萬歳藤(城里)
通りがかりに見つけた「萬歳藤」。
水戸光圀が名付けた藤も今は規模も小さくなったとのこと。

<現地案内板>
元禄11年(1698年)頃は大きな藤で、一部は大木にからまり、また一部は数十坪の地面をおおい年々見事な花を咲かせていた。
水戸藩主義公(光圀)がこの藤花を激賞し萬歳藤と命名して花宴を催したという。
天保4年(1833年)10月に列公(斉昭)も訪れ、次の詞を残している。
西山の君の愛し給う藤の枯れ 元木より芽の出ずるを見て
「咲く藤の花なき頃に来て見れば めぐみのもとにあるぞ楽しき」
水戸光圀が名付けた藤も今は規模も小さくなったとのこと。

<現地案内板>
元禄11年(1698年)頃は大きな藤で、一部は大木にからまり、また一部は数十坪の地面をおおい年々見事な花を咲かせていた。
水戸藩主義公(光圀)がこの藤花を激賞し萬歳藤と命名して花宴を催したという。
天保4年(1833年)10月に列公(斉昭)も訪れ、次の詞を残している。
西山の君の愛し給う藤の枯れ 元木より芽の出ずるを見て
「咲く藤の花なき頃に来て見れば めぐみのもとにあるぞ楽しき」
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