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佐竹寺(常陸太田)(2)

 佐竹寺の続きです。

 佐竹氏は戦国時代に常陸国を統一した武将としてその名が知られていますが、私のいる石岡(旧石岡市)では悪者扱いのようです。

これは、常陸国府(石岡)は平氏(平家とは言わない。平家はここから分かれた一派で、伊勢平氏のみを指すようです)の直系常陸大掾(だいじょう)氏が300年間この地で繁栄してきたのですが、この源氏の家系の佐竹氏に城や町も焼かれ「憎っくき佐竹」というところなのかもしれません。

そうはいっても、石岡の地でも秋田に転封になるまでの10年間は佐竹氏の支配下になっていて、寺も再興し、復興につとめたようです。(石岡での佐竹氏の菩提寺は市内の「清涼寺」です)

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佐竹氏の家紋は月丸扇(月印五本骨軍扇)で、扇の骨の本数が5本に赤い満月がえがかれています。

これは、源頼朝(八幡太郎義家の直系)の奥州征伐に佐竹秀義が印のついていない白旗(源氏は白旗)で参加し、源氏の旗と区別がつかないので、手に持っていた扇に丸を書いて渡したものだといわれています。

しかし、これは一般には「日の丸扇」と呼ばれるようです。

日の丸を家紋にすることは、戦国時代でも日本を表しているとの認識があり、天皇家に対して問題があり、月丸と称して、こっそりと「日の丸」と言ってきたのでしょう。

秋田には「日の丸醸造」なる古い歴史を持つお酒の会社があります。これもこの家紋から名付けたようです。

また秋田藩の江戸上屋敷があった東京神田には「佐竹稲荷神社」があり、この社紋は「扇に日の丸」といわれ、明治初めに付けられた新町名の(神田)旭町の由来はこの日の丸扇と言われています。

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お寺の柱や壁には一面に「千社札」が貼られています。
ものすごい数ですね。江戸時代中期頃から、このような自分の名前や屋号などを書いたお札を刷って(木版画)、おまいりした寺院に貼ることが流行ったそうです。

自分の名前を貼ることで、何時でもそこにいて、お参りしている気持ちになったのでしょう。
(日帰りで行っても、札を貼っておけば、貼ってあるあいだは功徳が続くと思われたようです)

今はこの本堂は国宝(室町時代の建造物)ですので、勝手に貼ったりはできないでしょう。

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佐竹氏の系図はかなり興味深いものがあります。

常陸介として常陸国にやってきた新羅三郎(源)義光の長男が後継のいなかった義光の兄 源義綱のところに養子に入り、義綱死去後に常陸国に常陸平氏の娘を妻にむかえていた縁で常陸に土着します。
そして佐竹郷に住み、「佐竹氏」となります。

一方本当の父義光はその後、次男を立てて常陸の武田郷に住み「武田氏」となります。
その後甲斐国に常陸より追われて行き、「甲斐武田氏」が誕生します。

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江戸時代にはすでに佐竹氏は秋田に行っておりましたが、この地には佐竹氏を偲んでいろいろなものが残っているようです。

この前に紹介した「西山荘」はこの佐竹の里に黄門さんこと水戸光圀は隠居所を建てたのです。

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常陸大宮・太田 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/11/09 06:14
コメント
No title
おはようございます。
私の大好きな佐竹氏の話、興味深く読みました。佐竹寺も行ったことがありますがとても素晴らしい寺だと思います。
ところで水戸が御三家になったのも、光圀が西山荘に隠居所を作ったのも佐竹も残党を見張るためだとか聞きました。江戸初期に佐竹の重臣が反乱を起こしたとか。いろいろ調べてみたいことがあります。
また記事と関係のないことを書いてすいません。
Re: No title
troyさん
おはようございます。
意外にこのいきさつははっきりしていませんね。
間違っている可能性もありますが、武田氏側に日章旗がわたっており
このいきさつが気になって調べたことがあります。
色々な情報が入り乱れ整理できていません。でも面白いですよね。

また、水戸様の情報ありがとうございます。面白いです。

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