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武蔵野の俤(おもかげ)

 子供の頃の話の続きです。
東村山市萩山町は武蔵野に残った雑木林の一部を切り開いてつくられました。
そのため、あちこちに雑木林が点在し武蔵野の俤(おもかげ)を色濃く残していました。
家から小学校までは5分位でしたが、途中に両側が雑木林でした。
林といっても、こちらのような薄暗いイメージはなく、子供でもその中に入っていくのは何も怖いイメージもありません。それよりも地面にはいろいろな野草やボケの赤い花、野バラの白い可憐な花などが咲いていてとても好きでした。
林の中には小道がいくつもあり、どれをたどっていってもどこか明るい原にでたり、人家のある畑にでたりすれば方角はすぐにわかります。
主に広葉樹で冬は葉は落ちてふっくらとした絨毯になります。
そこにドングリなどの木の実が落ちて目を出す。そんな繰り返しです。
昔読んだ国木田独歩の「武蔵野」にとても感動を覚え、ああこうだったな~などと思い出すのです。
自然主義などと言われますが、文体もそのころの私にはオシャレにも思えて少し真似て見たりもしたのです。
武蔵野の一部を抜粋して載せます。
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九月七日――「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時に煌(きら)めく、――」
九月十九日――「朝、空曇り風死す、冷霧寒露、虫声しげし、天地の心なお目さめぬがごとし」
同二十一日――「秋天拭(ぬぐ)うがごとし、木葉火のごとくかがやく」
十月十九日――「月明らかに林影黒し」
同二十五日――「朝は霧深く、午後は晴る、夜に入りて雲の絶間の月さゆ。朝まだき霧の晴れぬ間に家を出(い)で野を歩み林を訪う」
同二十六日――「午後林を訪(おとな)う。林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想す」
十一月四日――「天高く気澄む、夕暮に独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく到り、林影ようやく遠し」
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まさにこの通りです。
私にも文才があれば、今の石岡も何か表現できるのかもわかりませんが、如何せん才能がないですね。
萩山小学校も創立50周年とのこと。学校の脇は西武所沢線が走り、その向こう側には都営「小平霊園」の敷地が広がります。昔はのどかでこの線路を渡って霊園に良く行きました。
夏はカブトムシやクワガタが良く採れました。秋は野生の栗の実が拾えるのです。
今は開けてきたのでこのようなことも段々出来なくなったと思います。
ところで、萩山は近隣の町に比べてあまり発展を遂げていない。石岡駅と同様に人によっては寂しい町だと思われるかもしれない。でもこの小さな萩山駅の乗降客数でも日に1万人以上です。
一方石岡駅の利用者は年々減って今では日に約5~6千人程度しかいません。
あんな小さな私鉄の駅に及ばないのである。一昔前には1万人程度の乗降客はいたと思うのだが・・・・。
これだけ銀行や郵便局の本局まであるのに、人を呼び込む魅力がない。
情けない話ですね。
ところで、石岡でも昔育った人に聞くと、総社の湧水(おみたらし)でザリガニをとったり、山王川であそんだりした自然豊かであったといいます。
まだモリコーの屋上に象さんの滑り台があった頃といいますから、そんな昔ではないですよね。
私が石岡にやってきた6年前にはもうモリコーの屋上もなく、コーキも西友も無くなっていましたので、昔がわかりませんが、昔は良かったというばかりではどうにもなりません。

子供のころ | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/10/07 20:42
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