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石岡のおまつり(14)-木之地のみろく

 明治35年の年番制度ができた時、当時の地元の役員たちが1年かけて、この石岡のおまつりを作り上げました。
そして十六の町がこの制度に加わりました。
しかし、所帯が小さいということでこの「木之地」町が昭和27年に辞退し(昭和12年の年番が最後)、現在15の旧町内が年番を順にまわっています。

木之地町は脱退しましたが、ここの愛宕神社に伝わる「木之地のみろく」は大変興味深いものです。
昔、現在の中町に「天王社」という神社があり、ここで毎年6月14日に行なわれていた「祇園祭」が西暦1700年代半ば頃から行なわれていたといいます。これが今の祭りの原型となっています。

そして、この「木之地のみろく」も5番目に登場します。1番は「富田のささら」です。

この人形は、現在おまつりの時に、通りに面した町内の会所にて披露されています。
興味のある方は見てください。

木之地のみろくについて:

「みろく」とは、弥勒菩薩である。
元禄15年(1702)に作られたといわれる木之地のみろくが、どのような姿をしたものかは明らかではない。江戸時代の祭事を記録した文書には祭礼の出し物として出されていたという。
祭礼参加の記録では、嘉永4年(1851)が最後と思われていたが、地元の人が復活を願い、それから83年後の昭和9年に竹原の弥勒を参考にして総社宮の祭礼(年番守木町)に出し物として復活させた。
それは、愛宕神社に古い一、ニ体の人形があり、破損を修理して数体の人形を作り、また数体を竹原よりお借りして、祭りに出したという。
しかし木之地町は所帯が小さく昭和12年を最後に祭りの年番より脱退しました。
何とか「木之地のみろく」を復活させようと平成16年に祭礼に合わせて木之地町の会所にみろく人形を飾っています。

miroku.jpg

飾られているみろくの人形です。
「爺」(前口上)「若侍」(受口上)「姫」(舞)で口上と笛や太鼓で踊りがついていたようです。

大野のみろく・・・青(鹿島様)、赤(香取様)、黄(春日様)
元町のみろく・・・赤(鹿島様)、白(住吉様)、青(春日様)
竹原のみろく・・・青・黄・赤・白・黒の男人形に、白の女人形
とのこと。
この「木之地のみろく」人形は竹原のものを参考に復活されたものと思われます。

(本内容は会所にて配られた説明パンフおよび「石岡の歴史」(石岡市史編さん委員会編)より得ています)


歴史的には県内に6か所しか残されていない「みろく」人形も興味がありますが、あまり詳細が不明なところがあり、このようなところももう少し検証して記録として残してほしいものです。
(この石岡のおまつりのルーツがわかりそうに思います)
 

 

石岡のおまつり | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/09/07 06:18
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