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馬頭院(那珂川町)

 乾徳寺に続いて訪れた「馬頭院」を紹介します。 本日2回目の更新です。

広重美術館の乾徳寺とは反対側の横の道を少し行った高台に馬頭院はあります。
ここに行く気になったのは、すぐ近くということもありますが、江戸時代に10万石の格式を貰っていたと聞いていたからです。

ちょうど町を見下ろすような位置に立っていました。

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「武茂山 十輪寺 馬頭院(真言宗)」 1217年に京都醍醐寺 光宝法印大和尚(中納言藤原光雅の子)の開創。
平安時代の作とみられる「延命地蔵菩薩坐像」は県の重要文化財に指定されているそうです。

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1692年に水戸光圀が十万石の格式を与え、朱印寺とした。
光圀は参詣の記念に「枝垂栗」を植樹した。これが今の県の天然記念物に指定されている枝垂栗だ。

写真の木がこの枝垂栗だが、これはたしかに見事な木だ。三度栗ともいわれるらしい。
理由を調べたら、約15日の間をおいて3回開花するためだそうである。それにしても樹齢300年の栗の木も初めてみた。

うしろは「本堂」(金堂)です。立派な本堂です。

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こちらは「観音堂」。

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観音堂の横の石段を登ったところに「地蔵堂」がある。
この地蔵堂は後ろから見ると町を見晴らすように建てられたのがわかる。
屋根の形もいいですね。

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鐘楼堂。境内の一番町に近いところに置かれています。

境内のこの鐘楼の近くに「御霊馬堂」という建屋がありました。お堂の中には造り物の馬が置かれていました。
馬頭と言うくらいですから馬が大切にされたのでしょうか。

今回茨城県を離れて栃木県に来てしまいましたが、この馬頭町(現那珂川町)は常陸国の一部でした。
そのため、水戸光圀公のお出ましとなったわけです。

武茂氏が佐竹氏の配下になり、秋田に共に転封されたのですから、これも何かの縁もあるのでしょう。

常陸国に絡んだ歴史の1ページに組み入れてもよさそうです。

また、ここ馬頭は日本で最初に金が発見されたことで知られ、奈良の大仏殿建立のために、ここから金を大量に運んだと記録が残っているそうです。



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馬頭(那珂川町) | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/10/29 17:47
コメント
No title
こんばんは。立派なお寺が続きますね。そして馬頭町がもとは常陸国だったとは知りませんでした。
ところで最後の朝鮮人の話は入りませんよ。日本人のすごいところは、漢字でも仏教でも中国、朝鮮から入ってきてもっとすごい文化にしたことです。朝鮮から人がきて文化を伝えてもそれをそれ以上のものにしていった日本人がいるから今も多くの文化が日本にはあるんです。最近のいろんな問題を見てるともっと日本人は毅然とした態度で朝鮮人に接していいと思います。
Re: No title
troyさん

色々と調べると必要なこととそうでないことも知らないといけないこともありますが、
現在の隣りの国は滅んだ王朝が自分たちのルーツとして宣伝教育までしています。
まともに話してもしょうがないのでとりあえず書かない方が無難ですね。
ご忠告と思い、後ろの方はとりあえず削除しておきます。

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