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茨城の県名(2)-石岡は県名発祥の地?

 茨城県の県名を書いてきましたが、今日は(その2)です。

今日は、ここ石岡市が茨城県名の発祥の地と言われていることについて少し書きたいと思います。

最初にお断りしておきますが、私はこの解釈は正確には正しくないと思っています。
しかし、あまり声を荒げて反対を叫ぶつもりもありません。

なぜなら、全く間違っているというわけではないからです。

しかし、石岡では反対を唱えることは多分タブーなのでしょう。
県の名前がこの場所から興ったというと格好がいいのかな?

石岡市史や石岡の歴史などでは、反対の意見はあまり紹介されていません。

ここで違うと書いても、まあこんなブログに文句をつける人もあまりいないでしょうから好きに書かせてもらっても良いでしょう。

eki001.jpg

JR石岡駅の改札を出たところに「ようこそ歴史の里 石岡へ」という看板が出ています。

kenmei02.jpg

その看板の裏側には「茨城県名発祥の地」と書かれており、駅を正面に見ると目だつようになっています。

私が石岡にきて間もない頃、もう数年前ですが、石岡市の駅の隣りの観光案内所を訪ねて、

「石岡の駅前には「茨城の県名発祥の地」と大きな看板がでていますが、発祥の地の説明板があると聞いてバラキ(茨城)台団地の近くを探したけれどわからなかったのですが、何処かおわかりになりますか?」

と訪ねたことがありました。

すると、案内所の方が嬉しそうに出てきて説明してくれました。

「貝地のスーパの前あたりに、たしか説明看板があったと思います」と教えていただきました。

そして、こちらはそれ以上の説明を頼んだわけではないのだが、知っていることをしゃべらずにはいられないというように、

「むかし、このあたりには山の佐伯、野の佐伯という凶暴な土ぐもが、穴を掘ってすんでおり、里人を困らせていたのです。
 そこへ、黒坂命(くろさかのみこと)がやってきて、茨(いばら)で穴の入口をふさいでしまったので、土ぐもたちは、穴にはいることができずに、茨に傷ついて退治されてしまいました。
また、茨(いばら)で城をきずいたともいわれ、茨城の名前になったのです。」

と得意そうに説明をされるました。

私としてはそのことは聞いてもいないし、ただ「そうですか」と聞いていました。

この説明を聞くのは、実はいやな気持になるのです。
お話していただいた方には大変申し訳ないのですが、得意になって話す内容ではないと思っています。

確かに、常陸風土記の茨城郡の所には古老の話として、今説明された内容が書かれています。

しかし、あくまでも古老の話としてあり、大和朝廷の意向に合うように書かれたものに違いありません。
ここに何千年、何万年も前から住んでいた現住民族を土蜘蛛なんて表現するのは間違っていますよ!!

石岡にくると急にこの「黒坂命(ころさかのみこと)」の名前が出てきます。
ヤマトタケルの名前ではありません。ではこの黒坂命とはどんな人物だったのでしょうか?

石岡の歴史関係の書物にはほとんど説明がないようです。
そのため、石岡の人もわからずに覚えた「黒坂命」の名前を無意識に使うのだと思います。

 石岡では茨城県の地名の発祥の説明に引用されている常陸風土記に登場する「黒坂命(くろさかのみこと)」について、あまり説明されてきていないようです。何故なのでしょうか?

 常陸風土記では「岩窟を掘って住み猟のようにすばしっこい、一般人とは全く違った生活をする一族佐伯がいた。これを大和朝廷軍の黒坂命が住居穴を茨(うばら)をもって塞いだので彼等は穴に入れず討ち取られた。」

となっているのですが、佐伯(さえき)とは砂鉄を掘る人などをいったのではないかという考えもあるようです。

そして、敗戦で捕虜になった佐伯の人々は西国へ連行され、播磨、阿波、讃岐、豊後などで採鉄させられたということも出てくるようです。

そして、この黒坂命は神八井耳命(カンヤイミミノミコト)を祖とする多臣(おおとみ)系と思われています。
これは中臣(なかとみ)氏と同じです。中臣鎌足(藤原鎌足)が鹿島出身であるとの説がかなり強いということも頷けます。

 ではこの場所はどこを指しているのでしょうか?
香島郡(かしまのこおり)と出てくるところもありますので、香島郡とはどのあたりでしょうか?

香島(かしま)は現在の鹿島神社の鹿島の昔の呼び名ですが、香島郡については常陸風土記に那賀と香島との境は、阿多可奈湖(あたかなのみなと)と書かれており、この阿多可奈湖の位置を涸沼にあてる説(新編常陸国誌など)と那珂湊の古名とする説(日本地名辞典など)があるとされていて、香島は涸沼または那珂湊よりも南側と解釈できます。

しかし、現在の地形で考えると理解がし難いようです。

霞ケ浦が湖ではなく、大きな流海と呼ばれたように、この那珂川と涸沼などの一帯ももっと大きな海(湖と海の中間)であったと思われます。

さて、少し別な方面から見てみましょう。

 この黒坂命は都(大和)から、霞ケ浦の対岸の美浦村(信太郡)にやってきたようです。

時代は第10代崇神天皇の時代。紀元前97年~紀元前29年と古事記などでは紹介されている時代なのですが、日本の天皇はこの頃サバを読むのが得意で、色々解釈が分かれるようですが、実際は3世紀後半から4世紀初めころではないかと思われます(あまり詳しくはわかりません)。

そして、この土地(美浦村)にいくつかの話が伝わっています。

そして、そこから蝦夷を追いたてながら北の方に攻め入り、日立市十王町の北部の「堅破山(たつわれさん)」で病死したと伝えられています。

そして、堅破山の上に「黒前(くろさき)神社」が建てられ、黒坂命の亡骸はかねてからの本人の希望の通り霞ケ浦がみえる美浦村にいってそこに葬られた(古墳(大塚古墳か?))と言われているのです。

この葬送の様子が、赤や青など五彩の旗がひるがえり、雲が飛ぶように見えたり虹が輝くように見えたので、「幡垂(はだしで)の国」と呼び、後に「信太(垂・しで)の国」(今の霞ケ浦の南岸地域)というようになったと言われています。

ということは黒坂命が退治したのは土蜘蛛などではなく、蝦夷と呼ばれる現住民族だったのはたしかなのです。

何故美浦村なのかと言うと、この地が豊かであったのと同時に、昔は北へ向かう道がこの近くの牛込あたりから霞ケ浦(昔は流海とか香取海などと呼ばれていた内海)を舟で渡って対岸の現在のかすみがうら市の牛渡付近に渡っていたからです。
すなわち北への玄関口だったのでしょう。
牛込・牛渡(うしわた)の地名はここを牛が渡ったことに由来しているようです。
土浦の方はまだ沼地で現在の6号国道の方は通れなかったのでしょう。

 黒坂命は、その当時大和朝廷の力が及んで安心していられた場所に葬られたのだと思います。
実際に美浦村で古墳が発見され、一時騒然としたのですが、まだ実態は不明です。

これとは別に、石岡の東(霞ケ浦の北岸)である行方(なめがた)地方には「ヤマトタケル」の伝説がたくさん残っています。
これは前にもこのブログで紹介しました。

行方には、黒坂命の時代にはまだまだ反対の勢力がたくさんいたのでしょう。
こちらを制圧したのはそれより数十年後の時代(第12代景行天皇の時代)で、ヤマトタケルの時代なのでしょう。
そうすればほとんどつじつまが合ってきます。

 さて、話は戻って、私は茨城の名前の由来の説明に出てくる「野の佐伯などの土蜘蛛など」という表現は好きではありません。

もし、観光案内所の方がこの事実を御存じだったら、説明も自ずから変わってくるはずなのです。

案内書などで、歴史の説明をしていただけることはありがたいのですが、もう少し実情を理解して表現に注意していただたら、もっとすばらしくなるのにと思わないわけにはいかなかったのです。

ましてや、そこにきれいな野バラが咲いていたから「茨城」の名前がついたなどという表現は正直「嫌い」です。

美化された言葉で、真実が見えなくなってしまいます。(しかし、この説もないわけではありませんが)

(その3へ続く)

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茨城の県名 | コメント(10) | トラックバック(0) | 2011/10/21 05:29
コメント
No title
おはようございます。
茨城の県名の話とても興味深く読みました。こういうのはこれが正しいというのはないと思うので自説でいいと思います。でも観光案内所の人はもう少し勉強してもらいたいですね。
次回も楽しみにしてます。
No title
11/13日が県民の日ですか。茨城誕生のいきさつを有り難うございます。学校でも勉強しなかったように覚えてます。

歴史の研究はロマンがありますね。
毎回楽しみに拝見させてもらってます。

ホームページがハロウィンなんですね。改めて気がつきました。
No title
こんにちは
幼いころから聞きなれた「茨城県」に何の疑問も感じずに
能天気に過ごしてきてしまいました。廃藩置県がそう遠く
ない話でも県名に付けられた謎が解けませんね。

曾て娘の知人のアメリカ人が浦和に来た時に「浦和の浦は
どういう意味で、浦和の地名はどうして?」と聞かれて、
困ったことを思い出しました。
もう少し居住地や故郷に愛着を持って深く知らなければと
反省させられました。

Romanさまの探究心には脱帽です。お陰様で少しずつ
学習させて頂いています(最近は忘れ上手で困っていますが)
これからも楽しみです。よろしくお願いいたします。
No title
こんにちは 昨日に引き続き東京都民です
(肩身せま~)

隣の子のお父さんが茨城出身なので(常総市)
Romanさんのブログを2人で読みながら
(仕事せい!)あーだこーだ話してましたw
隣の子は3年間だけ茨城にいたそうですが県民の
歌・県民体操をしていたそうです(前にkuroken
さんから聞いた気もしてるんですが・・・)

県民の日は学校お休みなんですか?学生時代は
神奈川だったのですが休みだった記憶がなーい
Re: No title
troyさん
こんにちは。
読んでいただいてありがとうございます。
とりとめもなく長ったらしく書いているので読むのが嫌になってしまわないか心配はしてるんです。

> 茨城の県名の話とても興味深く読みました。
・・・このように行っていただけると調子に乗ってまだまだ続けてしまいそうですよ。
適当に休みながら書いていきたいと思っています。
他のテーマを挟むかもしれません。
Re: No title
ねこちゃん様

アメリカにまで県民の日が知れ渡って嬉しいで~す。\(^。^)/

興味を持って読んでもらえるような文章も研究しないとダメですね。
自分で読み返してみて、もう少し研究が足りないように思っています。
でもまた読んでくださいね。息抜きも入れますから。

> ホームページがハロウィンなんですね。改めて気がつきました。

そちらはもう盛り上がっていますか?
子供たちが楽しみにしているお祭りでしょうかね。日本ではまだ一部です。
Re: No title
fumiさま
こんにちは!

> 廃藩置県がそう遠くない話でも県名に付けられた謎が解けませんね。

これもすべて常陸国風土記に遡りますが、それより前がわからないと進めなくなります。

> 曾て娘の知人のアメリカ人が浦和に来た時に・・・ もう少し居住地や故郷に愛着を持って深く知らなければと反省させられました。

アメリカは歴史が浅いのですがヨーロッパなど皆さん自国の歴史は興味を持つみたいですね。
もう少し理解していればわかりやすく書けるのでしょうが文章も難しいですね。
これからも読んでくださいね。
Re: No title
NINAさん
こんにちは。

東京都民って言うけど私も小中高と東京都民でした。10月の都民の日も
休みだったかどうかも覚えていないし、これも小さい頃は設定されていなかったような・・・。


> 隣の子のお父さんが茨城出身なので(常総市)
> Romanさんのブログを2人で読みながら
> (仕事せい!)あーだこーだ話してましたw
> 隣の子は3年間だけ茨城にいたそうですが県民の
> 歌・県民体操をしていたそうです(前にkuroken
> さんから聞いた気もしてるんですが・・・)

ごめんなさい。私は逆に大人になってから茨城人になったので体操や歌なんて何にも知りません。
これで茨城PRはない??

> 県民の日は学校お休みなんですか?
県民の日はたしかTDLが安かったような? これもパスポートが期間限定で安くなるとか。
子供も大きくなったし、ほとんど行かないけど・・・・。また混むらしいね。
学校は良くわからないけど、公立は休みかな?
茨城県
茨城県の話題が盛り上がってきましたね。生粋の茨城県民として嬉しいです。県民の歌 空には筑波 白い雲 野には緑をうつす水 この限りない大地に生まれ 明るく生きる喜びを 明日の希望が招くのだ 茨城 茨城 我らの茨城 ずいぶん昔 覚えたので間違っていたら悪しからず それにしても石岡市って石の岡が有ったりも…
Re: 茨城県
みーさん
こんばんは。
いいですね。
都会でも県民が堂々と歌えるようなまで広めたらいですね。
残念ながら知りませんでした。

> それにしても石岡市って石の岡が有ったりも…
これも私もこの小高い台地固い石の上にあるって気持ちになりますが、違うと多くの人に言われています。
(国府)→(こくふ)→(石阜)→(石岡)だとさんざん言われました。
本当のことは不明です。

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