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平家の福を願う寺

 現在まだ石岡のお祭りのシリーズが終わっておりませんが、石岡を少し知っていただけるように記事を一つ載せます。

タイトルに「平家の福を願う寺」と書きましたが、これは石岡市内の「(春林山)平福寺」のことです。

ここに平家の祖といわれる平国香(くにか)が平安時代中期に常陸国の大掾(だいじょう)職についてより1590年まで世襲的に大掾職を継承して約680年にわたって続いてきた常陸大掾平氏歴代の墓(五輪塔)があります。

寺は平国香(たいらのくにか)により約1000年前に建立されたと伝えられますが、はっきりしたことはわかりません。

ただ、奈良の西大寺(東大寺と対比して建立された)の末寺にこの平福寺の名前があり、かなり古くからあったことは間違いないようです。

またかっては、ここ石岡(府中)の五大寺に数えられた寺です。他の四寺は不動院・龍光寺・千手院・照光寺です。

「おごる平家も久しからず」と言われた平清盛はこの国香の子孫で伊勢平氏と呼ばれています。

heifukuji01.jpg

平福寺本堂。現在は曹洞宗です。

heifukuji02.jpg

大掾平氏歴代の墓(五輪塔)。真中に大きな塔があり、まわりを14基の塔が囲って配置されています。

「新編常陸国誌」(1836年)の記述をもとに、真中の塔が国香の墓だと信じて疑わない人もいるようです。
しかし、時代背景などを考えると平将門に殺された国香の墓があるというのは地理的には無理があるようで、異論が多く真実はわかっていません。

五輪とは上から空輪・風輪・火輪・水輪・地輪と呼ばれ、これで万物を表現したものだそうです。

奈良の西大寺は女性天皇「孝謙上皇」が建立した(765年)寺で、日本最古ではないかといわれる五輪塔があります。

この奈良の西大寺は当時力を持っていた僧、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)の思想が組み込まれていると言われています。
道鏡も都を追われて下野国へやってきましたので、物部一族とのかかわりもわからないところだらけです。

ここ府中の中世の六名家として、税所(さいしょ)・健児所・香丸・金丸・中宮部・弓削(ゆげ)の名前があげられていますが、この弓削氏との関係があるのか興味がわきます。

ここ石岡は、まだまだ謎がたくさん埋まっている土地ですね。

場所は富田の北向き観音の隣りです。北向き観音の反対側は府中酒造さんです。まぼろしの酒「渡舟」でも買って、寺の見物などもされたら良いと思います。

祭りの供奉行列もこの北向き観音の前を通ります。

私も、またじっくり調べてみたいと思います。 


 
 

石岡市内 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2011/09/07 15:01
コメント
No title
こんにちは。いろんな歴史があって面白いところですね。平国香というと鈴宮稲荷神社と関係があると聞きましたが、平福寺の近くですよね。。青屋神社とか結構由緒ありそうな寺社がありますよね。足もよくなったので今度電車で石岡に行って、あのあたり歩いてみます。
Re: No title
troyさん
こんにちは。
やはり地元ももっと宣伝しないといけませんね。
たくさんあるので順にすこしずつ小出しします。
ネタきれの時にでも使えるから・・・。

> 平国香というと鈴宮稲荷神社と関係があると聞きましたが、平福寺の近くですよね。
・・・「鈴宮稲荷神社」は金丸通り。駅を降りて、駅前の通りと平行な1本左側の道です。
平国香と関係があるかは聞いたことがありません。
ここは昔の馬駅の合図の鈴を奉納したところで、天狗党が筑波決起した時に最初に集結した場所です。

ではこれからは、市内のネタも少しずつ入れて行きます。 (^_^)ww
No title
ROMAN様
我が菩提寺にございます。
つい先月御参りしたばかり。
ご紹介ありがとうございます。3.11で墓石ががたがたのままですが。
仏教寺院と墓地が結びつくのは徳川幕府の対宗教政策の結果でしょうから、かの五輪塔が墓所である、というのは江戸時代以降にそのように解釈された、というのは大いにありかと思います。
そうですか、孝謙天皇、道鏡までたどれそうですか、、。陰陽五行などの古代思想は当時の有力哲学ですから、そう考えたほうが自然と思えます。
では国香公はいずこに?謎ですねえ。
No title
「弓削道鏡」なんて思わず日本史の授業を
思い出しちゃいました(試験前は一夜漬けばかり)
(;´Д`)
Re: No title
行徳様
そうですか。菩提寺ですか。
国道6号側からも見えますが、大分地震の被害はあったようですね。
石岡は古い墓石が大変多いのでどこも似たようですが。
お墓にもとても年代を感じます。
寺は何度も焼けたりしたでしょうから、時代も良くわからないですね。

> そうですか、孝謙天皇、道鏡までたどれそうですか、、。
・・・歴史も歪められたものがたくさんあります。弓削家が金丸町一帯の地を占めており
「道鏡が府中に立ちよった時に一子をもうけた」と今東光の書物にあるとGengorouさんに
教えていただきました。(本人は読んでいないので確認はしていないそうですが)。

五輪塔を墓と考えるか、供養塔と考えるかはわかりません。
供養塔であれば数か所あってもおかしくないですね。
書かれたものが何も残っていないのが悔しいですね。
  
Re: No title
NINA 27 さん
道鏡様などの信仰もこの辺りはたくさんあります。
でもあまり想像しないでください。(>_<)

後から創られた物語との解釈も最近は強いでーす。
日本史も教科書は多分嘘がたくさん?。
私は日本史は中学までしかやっていないのでまったくわかっていません。
平福寺
 平福寺の名前の由来、初めて知りました。
 実家の墓所ですから、幼いころから、五輪堂も
 無意識に目にしてたものです。お盆のお迎えで
 夜見ると、ちょっと怖い感じがしました。


 渡舟はホントに美味しいですね。
 帰省のときの楽しみの一つです。
Re: 平福寺
べあべあさん

あら、こちらのお寺でしたか?
寺の名前のいわれは、ご住職がそうもいうといわれていたという記事を見ただけです。
本当のいわれは知りませんが、どうしても名前がいつもごちゃ混ぜになってしまい
覚えられないものですから・・・・。

>  夜見ると、ちょっと怖い感じがしました。
・・・ほんとにそうですね。夜はお墓はどこも怖いです。私は苦手です。

>  渡舟はホントに美味しいですね。
・・・いいですね。

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