fc2ブログ

笠間藩こぼれ話(1)-大石邸跡

笠間城(1)をさきに書きましたが、一つ関連した情報を挟みます。

 しばらくぶりに笠間にやってきたので、少し見て回った。
昔来たころと比べずいぶんきれいになった。もっとも稲荷神社が町の中心であるイメージは変わらない。

ここ笠間の歴史はとても興味があるのだが、あまり多くは知らないので少しだけ紐解いておきたい。
今日は「日動画廊企画展示館」の隣りにある「大石邸跡」である。
もう昔からこの地にあるが、昔と比べるとまわりがずいぶん変わった。となりの展示館は何時建ったのだろう。
また、そこから少し右に登った「ホテル山の荘」などいつできたのか? 
まったくここがお城だと勘違いしそうだ。

しかし、地図をみても、このホテルの隣りの台地に「笠間城」と載っているが、ここも本来の山城「笠間城」ではない。
この辺りの説明が何処にもない。 おかしな話だな。
少しずつ調べればわかってくるでしょうからのんびりやっていきましょう。

ooisi01.jpg

ここには、播州赤穂の赤穂浪士でおなじみの大石家の屋敷があったのです。
昔、笠間藩主であった浅野家の家老としてここに屋敷を構えていたのです。

ooisi03.jpg

きれいに手入れされ、それ程おおきな敷地ではないが、ここの立地がとても興味を引きます。

ooisitei02.jpg

浅野家がここ笠間藩の藩主として統治していたのは1622年~1645年です。
江戸城松の廊下で刃傷沙汰に及ぶのが1701年ですから、笠間から赤穂へ移って56年後ですね。
この辺りは昨年末このブログで書きました(その1)、(その2

ooisi04.jpg

さて、この敷地の少し先に大きな駐車場が整備されています、その手前の曲がり角に上のような標識が置かれていました。

この場所が「田町」となった理由が書かれています。
でもこれで理解はできません。大石邸の説明にもありません。
しかし、浅野家が何故赤穂に移ることになったのかの説明が何処にも書かれていないのです。

この「田町」としたのは浅野家より前の「蒲生氏」の時で、この時城は佐白山の山の上(佐志能神社のあるところ)にありました。
この田町は田圃を埋めて馬で登城できる様にしたものでしょう。

しかし、なにしろ城は山の上ですから、途中まで馬でのぼり、最後は歩いて城まで登っていたのでしょう。
このため、藩主浅野氏が家臣が登城する負担を和らげようと、ここの近く(山の麓)に別な藩邸を作ったのです。(それがYAHOO地図にある笠間城でしょう)
しかし、江戸時代は勝手に城を作ってはいけないという武家御法度があり、これに違反したとされ、赤穂に移ることになったと言われています。
このここを知らないとこの石碑に書かれた内容が理解できません。

関東地方で唯一の近代山城と言われた笠間城の続きは、この後に書きましょう。


 

笠間方面 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/09/17 06:34
コメント
No title
Romanさんおはようございます。
浅野家は山上にあった城では不便だと麓に館を建てたのです。これが日動美術館の隣の駐車場の上の場所です。ところが屋敷も家臣邸も白壁の土塀をめぐらした立派なものだったので、人々は浅野家は城を建てたと噂したのです。そこで幕府の人が検分に来ることになり、あわてて粗朶垣に変えたそうです。しかし幕府の心証を悪くして国替えになったという話が伝わっているそうです。ただし理由ははっきりとは分からないそうです。
あと田町ですが。昔佐白山に登るところより東は沼地だったらしいのです。今の三所神社のあたりから上ったらしいです。佐白観音のあたりで合流したそうです。その後一度別の道に変わり蒲生氏のころ今の道になったそうです。そして東側を干拓して田んぼにしたので田町といったらしいです。これもはっきりは分からないのですけど。
そのあとそこを家臣の屋敷にしたらしいです。
長々とすいません。ご存知化もしれないのですけど念のため。
Re: No title
troyさん
情報ありがとうございます。
良くご存じなのですね。
私は少ししか知りませんでした。
見どころたっぷりありますね。
恋人の聖地にはこの城跡は怖いものがあります。
もう少し気楽に見られるようにしてほしいですね。

管理者のみに表示