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茨城の県名(8)-黒坂命古墳

 先に茨城の県名の由来記事を書いてきました。
一応は小原神社を紹介して終わっているのですが、関連した記事を少し続けたいと思います。

茨城の名前については常陸国風土記に書かれている「黒坂命(くろさかのみこと)」なる人物が、この地に住む「野の佐伯・山の佐伯」を茨で穴や洞窟を塞いでやっつけたことが名前の由来だと書かれています。
これについては疑義があると書いてきました。

ではこの「黒坂命」とはどんな人物だったのでしょうか?
この頃の英雄はほとんど、どこかの神社に祀られ、良くわからない神様になっています。
しかし、この黒坂命はこれだけの活躍をしたにもかかわらず、死んだとされる日立市十王町の「黒前(くろさき)神社」に祀られているだけです。

調べて見ると「多氏(大氏)(おおし)」の系統の人物だったと思われます。多氏は、九州から大和に来てそして常陸の鹿島地区に来た氏族の中臣(かなとみ)=後の藤原氏の祖?と同じです。

県名の由来に書かれるにしてはあまりはっきりしたことがわかっていない気がします。

常陸国風土記では日立市十王町の竪破山(たつわれさん)で亡くなった黒坂命のなきがらを乗せた車が、この山から日高見之国に向かい、この時の様子から幡垂(はたしで)の国といったが、後に縮まって信太(しだ)の国といふようになったと書かれています。

そして、江戸時代に発見されたという美浦村にあるこの黒坂命の古墳(弁天塚古墳、大塚古墳等の呼び名がある)を見に行ってきました。

kurosaka01.jpg

前に何度か探したのですが、良くわからずに断念をしたくらいわかりにくい場所です。
見つけて見れば何のことはないのに、まさかこんな場所といった感じでしょうか。
すぐ隣りは一般の家が建っています。

kurosaka03.jpg

すこしこじんまりとした小山の円墳です。
山の上から霞ケ浦が見えます。周りは田圃など低い低地が霞ケ浦まで続きます。

kurosaka04.jpg

山の頂上には由緒らしき説明の石板と新しい五輪塔らしきものが置かれています。
古墳の上り口の説明看板には「村指定文化財」となっており、「1847年に古墳の中腹にあった稲荷社を塚上に移す際石棺がはっけんされ、江戸時代末期の国学者色川三中(土浦市出身)が「黒坂命墳墓考」として記録されています。・・・・」

と記され、黒坂命の墓ではないかと考察したとしています。しかし、この時に発見されたとしている石棺や鏡、剣、甲冑などがたくさん記録されていますが、何も残されていません。

kurosaka06.jpg

この古墳は下で海抜5~6m、頂上でも10mくらいです。
さて、黒坂命がこの地に来たのはいつごろなのでしょうか?
これは前に書きましたが、ヤマトタケルよりも数十年前の3世紀後半から4世紀初めだと思われます。

この古墳は2005年の筑波大考古学研究室の調査で、古墳の形態から古墳時代中期前半と思われますと、案内板にも書かれています。そうするとやはり5世紀半ばくらいのものでしょう。
黒坂命の年代は特定されていませんが、時代が合わないように思います。

mihomura.jpg

国土地理院の地図から標高5mのところまで水位が高かったとしたら、水はすぐ麓まで来ていたことになります。(上の地図の左側少し突き出している所=弁天塚古墳と表示)
ここにきて、この古墳が黒坂命の古墳とはどうしても考えられないという思いが強くなりました。
江戸時代の学者が書いているといっても、可能性を述べているだけで、現在は確認の術は何もない状態です。

上の地図で緑の部分が5mの高さの時の水位。陸平貝塚のあるのは右側の島。

縄文時代は、少なくとも10~15mくらい水位が高かったと思いますので、5000年くらい前はこの古墳の場所は水没していたところだし、陸平(おかだいら)貝塚の場所も完全に島になっていたように思います。



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茨城の県名 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/11/03 05:27
コメント
No title
こんにちは。

「黒坂命」で「くろさまのみこと」と読むんですか?「くろさかのみこと」じゃなくて?

(いえね…『くろさま』なんていうと約1名
『えっへん!』て喜ぶ人がいそうで…)
Re: No title
NINAさん

こんにちは。 あらあら「くろさま」になってしまいましたね。
でも、「くろさま」さまさまですからこれでいいんじゃない。
くろさまに手を合わせておきます。

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