FC2ブログ

笠間城(1)

 出かけて、その中身を調べながらブログを書いているのだが、調べるのはやはり時間もかかる。
しょうがないから、行ってみた感想程度を少し述べて紹介だけしたいと思います。

私のブログは、現場に行って今流れている風を感じながら、過去を想像して見ることですから、まずは感じたままを述べて行きます。

今日は「笠間城」です。古城好きの人は是非行ってほしい城跡です。
明治維新まで残されていた城ですので、これが皆残っていればなどとつい思ってしまうほどに全体が見てとれます。

この笠間城が構築されたのは鎌倉時代の北条氏が執権を持っていた1220年頃です。
宇都宮にいた下野(しもつけ)国の守護宇都宮(藤原)頼綱の甥の宇都宮(藤原)時朝によって12年ほどかけて築城され、時朝は笠間氏を名乗り、初代笠間氏になります。

しかしその前の鎌倉初期までは、この佐白山には正福寺という寺がありました。多くの僧兵を抱えており「百坊」と呼ばれていたようです。

一方麓の七会村(現城里町)には徳蔵寺という大きな寺があり、「三百坊」といわれる僧兵がおり、この二つの寺が勢力争いをしていたのです。

kasamajyou01.jpg

笠間城への上り口に「大黒石」という大きな石が置かれています。道をふさぐような大きな石です。

ここに書かれた説明板によれば、
「鎌倉時代の初め、佐白山の僧兵と、七会の徳蔵寺の僧兵がその勢力を争って戦った。佐白山の僧兵は戦いに敗れて佐白山頂近くまで逃げのび、山上にあった大黒石をころがした。
 徳蔵寺の僧兵は、ころげ落ちる大黒石の下じきになり多くの死者が出たため、佐白山の僧兵は、あやうく難をのがれることができた。・・・・」
と書かれています。

kasamajyou02.jpg

車でそのまま山道を進むと大きな駐車場に出ます。ここは「千人溜り跡」と書かれています。

kasamajyou03.jpg

おそらく、江戸時代の登城した藩士たちは、馬でここまで来て、ここからは徒歩で登ったのではないでしょうか。
一般の人もここから先は車通行止めですので、歩いて10~15分くらい登らなければなりません。

kasamajyou04.jpg

この駐車場の入口の通りの反対側に「百坊跡」の碑が置かれていました。

この寺の百坊と七会村の徳蔵寺の三百坊は共に宇都宮(藤原)時朝によって滅ぼされました。
どんな戦いがあったのでしょうか。昔、寺に宿泊して修業していた僧は僧兵といわれるように力を持っていたのでしょうね。

この徳蔵寺は今は花の寺(8ヶ寺)としても知られ、ここには四国八十八か所の砂を埋めた足置き場があります。
前からとても気になっていたところです。
地名は徳蔵(とくら)で寺の名前は徳蔵寺(とくぞうじ)、また徳蔵大師(とくらだいし)として親しまれています。
那珂川沿いの阿波山からここにのびる道路「阿波山-徳蔵線」が前から気になっていたのです。

ここにもやっと先日行ってきましたので後から紹介します。



(その2)へ続きます。


笠間方面 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/09/16 18:15
コメント
No title
こんばんは。急に予定が変更になって土日月曜日暇になりました。どうするかは後で決めます。
笠間城とてもよかったでしょ。今からでも遅くないから真浄寺の櫓ここの八幡台に立て直すべきだと思います。もったいないですよね。あともう少し整備して多くの人が来るようにすべきです。なんか考えないといけないと思います。
Re: No title
troyさん こんばんは。
この笠間城最高じゃないですか。
城好きがたくさんいるのだからもっと知ってもらうべきですね。
寺に払い下げた櫓が残っているだけでもすごいことですね。

宍戸も石岡も江戸詰で陣屋しかなく、藩主もほとんど来ない有様ですから
400年も続いた江戸時代に見るものがない。
笠間はこの城を整備すべきですね。
一般の人はあることも、行き方も良くわからないんじゃない。
一人で夕方にでも行ったら恐いですね。 

管理者のみに表示