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阿波山上神社(城里町)

-常陸の出雲神話(3)-
 今日は城里町(旧桂村)にある「阿波山上(あわさんじょう)神社」を紹介します。
石岡からは結構遠いのですが、何度も訪れているうちに、この地に何かありそうな気がしてとても気になっていたのです。

そして、この石岡から昔の道をたどっていくと自然にこの地に行きつきます。
おもしろいものですね。
私はそれ程歴史に興味があったわけでもなく、学校の日本史はあの漢字を見ただけで覚えられないため、なんだか興味がなくなってしまっていたのです。
受験の選択もも世界史でしたし、どうして日本の歴史など好きな人がいるのだろうと不思議でした。

しかし、文字に書かれたものには多くの嘘を含んでいるし、昔の地名などの漢字はほとんど当て字だと思ったら、逆にとても興味深くなってきました。
だって、これはパズルを解いたり、推理小説などにも似ていますよ。
たった1000年か1500年くらい前のことがまるでわからないのですから・・・。

 さて、今日紹介する「阿波山上神社」は茨城県に28か所ある延喜式内神社の一つです(まあ古いということは確かでしょう)。
最初はこの名前にある「阿波」という言葉に興味を持ちました。そして山の上にあるわけでもないのに「山上神社」です。どこかおかしい気がしますね。

すると、この辺りの地名が「阿波山」というではありませんか?

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近くには「粟(あわ)」という地名があります。

近くを流れるのは常陸国の真中を流れる川だから「那珂川(なかがわ)」と言われている大きな川が流れています。
しかし、常陸国の真中を流れるから那珂川(中川)というのは変な話です。
常陸の国がだいたい今の形に決まる前から那珂ですし、名前がついた時にはまだ常陸国という国は存在していません。

常陸国風土記には、昔は足柄峠から東は「吾妻の国」とよばれ、「新治(にひばり)」「筑波(つくは)」「茨城(うばらき)」「那珂(なか)」「久慈(くじ)」「多珂(たか)」という6つの小国があったと書かれています。
ですから「那珂」が真中という意味ではないはずです。
では、那珂が何が語源かというと諸説ありますので、真実は?

ところで、常陸国風土記にはこの川を「粟川(あわがわ)」とも表現しています。
そして、この粟川の粟はこの那珂川沿いのこの旧桂村(現城里町)の粟地方を指していると考えられそうです。
そして、この粟の地名にとって、とても興味深いことがこの神社に残されています。

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神社の場所は「桂中学校」のすぐ隣です。
入口に「親鸞聖人之旧跡」(大山草庵跡)の大きな案内板が出ています。
親鸞の稲田草庵には「稲田神社」があり、この大山草庵にはこの「阿波山上神社」があったのだと思います。
(これは私の勝手な推論です。しかし古来からの神社には親鸞も学ぶべき書物があったことも理由だったでしょう。)

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神社への参道が続きます。

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神社の拝殿です。神官は普段は住んではいないようです。

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こちらが、拝殿後ろの本殿です。

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この神社で一番の関心事はこの神木です。樹齢千年の杉がここにあったが、昭和47年の落雷で焼失したといいます。

「大宝元年(701)に境内にあったとされる神木で、この大杉に粟の穂をもった神が童子の姿で降臨し、この粟から少彦名命を祀った」
と書かれています。

一体何のことでしょう。
私も最初に読んだ時には何のことかわからなかったし、特別に、これに興味はなかったのですが、各地を追っかけて行くととても色々な関係が見えてきました。

私は「日本の神話なんてつまらないことが書いてあるな」ってずっと思ってきたのです。
しかし、いつの間にこの神話に興味を覚えるようになったのだから本当に不思議です。

特にこの少彦名(スクナヒコナ)はとても変わった神様です。これは知っておいた方が知識としても役立ちそうですよ。
あまり面白くは無いでしょうが、興味のある方だけどうぞ。

「出雲の国で国造りをしていた大国主(オオクニヌシ)(これは八岐大蛇退治をしたスサノオの子孫)が、出雲の浜で沖を眺めていると、波の間から小さな天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)(ガガイモの実の舟)に乗って鵝(ひむし)(蛾)の皮を剥いだ服を着た小さな人がやってくるのを見ました。
大国主が声をかけますが、何の返事もしません。蛙に聞くと、物知りの久延毘古(クエビコ=山田の案山子(かかし))なら知っているだろうと言いました。そこでカカシを呼び出して訪ねると「それは神産巣日神の子供の少彦名神ですよ」と答えました。そこで今度は神産巣日神にそのことを尋ねると「その子は私の指の間からこぼれ落ちた子です。あなたと一緒に国造りをして下さい。」とのことでした。

そこで、大国主はこの少名彦と一緒になって国造り(葦原中国(アシハラノナカツクニ=今の日本(出雲中心))をほぼ完成させます。
ほぼ国造りが終わると、少名彦は「粟島」に行き、粟の茎によじのぼって、茎の弾力で跳ねて常世の国にいってしまいました。

さあ、この少名彦は何処から来てどこに行ったのでしょうか?
海の向こうから来たので今の韓国(新羅、高句麗、百済の三国がありました)からやってきたのでしょうか。
これはスクナヒコが小人なのに、いろいろの先人文明の知識を持っていたことでも想像できます。

では何処に行ったのでしょう。「常世の国」へ行った(または帰った)となっていますが、神話なので架空の世界と考えるかもしれないのですが、ここの阿波山上神社に舞い降りた子供はこの少彦名(スクナヒコ)ではないでしょうか。
するとやはりこの常陸の国が「常世の国」と考えられそうにも思います。

少彦名は小人で一寸法師のモデルとも言われます。薬の知識が豊富な神様で今では薬関係の神社として各地で祀られていますし、また温泉を発見した(道後温泉など)神様として各地で祀られています。

最後にいなくなった時の「粟島」は今の和歌山県の「加太神社=淡島様」だといわれています。
四国徳島は昔阿波国といいましたが、その昔は「粟国」です。和歌山の粟島(加太)は徳島側に少し突き出したような位置にあり、昔は島だったのかもしれません。
徳島の吉野川流域の地名と和歌山県、奈良県の地名は近いものがたくさんあります。

しかし、この少彦名を祀った神社はそれ程多くはありません。
それが、常陸では那珂川の入口にある2つの大社「酒列磯前神社」と「大洗磯前神社」に祀られているということです。

もう一つ興味を引くのはガガイモの実の舟で蛾の皮をはいだ服を着ていることです。
このガガイモの実を写真で見ると白い綿のようなものができています。(参考:こちら
この写真と蛾の皮をはいだ服というのはまさに蚕を想像します。
蚕影神社に残された「金色姫伝説」を思い起こさせますね。(前に書いたブログ参照:こちら

拙い文を最後までお読みくださってありがとうございました。



 このような神社はあまりYAHOOの地図には載っていないですね。何故でしょう?
  

常陸の出雲神話 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/09/23 18:40
コメント
No title
面白い!ですw
じっくり読んでしまいました

確かに謎解きに近い… 好きだなぁこういう話^^
Re: No title
NITA 27さん

こんなのが面白いですか?
ありがとうございます。書こうかどうか迷いながら書いています。

社会派推理小説などが好きだと、はまっちゃうんですよ。
あまり、ちゃんとした学者が書いたものを読むとつまらなくなりそうなので
できるだけ読まずに好きに感じたことを書いていきたいのです。

まあ、つまらなくもなりますので適当に付き合ってくださいね。

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