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筑波には何の花が似合う?

今日は日中汗ばむくらいになったが、ようやくススキの穂が出てきた。
「富士には月見草がよく似合う」と太宰治は富嶽百景に書いている。
場所は河口湖から甲府へ向かう御坂峠の茶屋である。
今は峠の道はトンネルとなって通る人もほとんどいないため、太宰の碑はトンエルの入口にあったと思う。
しかし、この道は昔の国府(甲斐)に向かう街道であったはずである。
甲斐府中は一宮御坂インターの近くである。甲府に中心地を定めたのは大分後からで、本来の甲斐府中(甲府)は御坂あたりである。
御坂峠のすぐ近くに「三ツ峠山(1785m)があり、雪がある時を含め数度登った。
とにかく富士山の絶景ポイントなのである。また岩場などもあるので岩山登山の訓練場としても知られている。
また、多少足が丈夫であれば登山は安心して登ることができる山でもある。
月見草は夏の夕方に咲く花だ。また、一般にこのフレーズだけが有名になってしまって、太宰の文章をあまり読んだことのない人が多いように思う。少しだけ抜粋しよう。
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河口局から郵便物を受取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布を着た青白い端正の顔の、六十歳くらい、私の母とよく似た老婆がしゃんと座っていて、女車掌が、思い出したように、みなさん、きょうは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの詠嘆ともつかぬ言葉を、突然言い出して、リュックサックしょった若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆって、口もとを大事にハンケチでおおいかくし、絹物まとった芸者風の女など、からだをねじ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。
けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶でもあるのか、他の遊覧客とちがって、富士には一瞥も与えず、かえって富士と反対側の、山路に沿った断崖をじっと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないという、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思って、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるように、そっとすり寄って、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやった。
老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草」
そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には月見草がよく似合う。
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 もし、この話を読んでいない方がいれば、今までロマンチックに、このフレーズから受けていた感じ方が変わったように思いませんか?それとも私もこの文章の老婆の年に近づいてきているからなのか?
私も今からでも遅くないので、もう少し小説にも触れていきたいと思う。
そうしないと、ブログといえども「文章がなってない!」なんてお叱りの声が聞こえてきそうでもある。

 さて、近くの筑波の霊峰には何の花が似合うのだろうか?

近況 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/10/05 20:16
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