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茨城の県名(3)-野の佐伯、山の佐伯

 茨城の県名の由来についての話の3回目です。

さて、今までの2回の記事で、少し違っていることもありそうですが、引用したりする場合は自己責任でお願いします。あまり内容はあてになりません。

 さて、きのうの話の続きですが、観光案内所で聞いた、貝地のスーパーの前に行くと下記のような看板が道路沿いに立ててあります。

kenmeihi.jpg

数年前に探した時は風雨で字がほとんど読めなくなっていましたので、かなり前に立てられたものだと思いますが、昨年春に上のようなきれいな看板に書きかえられました。

 ここに書かれている内容は「常陸国風土記」の内容に基づいています。

しかし、左の原文(漢文)と比べていただければわかりますが、原文とは少し違いがありますし、注釈を付けないと理解しにくい内容だと思います。
このまま読んで馬鹿正直に信じる人がいるのでしょうか。多くの人は、お話程度によものでしょうね。

原文では
1)「古老いわく」ですから、本当かどうかわからないが、地元でそのように伝わっているお話です。
2)「昔、国巣あり」と続きます。国巣(くず)とは蝦夷などの原住民のことです。これはもう常識です。
3)「野の佐伯」「山の佐伯」についても、何の解釈もされていません。
  何故?? 普通は但し書きくらいつけますよね。

さて、この佐伯は調べると面白いのがたくさんネットで出てきます。

もっとも面白かったのは、この佐伯については『 日本書紀 』景行天皇51年条に、

日本武尊が東国遠征の際に捕えた 蝦夷(えみし)(東部 北部の原住民)を伊勢神宮に献上したが、昼夜なく騒がしいので播磨 讃岐 伊予 安芸 阿波に移して住まわせた。

と書かれているという(確認していません)。

これが西国の佐伯なのでしょうか。

佐伯とは朝廷の命令を「さえぎる」という意味だとすると、「朝廷に抵抗する部族」で蝦夷のことにもつながります。

佐伯が常陸から播磨 安芸 阿波 讃岐 豊前などの瀬戸内海沿岸にいって、主に製鉄の技術を持った集団だと考えるのもおかしなことではなさそうです。

平安時代の空海(弘法大師)が実は讃岐の佐伯直(佐伯部を取りまとめる人)の出身と言われているとありました。本当でしょうか?

 さて、茨城の名前発祥について、もう少し調べて見るため、図書館で、「八郷町史(平成17発行)」を図書館で借りて読んでみました。

「八郷町史」は合併の前に八郷町としてまとめたもので、前からあったもの(民族的な伝承が多かった)と両方を合わせないとならないようになっていますが、この茨城の名称については、新「八郷町史」に書かれていました。

第二節「常陸国風土記」「万葉集」と八郷町史の中の「茨城の由来」という項目です。

ここには、通り一辺の

1)「常陸風土記」に書かれた茨城郡の地名起源説話・・これは上に述べた貝地(茨城(バラキ)台近く)にある市の看板と同じ

2)茨が生い茂っていたことによる地名で、城は周囲が囲まれてまとまっている所

3)「ウバラキ」は「大針」で、鹿砦のことを「ウバラ」といい、木柵で囲んだ根拠地のこと

4)多臣系中臣氏族の「オオ」にちなんでつけられた「オバラ」がもとの名

5)「ウバラキ」とは「野バラが群生しているところ」という意味

6)「ウバラキ」、「ムバラキ」は「ハラキ」が元で、林野を開いて原にすることを表わした名

7)「ウバラキ」の「ウバ」は「崖地」を指す言葉

などをあげており、この八郷町史の編者は最後の「崖地」を有力としています。

私が気になったのは、次の下りです。

「ただし、「茨城」という地名の由来について考えるさいに注意しなければならないのは、「茨城」という地名の起源になったの地は、那珂郡の茨城郷であって、茨城郡の茨城郷ではないということである。」

この根拠として「常陸風土記」の茨城郡条の文章をあげています。

「いわゆる茨城という地は、今は那珂郡に属してその西部にあるが、昔はそこに茨城郡の郡衙が置かれていたから、まさにそこは茨城郡の内で、土地の言いならわしに、水をいとおしむ茨城の国という」

すなわち、常陸風土記が書かれる(720年頃)より前に茨城郡があって、その中心が場所を変えたと考えられることです。

また「茨城」は和名抄では「牟波良岐」と書かれており、「ウバラキ」または「ムバラキ」と読んだのではないかともありました。(鈴木健著 常陸国風土記と古代地名)

 常陸風土記の時代には「那珂郡」になっているある場所が最初に「茨城郷」と呼ばれていたのだが、土地の区分けを変更した際にこの場所が「那珂郡」に入ることになり、「茨城郡」の中心を茨城郡の中にあった今の石岡の地に定めたという解釈がもっとも理解しやすいのです。

そうすると、「茨城(イバラキ)」の名前が最初についた地は石岡ではないことになります。

まあ、あまり気にするほどのことでもないし、大昔のことなど好きに解釈しても誰もわからないのかもしれません。
自分で考えて一番素直に理解できることを自分の理解として吸収していくだけです。

イバラキなどの発音は今風ではないですね。「いば☆らき」「大☆好き」な人が増えるといいなって思います。

この続きは次回へ。


・・・以下は記事とは別の余録です・・・・

昨日ある方のブログに四国へチャリ旅行で行っていて、高知県の「奈半利(なはり)」という地名が変わっているとあったので以下のようなコメントを書いた。

さて、奈半利(なはり)って面白い地名ですね。
土佐日記に「那波の泊」と出てくるところだそうですので漢字は当て字ですね。
「り」は里でしょうから、「なは」の里でしょうね。
「なは」は沖縄の「那覇」と同じですね。
基本的には湊を意味する言葉だと思います。
「難波」「名張」なども同じかもしれません。
すべて文字がなかったときの縄文語(今はアイヌ語)ですね。
大歩危・小歩危のボケ=ポケ=崖地なども縄文語ですね。
違っているかもしれません。
その時は「ごめんなはりませ」(後免-奈半利)・・・後免と奈半利をつなぐ道路があるので。

このコメントを書いていて、ふと茨城の「那珂湊」を思い浮かべてしまった。関係あるのかな?

また「後免」(ごめん)なんてのもとても変わっていますね。
わからない地名は、ほとんどすべて漢字から意味を考えないことですね。

多くの難読地名は漢字や文字がない時から伝わってきたものに後から漢字を当てはめているのですね。

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茨城の県名 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/10/22 06:15
コメント
No title
歴史の影に _忘れ得ぬ人たち
という本が詩人の石川逸子さんが出されています
一番最初が「佐伯の末裔」です
おもしろいのでおすすめします
ののはな様
コメントありがとうございます。
この茨城の地名の話しももう大分前に書いたものですので、こうして今も目にされている事に感謝です。
本のご紹介ありがとうございます。
探してみます。

佐伯氏も空海をはじめ多くの活躍した方がいますね。
四国にいった佐伯部から派生したようですが興味深いですね。
参考にさせていただきます。

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