行事となって、石岡のお祭りとは分けて考えられているようです。
このお祭りは一般に、「佐原の大祭(佐原ばやし)」「川越祭り」と似たお祭りです。
基本的には祇園祭がベースだと思います。
この三大祭りに東京「府中の暗闇祭り」や「秩父の夜祭り」などいろいろに名前はあがりますが、これも声が大きいところと祭りに熱心なところがだんだんと一般に定着していくのだと思います。
石岡も大いにPRして、皆に認められるようになるといいと思います。
歴史的なことはまた後で紹介する機会もあると思いますが、現在の形になったのは明治35年と比較的新しいものです。
もちろん、それまでに継承されてきたお祭りなどもありますので、起点が何処になるかは解釈も分かれます。
それよりも、なにしろこの町は昔は祭りになると全てお休み、3日間街中が祭り一色になるということです。今でも全部とは言いませんが、熱心な方は仕事などやってられないのです。
私は隣り町にしばらくいましたが、子どもの中学の担任の先生が石岡の人で祭りは山車の上で笛を吹いたり太鼓をたたくので休暇をもらっていました。
こちらに越してきて、やっと祭りの仕組みが少しわかった気がしましたので、これから順に紹介しますね。
まずは、祭り前の街の様子です。
お店のショーウィンドウにおまつりグッズが並べられ、祭りの雰囲気が盛り上がります。
もう盛んに各地で太鼓の音が響いています。

中町商店街にて。(以前笑魚堂さんのお祭りストラップで紹介したものと同じですね。)
山車の上で演じられる新馬鹿(しんばか)というきつね踊りのキツネさんでしょう。
三村地区に伝わるものではないかと思われます。

駅前御幸通りの花屋さんで。獅子舞いの人形です。

同じく隣りにあった子供の獅子舞いでしょうか。かわいらしかったので・・・。

同じく御幸通りの老舗の佃煮やさん「飯田屋」さんの店先です。

こちらは香丸町から入った裏通りだったか? 木工屋さん?

中町の昭和初期の有形文化財「看板建築」のお店やさんの店先です。

同じく中町の老舗のお菓子屋さんの店先です。
写真は2年ほど前の8月末に撮ったものです。みなショーウィンドウのガラス越しに撮っているので反射していい写真はありませんが、雰囲気はわかると思います。
では次をお楽しみに。
私も石岡に長いわけでありませんので、わかる範囲で一つ一つ紹介できればと思っています。
祭りの名称は「常陸國総社宮大祭」といい、毎年9月の敬老の日が月曜となったので、2003年より土~月の3連休に行なわれます。今年は9月17日~19日です。
(追記:祭りの開催日は当初重陽の節句の9月9日を中日とする3日間(9月8、9、10日)でしたが、これを昭和42年(1967年)に敬老の日9月15日を中日とする3日間に変更となり、更に2003年に今のハピーマンデーの月曜日が最終日となるように変更されました。)
開催の3日間で約40万人程が見学に来ると言われています。
しかし、この総社宮の正式な例大祭は9月15日に行なわれています。
こちらの行事は神社としての正式な行事となって、石岡のお祭りとは分けて考えられているようです。
このお祭りは一般に、「佐原の大祭(佐原ばやし)」「川越祭り」と似たお祭りです。
基本的には祇園祭がベースだと思います。
この三大祭りに東京「府中の暗闇祭り」や「秩父の夜祭り」などいろいろに名前はあがりますが、これも声が大きいところと祭りに熱心なところがだんだんと一般に定着していくのだと思います。
石岡も大いにPRして、皆に認められるようになるといいと思います。
歴史的なことはまた後で紹介する機会もあると思いますが、現在の形になったのは明治35年と比較的新しいものです。
もちろん、それまでに継承されてきたお祭りなどもありますので、起点が何処になるかは解釈も分かれます。
それよりも、なにしろこの町は昔は祭りになると全てお休み、3日間街中が祭り一色になるということです。今でも全部とは言いませんが、熱心な方は仕事などやってられないのです。
私は隣り町にしばらくいましたが、子どもの中学の担任の先生が石岡の人で祭りは山車の上で笛を吹いたり太鼓をたたくので休暇をもらっていました。
こちらに越してきて、やっと祭りの仕組みが少しわかった気がしましたので、これから順に紹介しますね。
まずは、祭り前の街の様子です。
お店のショーウィンドウにおまつりグッズが並べられ、祭りの雰囲気が盛り上がります。
もう盛んに各地で太鼓の音が響いています。

中町商店街にて。(以前笑魚堂さんのお祭りストラップで紹介したものと同じですね。)
山車の上で演じられる新馬鹿(しんばか)というきつね踊りのキツネさんでしょう。
三村地区に伝わるものではないかと思われます。

駅前御幸通りの花屋さんで。獅子舞いの人形です。

同じく隣りにあった子供の獅子舞いでしょうか。かわいらしかったので・・・。

同じく御幸通りの老舗の佃煮やさん「飯田屋」さんの店先です。

こちらは香丸町から入った裏通りだったか? 木工屋さん?

中町の昭和初期の有形文化財「看板建築」のお店やさんの店先です。

同じく中町の老舗のお菓子屋さんの店先です。
写真は2年ほど前の8月末に撮ったものです。みなショーウィンドウのガラス越しに撮っているので反射していい写真はありませんが、雰囲気はわかると思います。
では次をお楽しみに。
さすがに盛り上がってますね。今年ももう飾ってあるのでしょうね。
石岡のお祭りの話毎日楽しみにしてます。
いよいよ近づいてきましたね。
実行関係者は大忙し、子供らはそわそわ、という
時期ですね。
敬老の日の制定が66年だったようで、14-16日
を祭りの日程にしたのはそれから少しずれた年から
だったと思います。奇しくも市民会館が出来たり
、陣屋門が移設された時期に重なります。
なにかようか?ここのかとおか。と言う洒落に
ここのかとおかはお祭りだよ、と返す地口がありました。
これも遠い昔のことにて忘れ去られているでしょう。
石岡祭、関東の三大祭りの1つということで、
昔からけいしょうされてきた伝統的なお祭りなんですね。
新馬鹿のきつねや獅子舞の飾り、
これを見る人は、心が騒いでくるんでしょうね。
続編、楽しみにしています。
私にとって石岡のお祭りは獅子頭じゃなくてキツネと三村ばやしです、
お囃子聞いてるだけで満足です、今年は行けるかな(;´д`)
お祭りで一番楽しいのは、「もうすぐお祭りだ~」という始まる前のわくわく感かもしれません。
小さいころは夏休みが終わるのが悲しかったけど、2週間後には「お祭り」と思うと、それだけが救いだったような・・?
夏休み気分が抜けないうちに、お祭りがはじまるのですから、勉強なんてまったくしてなかったと思います・・(私だけ?)
こんばんは。
朝から仕事で手がついていません。
更新はしばらくは毎朝6時半頃行ないますね。
> さすがに盛り上がってますね。今年ももう飾ってあるのでしょうね。
・・・あまり町中を見ていないのでよくわかっていません。
子供でも参加するならわかるでしょうが、でも毎年同じことをしているようです。
今年は見学者も増えるといいですね。
ご指摘ありがとうございます。
なんか変だと思っていたのですが・・・
ブログ文章を少し訂正しました。
重陽の節句なんて懐かしい響きですね。
菊の節句ですが、菊はまだあまり見かけません。
> なにかようか?ここのかとおか。と言う洒落にここのかとおかはお祭りだよ、
・・・いいですね。
こうしてみると伝統の日にちに意味があったのでしょうね。
またよろしくお願いします。
お返事遅くなりました。
関東三大祭りを石岡の人は自信を持って行ってくれればいいのですが、
最近地元の人が「本当なの?」などといいはじめて・・・・
全く悲しくなっちゃう。
歴史的に検証もしっかりやるべきです。
どこの祭りも昔から今のスタイルになっているわけではありません。
時代とともに変化もしてきています。
芯がしっかりしていれば変わることも問題ありません。
皆んなが楽しめるのが一番です。
朝更新予定ですので、またお願いしますね。
大分盛り上がってきていますね。
> 私にとって石岡のお祭りは獅子頭じゃなくてキツネと三村ばやしです、
・・・さすがにいいところに目をつけていますね。
感心しちゃいました。でも墓参りも大切ですよ。
やはり石岡出身の人はお祭りへの思いは強いですね。
駅の獅子頭はなかなか写真にとるチャンスがなく、いつも撮っておけばよかったなどと思います。
電車にほとんど最近のらないので・・・。
石岡の中学生などは夏休み、おまつり、運動会と続いて勉強になりませんよね。
メリハリをつけてと言っても勉強には行事が終わらないと集中できないですね。
お祭りも大事だし・・・。
さすがお速いですね。
これで記憶と言うか残っている体感通りです。
67年と言えば小4で、高学年までは行って無かったよな、
という感じとか、なんで変わったのと当時素朴に
思っていた記憶とも合致します。
この時分はまだまだ全然色んなことが緩い時代でした。
獅子山車の巡航も自由な時間帯、つまり単独行動時間も多く
、あちこちの町内に行きながら色々の皆様とすれちがったり
そこで同級生にであったり。銀球鉄砲の撃ち合いなんてやってましたね。
獅子と獅子の間で。神輿がどこまでも行ってしまい行方不明になった、獅子が11日に明け方お囃子鳴らしながら帰って来るのも当たり前。やxxさん達も毎年色々絡んでくださいまして、神輿の屋根をのっとり、年番の長老達が止めに入るのも毎年の光景でした。さらに傷痍軍人さんたちが鬼塚靴店さんの辺りに座る、外国宗教関係のプラカードパレードなど、とてもにぎにぎしかったですね。そんななかで祭参加の子供達には梨とおにぎりが配られ、これやら、夜店のグルメがなにより楽しみでした。今は何がなくなり、なにが
残っているでしょうか。祭参加者は大人も禁酒と聞きましたが。
女性の参加も基本的には年番町のお稚児さんだけで、山車の上に乗っている
のは粋な筋の方々のみだったように記憶しています。
幼児を除いてこれ以外は獅子も山車も女人禁制。今は結構ギャル祭りになっていますが、これは70年以降からです。若い女性がどんどん積極的になり
はじめた時期に重なりますが、今の若い女性参加者はもうその二世どころ
かまもなく三世ですね。時は速い、、、、、
いろいろありがとうございます。
さすがにお祭りは思い出も多いのですね。
こちらは参加していないのでまったくと言ってよいほどわかっていません。
屋台の店などの参加もかなり制限したり、夜中の行動を禁止したり、
飲酒も当然未成年はNGとなっていますね。
昔はもっとおおらかだったのでしょうが、これはやむを得ないでしょうね。
祭りとなると外部からの参加者が加わるのはどこも常となっていましたが
大分制限されたのでしょう。
>祭参加者は大人も禁酒と聞きましたが。
・・・この辺りはどうなのでしょうね。問題がいろいろあったのかも。
女性も確かに多くなっています。年番だけなどというと15年に1回しかこない。
毎年楽しみにしている女の子もいる。
年番制も、最近は小さな町は運行が大変になり、サポート制度なるものが
できているようです。
今日会社からコメントしたんですが…
なくなっちゃったみたいです (T_T)
お祭り 近付いてきて盛り上がってきましたね
こんな本格的なお祭りうらやましい
(うちの近所のは子供だましです…)
おはようございます。
> 今日会社からコメントしたんですが…
・・・午前中にしっかり(2)の方にコメントいただいていますよ。
いつもありがとうございます。
お祭りはやはり賑やかな方がいいです。
普段人がいないのに何処にこれだけいたの?
ってな感じで人が集まります。
天気が良ければいいですが・・・