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紙街道

 今日は先日紹介したフクロウの神社(鷲子山上神社)の続きです。

torinoko001.jpg
 鷲子山上神社の楼門。1552年の建築でとても見事なものです。

しかし、テーマは紙街道(和紙)です。

この鷲子(トリノコ)から美和を経由して常陸大宮を通って常陸太田へ出る国道293号線は江戸時代には「紙街道」とも呼ばれた道でした。

それは、この鷲子地方から小瀬地方が良質の紙(和紙)の生産地として非常に栄えていたのです。
和紙はまた久慈川をさかのぼった方でも盛んに紙漉き場があったようです。

ところで、トリノコ紙(かみ)って聞いたことがありますか?
調べてみるととても面白いですね。

鳥の子紙は雁皮(ガンピ)、コウズ、三椏(ミツマタ)などを原料にして作られた高質な和紙の呼び名で名前の由来としては、

「文安元年(1444年)成立の『下学集』では、「紙の色 鳥の卵の如し 故に鳥の子というなり」と説明している。また『撮壌集』には、「卵紙」と表記している」

と書かれています。

しかし、漢字の「鳥の子」に対して「鷲子」とも書くと書かれているものもあります。

一方トリノコ用紙と引くと「模造紙」のことで、愛媛県や香川県などで主にそう呼ばれているそうです。
またその他の地方でも模造紙といわずに、サイズから「B紙」、材料から「ガンピ」などと呼んでいる所もあるそうです。

ではこの模造紙ですが、これは和紙ではなく洋紙で、日本の「トリノコ和紙」を模造して造ったので模造紙といわれていると書かれています。

しかし、漢字の「鳥の子」に対して「鷲ノ子」とも書くと書かれているものもあります。

紙の歴史をたどると、エジプトで発明されたパピルスがもっとも古いとされていますが、現在のように植物繊維を水に溶いて漉く方式の紙は中国で約2000年前に発明されたものです。
日本に入ってきたのは西暦610年頃に高句麗の僧、曇徴によって製紙法が伝達され広まったと伝えられています。

今から1400年くらい前です。

さて、今回のブログの出発点「鷲子山上神社」の創建についての記事を読みなおしてみました。

「大同2年(807)に大蔵坊宝珠上人が諸国遍歴中に四国の阿波国(徳島県)に立ち寄り、製紙業が盛んであることを知り、紙漉きの技術と共に守護神である天日鷲命(あめのひわしのみこと)を勧請し、鷲子山に社殿を建立したのが始まりといわれます。」

となっています。すなわち1400年前に伝わった紙漉き(かみすき)の技術が、四国阿波地方で広がり、それが1200年ほど前にこの地に伝わったことを示す神社と言えます。

そして、この地で製紙産業が盛んになり、紙を水戸や江戸に運ぶ道として現国道293号線は栄えたのです。

この鷲子の和紙は質が良く、明治の選挙の時の投票用紙にも選ばれたとありました。

和紙と鷲なんていうのもダジャレではないですが意味があるのかもしれません。

鳥の子紙は上質の和紙の代名詞となり、その技術が高く評価され、日本政府が1867年のパリと1873年のウィーン万博にこの手漉きの和紙を出品して日本の優れた技術が世界に知られるようになったのです。
特に絵を描いたり、壁紙とするのにとても良かったといいます。

その日本の「鳥の子紙」を真似てオーストリアで模造紙が造られ、今では洋紙が主流になってしまったのです。

ここ鷲子山上神社のある地方が「トリノコ紙」の名前の由来になったとの証拠はわかりませんでしたが、逆にトリノコの名前が先にあって、この地に伝わって地名になったのかもしれません。

むかし、街道に立てられた道標に「はとうからすやまとりのこみち(馬頭・烏山・鷲子道)」も「鳩、烏、山鳥の小路」なんて言われたそうですから、昔から山深い里ではあったのですね。

また、江戸時代には水戸藩指定紙漉き場となり、徳川光圀(水戸黄門)は家来の松之草村小八兵衛(風車の弥七のモデルになったともいわれる人物)の進言で、城内の侍女たちを寒中に見学に遣わして紙の尊さを知らしめたといわれています。この風車の弥七と妻の墓や紙漉き場跡に建てられた紙の資料館もあります。

街道沿いには農協経営の緒川物産センター(農産物直売所)「かざぐるま」もこの名前からとったものでしょう。


(物産センター「かざぐるま」と「紙のさと和紙資料館」(風車の弥七と妻の墓はそのすぐそば))

弥七の墓などは、前にブログで紹介しているので今回は省略します。

また、水郡線(久慈川)沿いの西ノ内では今でも手漉き和紙が作られ、見学・体験・販売が行なわれています。

紙漉き体験は予約が必要ですが、和紙も独特の美しさがあり、展示品を見るだけでも楽しくなります。
袋田の滝見物などの帰りに立ち寄られたら良いと思います。

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鷲子・美和・高部 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2011/10/12 06:49
コメント
紙街道
お早うございます。和紙の歴史、そんなに古いとは 驚きました・ 和紙の原料、こうぞ みつまたも沢山有るのでしょうね・ 風車の弥七と妻のお墓、以前訪れた時なぜ山の斜面の寂しい所なのか!が不思議に思いました・和紙街道も素敵ですが 今年から水郡線の名称が奥久慈清流ライン、とても良いネーミングデスよね・
模造紙
 こんにちは。小学生の頃、学習発表会や夏休みの自由研究などで、よく使った「模造紙」。そのネーミングの由来は、日本の「トリノコ和紙」を模造したモノだったからなんですね~。初めて知りました。面白いですね~☆☆こういう雑学大好きです☆
良質の和紙ができた、ということは、良質の水もあったということでしょうか?
目から鱗
こんにちは
鷲子山上神社が歴史的に由緒ある神社だとは思っていましたが、
詳しい事は何も知りませんでした。
烏山の和紙は馴染みがあり、高校の卒業証書にも使われていました。
繋がりが有ったんですね。目から鱗でした。
ありがとうございました。

馬頭、烏山、湯津上、黒羽と近隣の寺社仏閣も好いですよ。
是非お出かけください。
Re: 紙街道
みーさん
コメントありがとうございます。

> 和紙の原料、こうぞ みつまたも沢山有るのでしょうね
・・・やはりたくさんあるようですよ。私は見てもよくわからないのですが植えさせたようです。

> 風車の弥七と妻のお墓、以前訪れた時なぜ山の斜面の寂しい所なのか!が不思議に思いました
・・・こんなところにも行かれたのですか。トイレの名前が面白いですよね。

> 今年から水郡線の名称が奥久慈清流ライン、とても良いネーミングデスよね
・・・そうですか。知りませんでした。いい雰囲気ですね。
震災後はしばらく動かず、動いても客足が少ないのですが、意外に放射性物質少ないのですよ。
もっと人が行ってくれるといいんですが。リンゴ狩り500円です。
去年行ったところから案内のハガキが来ましたが、今年は心配ですね。
Re: 模造紙
べあべあさん
ご無沙汰です。

> ☆☆こういう雑学大好きです☆
・・・書くのも毎日なので最近少しネタ切れ?
頑張りますね。

> 良質の和紙ができた、ということは、良質の水もあったということでしょうか?
水は大変重要だったようですから、きれいな水が豊富にあったのでしょう。
Re: 目から鱗
fumiさん
こんばんは

この鷲子山上神社を建てた上人は馬頭の出身の人ですね。
延喜式の神社の所在地などを見てもここに昔の通りがあったように思っています。
馬頭の方から三春などがつながっていたのでしょう。

> 繋がりが有ったんですね。目から鱗でした。
そうおっしゃっていただけると調べた甲斐があります。
最近時間に追われてしまい調べも中途半端なので・・・。

> 馬頭、烏山、湯津上、黒羽と近隣の寺社仏閣も好いですよ。
・・・行ってみたいですね。ゆっくり散策して見たい気分です。


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