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陸奥国分尼寺跡(仙台)

 陸奥国分尼寺は国分寺からすぐのところにある。こちらも今「陸奥国分尼寺」という立派な寺がでんと構えていた。

どうやらこの尼寺のあったところに同じ名前で寺を建てたようでもある。これは常陸国分寺でも同じようなものだ。本当の昔の国分寺・国分尼寺というものが残っている所はないと思う。

戦乱の時にほとんどが焼け、その後も繁栄と衰退を繰り返し今ではその礎石を発掘して昔を偲ぶ以外にない。

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陸奥国分尼寺の跡地は国の史跡に指定されており常陸国と同じだが、常陸国は国の特別史跡だ。
地図にある「陸奥国分尼寺」の裏側の塀の横に仙台教育委員会の説明看板が置かれていた。
新寺通りの通りに面する様にあるが、通りを車で通ったり歩いていてもほとんど気がつかないくらいの場所だ。

これは金堂があった場所で礎石が8個見つかったという。この場所しか尼寺の跡はまだわかっていない。
寺は文治5年(1189年)8月に兵火で焼失したと言い伝えられていると書かれていた。
これは源頼朝の平泉の藤原氏攻略の時である。国分寺もこの時に焼失したようだ。

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仙台市教育委員会が掲げた説明看板。

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この金堂跡の裏手が「陸奥国分尼寺」である。一般の方はこの寺がその跡地だと思うので、敷地外のこの場所に来るには寺の外側をぐるっと回ってくる必要があり、知らなければ見付けずに行ってしまいそうだ。

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お寺の正面はこの金堂跡の丁度反対側にある。
入口に「法華滅罪之寺」「護国山国分尼寺」の碑が立派に構えていた。
またこちらには仙台市の史跡の説明板が置かれていた。教育委員会とは違うようだ。

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この寺は、元亀元(1570)年龍泉院二世明屋梵察和尚により中興され、天台宗から曹洞宗に改められたとそうです。
また境内には秀吉の太閤検地で領地を没収された陸奥国和賀郡の領主であった和賀忠親の墓があります。

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鐘楼

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現在この陸奥国分寺と国分尼寺の敷地は国の史跡に指定されているが、わが町石岡市の常陸国分寺跡と国分尼寺跡は両方とも国の特別史跡に指定されている。
これはとても名誉なことで、市民も良く理解した方がいい。

特別史跡に両方が指定されている所は他には無いのだから。
陸奥国では多賀城跡が指定を受けているが、この国分寺などはただの史跡だ。
茨城県でも特別史跡となっているのは他には水戸の旧弘道館だけである。



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番外編 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/12/03 06:31
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