正上内
さて、今日は石岡の祭りの記事の間に一つ記事を挟みます。
台風は四国から中国地方から近畿地方に大雨を降らせ広い範囲に被害があっったという。
被害にあわれたところには心よりお見舞い申し上げます。
幸い、こちらの方は梨の収穫や巨峰の収穫にも問題なく雨も大したことがなかった。
今日は車の調子が悪く、見てもらう約束していた車のディーラに出かけてきました。
一日中、蒸し暑く、あまりスッキリした気分ではないが、車の悪いところもわかりホットして戻ってきた。
せっかく出かけたので、気になっていた「正上内」(しょうじょううち)という町にに行ってみることにした。
車を空地に置いて少し歩いてみたが、セミも最後の鳴き声をはりあげていた。
ツクツクボウシがたくさんに鳴いていた。でも「オシーツクツク」て鳴いていますよね。
「ツクツクホーシ」とは鳴かない。これがどうにも変だ。
つまらないことに関心を持ったものだが、夏を惜しむように「惜しーツクツク」て鳴いているのに・・・。
ヒグラシが夏の終わりのセミというイメージがあるが、夏には一番早く鳴き出す。
さて、正上内という名前が出てくるのは平将門が1000名位の兵で3000人もいた国府の兵をやっつけ、常陸国府を奪い取った事件の時である。
もう1000年以上も前の大事件です。
将門が事件を起こすきっかけにもなった「藤原玄明(はるあき)」「藤原玄茂(ふじわらはるもち)」たちの一族の住んでいたのではないかと言われるこの正上内にある「権現神社」を見てみたかったのである。
将門記でも大悪人のように書かれている藤原玄明とはどんな人物だったのか。

正上内は石岡から笠間へ向かう旧355線、笠間街道(笠間では江戸街道とよぶ)を石岡から県道7号線の下をくぐるところから先にある。
特に何も目だった特徴のものは無い。

石岡一高の農園(第二)がありました。
園芸科が高校にあり、その農園でしょう。高校の農園としては広いです。梨畑などがあります。

権現神社は県営アパートの少し先の355号線が坂を下った所から左に少し入ったところにありました。

訪れる人はほとんどいないらしく、手入れはされていましたが、足跡はなく、私が歩いた跡だけが残りました。
神社もそれほど大きくは無く、各地の部落に残されたというような普通の神社です。

屋根についているマークが少し変わっているので写真をとりました。

この場所はもうすぐそこに新しくできた常磐高速道路のスマートインターチェンジの入口が見えます。
前に書いたのですが、佐竹義政の首塚のある大矢橋は目と鼻の先です。
やはり、実際に行ってみないとイメージがわかないものですね。行って良かったと思います。
正上内の名前の由来は常陸少掾(しょうじょう)が住んでいたところという意味でついた地名だと言われています。
常陸の国衙(現石岡小学校の敷地)には常陸大掾(だいじょう)が住んでいました。
掾(じょう)というのは役職で介の下の位ですが、段々と年代が進むと、常陸介は都にいてやってこなくなりますから、実質上の県知事のようなトップの役職になっていきます。
そして世襲のようになり名前まで「大掾氏」と呼ばれるようになっていったのです。
まだまだ知らないことがたくさんあるものです(将門時代などまったく良くわかりません)。
将門が常陸国衙を奪ったとき、ここ常陸国衙にはたくさんの絹が保管されていたといいます。
当時は大変貴重であった絹布が1万5千もあったと伝えられています。
台風は四国から中国地方から近畿地方に大雨を降らせ広い範囲に被害があっったという。
被害にあわれたところには心よりお見舞い申し上げます。
幸い、こちらの方は梨の収穫や巨峰の収穫にも問題なく雨も大したことがなかった。
今日は車の調子が悪く、見てもらう約束していた車のディーラに出かけてきました。
一日中、蒸し暑く、あまりスッキリした気分ではないが、車の悪いところもわかりホットして戻ってきた。
せっかく出かけたので、気になっていた「正上内」(しょうじょううち)という町にに行ってみることにした。
車を空地に置いて少し歩いてみたが、セミも最後の鳴き声をはりあげていた。
ツクツクボウシがたくさんに鳴いていた。でも「オシーツクツク」て鳴いていますよね。
「ツクツクホーシ」とは鳴かない。これがどうにも変だ。
つまらないことに関心を持ったものだが、夏を惜しむように「惜しーツクツク」て鳴いているのに・・・。
ヒグラシが夏の終わりのセミというイメージがあるが、夏には一番早く鳴き出す。
さて、正上内という名前が出てくるのは平将門が1000名位の兵で3000人もいた国府の兵をやっつけ、常陸国府を奪い取った事件の時である。
もう1000年以上も前の大事件です。
将門が事件を起こすきっかけにもなった「藤原玄明(はるあき)」「藤原玄茂(ふじわらはるもち)」たちの一族の住んでいたのではないかと言われるこの正上内にある「権現神社」を見てみたかったのである。
将門記でも大悪人のように書かれている藤原玄明とはどんな人物だったのか。

正上内は石岡から笠間へ向かう旧355線、笠間街道(笠間では江戸街道とよぶ)を石岡から県道7号線の下をくぐるところから先にある。
特に何も目だった特徴のものは無い。

石岡一高の農園(第二)がありました。
園芸科が高校にあり、その農園でしょう。高校の農園としては広いです。梨畑などがあります。

権現神社は県営アパートの少し先の355号線が坂を下った所から左に少し入ったところにありました。

訪れる人はほとんどいないらしく、手入れはされていましたが、足跡はなく、私が歩いた跡だけが残りました。
神社もそれほど大きくは無く、各地の部落に残されたというような普通の神社です。

屋根についているマークが少し変わっているので写真をとりました。

この場所はもうすぐそこに新しくできた常磐高速道路のスマートインターチェンジの入口が見えます。
前に書いたのですが、佐竹義政の首塚のある大矢橋は目と鼻の先です。
やはり、実際に行ってみないとイメージがわかないものですね。行って良かったと思います。
正上内の名前の由来は常陸少掾(しょうじょう)が住んでいたところという意味でついた地名だと言われています。
常陸の国衙(現石岡小学校の敷地)には常陸大掾(だいじょう)が住んでいました。
掾(じょう)というのは役職で介の下の位ですが、段々と年代が進むと、常陸介は都にいてやってこなくなりますから、実質上の県知事のようなトップの役職になっていきます。
そして世襲のようになり名前まで「大掾氏」と呼ばれるようになっていったのです。
まだまだ知らないことがたくさんあるものです(将門時代などまったく良くわかりません)。
将門が常陸国衙を奪ったとき、ここ常陸国衙にはたくさんの絹が保管されていたといいます。
当時は大変貴重であった絹布が1万5千もあったと伝えられています。
歴史は本当に面白いですね。こんなに近くに将門の話が出てくるなんて思いませんでした。常陸国府を攻撃したのは知ってますけど。
藤原玄明というと大河ドラマで草刈まさお(字を忘れました。)さんが演じてましたね。鹿島の人だと思ってました。
正上内には、友達もいましたし、よく遊びに行ったところですが、地名の由来と、神社の存在は、まったく知りませんでした。
大河ドラマの「風と雲と虹と」大好きでよく観てました。(もちろん石岡と関係があるからです)
藤原玄明といえば、草刈正雄が演じていた人物(ドラマでは鹿島玄明でしたが)藤原純友とも知り合いで、忍者のような役割を担っていましたが、もちろん、フィクションですよね。でも、その設定が、面白かったです。
昔読んだ桃太郎の絵本。手に入れた宝物を荷車で運んでいる挿絵があって、そこには、反物などが積まれていました。子供のには「反物が宝物」というのがピンとこなかったんですが、貴重なものだったんですよね。租庸調の「調」は絹の反物を税として収めたのですものね。
これからも「埋もれた歴史」をどんどん紹介してください。このシリーズがとても好きです。
こんばんは。
意外に知られていないですよね。
もっとも石岡にとっては忌まわしい敵としか見ていませんので・・・。
300軒が放火され、女は・・・なんて記述がたくさん出てきます。
ドラマはかなりフィクションも入っているでしょうね。
こんばんは。
なにしろ昔のことで一部しかわかっていないようです。
軍記物の最初といわれる「将門記」はかなり詳しいようですが、どこまでが
本当なのかわかりませんね。
正上内という地名に興味はありましたが、将門との関係を示した物はあまりありませんね。
国衙を三方から分かれて攻めたとなっていますので、北の一方はこの方面からだと思います。
浅い知識で書いていますので間違いもありそうですが、まあそれでもいいか程度です。
こんなシリーズを読んで喜んでいただけるのは大変光栄です。
少しずつ書いていると色々なことがつながってきます。それがおもしろくて・・・。
現住所は、北府中ですが、新町名になる以前は、R355を北進し、7-11以北、権現神社の先、スマートインター出入り口交差点までが、正上内でした。
権現様は、毎年12月の第1日曜日にごく、ごく、近隣の住民が集まり、社の中で、お神酒がふるまわれます。
いしおかのおまつりの正上内の会所は、茨城トヨタの裏、ちびっこ広場になります。
総社宮までは、1時間くらいかかるでしょうね。
今年も頑張って、いしおかのおまつりを盛り上げてまいりますので、よろしくお願いいたします。
こんにちは。
ご訪問いただきありがとうございます。
つくばのお祭りも参加されたのですか。すごーい!
皆さんの頑張りが祭りを盛り上げてくれます。感謝!
地元出身でないのでトンチンカンなことを書いているかもしれませんが、
これも町を盛り上げ、発展してほしいからです。
共に頑張りましょう。
> いしおかのおまつりの正上内の会所は、茨城トヨタの裏、ちびっこ広場になります。
・・・今、このトヨタで車の部品交換をして戻ったところです。
前回正上内をリポートした時に、見てもらったので、今日は部品の入荷したので取り変えたものです。
> 今年も頑張って、いしおかのおまつりを盛り上げてまいりますので、よろしくお願いいたします。
こちらこそよろしくお願いします。
すばらしいですね。
終にリアルお祭り当事者様から!
このところのアクセス急増と言い、何か潮目が
変わったような。まさに継続は力なり、と敬服
いたします。
旧泉町を出発して3日経つと高校生も足腰立たなく
なりました。正上内からだと本当にたいへんそう、、、。
これからも継続して読んでもらえるような内容を目指します!
とは言ってみましたが、結構難しいですね。
あまり文章が長くもう少し気楽なのがいいのかも・・・
知らず知らずのうちに「石岡通」になっている?
でも巫女さんパワーは良かったみたいですね。
また色々アドバイスください。