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静神社(2)

今日は先日の「静神社」のつづきです。

この前から西山荘、佐竹寺、静神社と書いてきたのだが、西山荘をこの常陸太田の地に建てたのは佐竹氏の残党が多いこの地でその監視を考えて建てたとの話をいただいた。

そして、この前の静神社については馬頭(現那珂川町)にも静神社があると教えていただいた。

それで、私の疑問がかなり解消された。

水戸黄門(光圀)はやはり色々と細かなところにも目を配っていたのがわかりますね。

この静神社も神仏融合の霊場であったのを水戸光圀が神社のみにし、社殿などを新たにまた立派に再建したのです。
一方馬頭は当時は水戸藩の領域で、ここには「武茂(むも)氏」がいて、佐竹氏とともに秋田に移っています。
そして、馬頭の静神社も光圀が昔からあった神社を再建しています。やはり関係がありそうです。

これはこのブログを読んでコメントをいただいた人の情報からハッと気がついたことです。
ブログを書いていると色々な情報を寄せていただいて更に調べてみたくなる。いいですね。

さて、常陸国風土記に書かれていた内容がやはり気になっています。

この静織の里=倭文の里はもちろん興味ありますが、もう一つメノウ(瑪瑙)が採れたという玉川があるのです。
この常陸大宮市を流れる玉川を調べて見ると、江戸時代にはここで採れたメノウが高級火打石の「水戸の火打石」としてかなり有名だったようです。

今でも玉川の近辺で時々見つかるらしく、かなりたくさん採れたようです。
火をおこすのは火打石を鉄などの受け台にこすりつけて火花を飛ばすのだそうだ。
火打石を二つをこすりつけても火花は出ないそうです。

それにしてもこの近辺には金鉱や錫高野なる地名もあるので錫も採れたのだろうと思う。
佐竹氏の隠れ金山などというと、甲斐武田氏の隠れ金山を思い出しますが、同じ源氏の佐竹氏と甲斐武田氏の地がどこか似た地形なのも面白いですね。

さて、静神社に話を戻すと、静神社は水戸藩の祈願所となり、徳川光圀が、寛文七年(1667年)十月仏寺を分離し、神社とし、本殿・拝殿・神門・玉垣・神楽殿等を新に造営したという。

しかし、これらの社殿は、天保十二年(1841年)火によって焼失し、多くの神宝、古文書等も失ってしまったそうだ。

現在の社殿は、その焼失後、九代藩主徳川齊昭によって再建されたものだという。

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本殿。

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「元御神木」
拝殿向かって左手前にあった杉の御神木。
天保の火災で枯れてしまったが、その前までは”千度杉”と呼ばれ、願い事をして、木の周囲を千回回る習慣があったそうです。

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養蚕・織物関係 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/11/12 08:00
コメント
No title
こんばんは
常磐道から馬頭に帰った時に静神社の存在を知りました。
立派な神社ですね。今度機会があったらお参りしたいと
思います。

時々帰るだけの夫の実家ですが、最近は馬頭が落ち着く
家になりました。詳しいことは何も知らずにいましたが
Romanさまのお蔭でもう少し詳しく見聞きしたいと
思うようになりました。ありがとうございます。
Re: No title
fumi様
こんばんは。
こちらこそ教えていただきイメージがつながりました。
馬頭にも興味が持てるようにもなりました。いいですね。
そういえば鷲子山上神社を建てたのはたしか馬頭のえらいお坊さんだったように思います。
阿波から紙漉きの技術を伝えたのだと聞きました。
色々なことがつながっていますね。

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