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長幡部神社(常陸太田)

 先日から常陸太田周辺(西山荘・佐竹寺・静神社)を紹介していますが、実はこの太田の地に行った目的は、今日紹介する「長幡部神社(ながはたべじんじゃ)」にあります。

あまり一般の人が訪れないと思われる由緒あるところを探していくのが好きです。

ここを訪ねる気になったのは常陸風土記の記載されている内容です。

那珂郡の記載に静の里のあとに

「郡家の東七里のところの、太田の郷に、長幡部の社がある。むかし、すめみまの命が天降ったときに、衣を織るために、ともに降ってきた綺日女(かむはたひめ)の命は、最初に筑紫の日向の二上の峯に降り、美濃の国の引津根の丘に移った。後のみまきの天皇の御世に、長幡部の祖先の多テの命は、美濃を去って久慈に遷り、機殿を作って、初めて布を織った。この織物は、裁つことも縫ふこともなく、そのまま着ることができ、全服(うつはた)といふ。別の伝へでは、太絹を織るのに、人目を隠れ家の戸を閉ざし、暗いところで織ったから、烏織といふとも。力自慢の軍人の剣でも、これを裁ち切ることはできない。今でも毎年の良い織物を選んで、長幡部の社に奉納してゐる。」(口訳・常陸国風土記より)

と書かれています。

これはいったい何なのか? 幾つも疑問がわいてくる。

つまり、静神社に祀られている織物(静織=倭文 )とはまた別の織物があって、これは「とても丈夫なので剣でも切れないほど丈夫だ。」というのである。

その織物は初めは日向から美濃の「引津根の丘」に移って、その人々がこの太田の地に移って機を織ったというのである。

まず行ってみると、ここは常陸太田市街地の東側を流れる「里川」のすぐ近くであり、川を越えてすぐのところにありました。

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手前の幼稚園の裏手に公民館があり、そこに車を止めて、住宅地の間を抜けて神社の入口に到着した。
すると、左右にものすごい切りとおしがあり、その間の石段を登って行きます。

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少し登って振り返るとこんな感じ。これはいつからこのような切りとおしになっているのだろう。
鎌倉にもたしかあったと思うが・・・。

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切りとおしを登りきると開けた原に出て、右手に鳥居と神社が見えてくる。

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なかなか古めかしい感じの神社だ。

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さて、長幡(ながはた)とは絁(あしぎぬ)という絹織物(一説には絹より太い糸の織物)のことで、美濃絁(みののあしぎぬ)が有名だというので、この風土記の記述と関係してくる。
部(べ)は長幡を織る人達という意味である。

後の紬(つむぎ)の基となったものと解釈されており、この長幡部神社が、「今関東に広がる名声高き結城紬を始め絁織物の原点の御社であり、機業の祖神と仰がれる」と説明書きには書かれています。

静神社は倭文(しず)織で、この長幡(ながはた)は紬の原型だと書きましたが、問題は、この長幡を伝えた先祖について、「綺日女(かむはたひめ)の命が、最初に筑紫の日向に降り、美濃の国の引津根の丘に移った。後に長幡部の祖先の多テの命は、美濃を去って久慈に遷り、機殿を作って、初めて布を織った。」と伝えられていることです。

日向(ひゅうが)は置いておくにしても、この美濃国の「引津根の丘」とはどこでしょうか?
調べてもあまりはっきりとすることがわからないのですが、美濃国一宮である岐阜県垂井町にある「南宮(なんぐう)大社」の境内に「引常明神」という神社があることがわかりました。

しかし、この引常明神は大きな石で「磐境石」というもので、その裏手に小さな鳥居があり、そこには「湖千海(こせかい)神社」と書かれているそうです。
この湖千海(こせかい)神社は、潮の溢涸をつかさどる豊玉彦命を祀っているそうで、ここから海に出て黒潮に乗っておそらくこの常陸の地にやってきたと思われます。

この引常明神の由来を調べると「曳常泉という泉があり、神仙界の霊気を常に引寄せる泉で、引常明神とも呼ばれている。聖武天皇が大仏建立を願い、この霊泉を汲んだという」と書かれていました。

この引常神社はこの南宮大社に合祀されたもので、どうも近くの何処になるのかはっきりした資料はありません。南宮大社の東側に「綾戸」「表佐(おさ)」などの地名があり、この辺りと考えられます。
昔はこの近くまで海がきていて、この辺りが少し丘になっていたので、引津根の丘と呼ばれたのでしょう。

この織物を伝えたのはどんな氏族だったのでしょうか? 興味はありますが、はっきりしませんのでまた時間を置いて調べてみたいと思います。

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長幡部神社の本殿。

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神社の入口に展示室?があり、中に機織りの機械などが置かれていました。
お祭りなどで披露するのでしょうか。ほこりをかぶっていますので、あまり使われてはいないようです。

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この神社のすぐ近くに幼稚園があり、その裏手に公民館があります。その公民館の隣りに「機初(はたそめ)小学校跡地」の碑が置かれていました。

現在の機初小学校はこの神社から1kmくらい北に移ったようです。この地域全体が「はたそめ」と呼ばれているようです。

岐阜や愛知は機織りが盛んで、今でも多くの地名が残っています。

トヨタ自動車のある愛知県豊田市は元々の地名は「挙母(ころも)」と言う地名でした。
それが、豊田自動織機製作所ができ、その中に1933年自動車部が誕生したのですが、これが自動車の売り上げが伸び1959年に「豊田市」に名前が変わってしまったのです。

この挙母(ころも)は衣のことで「許呂母」とも書いていたようです。もともと生糸の町であったようですが、世界のトヨタに名前まで変わってしまったようです。

1000年以上前からの歴史が忘れ去られていくようですね。

この長幡部神社についても常陸太田市のホームページなどをみても扱いがほとんどなく、歴史が泣いているように思ってしまった。
これは我が石岡にも言える。残念なことだ。



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養蚕・織物関係 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/11/13 06:50
コメント
先日、美和の道の駅まで行きお蕎麦を食べて来ました。romanさんもこちらの方へ来ているのだなぁと思いながら…随分、遠いデスね。私は、素通りでした!目当ては 出前のサテライトだったので(笑)
Re: タイトルなし
みーさん
美和まで行かれたのですね。
本当に遠いですよね。茨城も広いですね。
私も用事があるので途中であちこち寄り道をしているのですが、
ここにだけなら少し遠いので行けないかもしれません。

道の駅はいつも結構繁盛していますね。お蕎麦はこの道の駅では食べていません。
その前の通りにあるお店(やじか)です。でも似たようなものでしょうね。
そのお店の人は自慢して、違うと言っていましたが。私にはよくわからないです。


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