このように歴史は消えていく?
以前行方市や小美玉市にヤマトタケル神話に関するゆかりの神社などを紹介しました。
その中で茨城空港からの道路拡張工事に遭遇して驚きました。
このように便利さを追求して歴史は破壊されていくのかも知れないと恐くなりました。
少しだけ現実を紹介しましょう。

この神社は前にヤマトタケルの神話で東京湾に身を投じて波を静めたという妻 弟橘姫を祀った「橘郷造神社」の入口です。ここから拝殿まで両側には木が生い茂って長い参道が続きます。
しかし、もとからすぐ隣に少し狭い道路が走っていました(行方市羽生と小美玉市与沢を結ぶ道路)。

問題はこの横の道路を神社側に広げるために参道の木がバッサリと切られていました。

もう建設中の道路がそこまで来ています。

神社の参道や拝殿・本殿などはそのまま確保されるようですが、この参道の景観が全く変わってしまいました。

木が切られてしまうとこの神社の持つ意義などが何処かに忘れ去られそうです。
弟橘姫の話もそうですが、この神社の橘郷という万葉集や源頼朝とも関係する由緒ある名前までも何処かに忘れられそうです。
道路を拡張する時に神社の反対側は少し崖になっていて、大分土を盛らないと拡張できません。このため神社側を削ったのでしょうか。

さて、この道路沿いには占部広方の万葉歌碑があり、もう一つ親鸞伝説の「喜八阿弥陀」にまつわる経塚があります。
今建設を進めている道を延長するとこの経塚の史跡をつぶす恐れがありそうです。もうすぐそこまで工事が進んでいます。
もっとも石岡の貝地にある経塚の碑も経塚は道路に引っかかってなくなり、後から道路わきに石碑を建てたものです。このようになってしまうのかもしれません。
親鸞が小石に1文字づつお経を書いて埋めたところと言われているところです。

この通りはそれ程交通量が多いわけではありませんが、行方と茨城空港を結ぶ道路として拡張しているのでしょう。
私にはこのような建設計画は身を滅ぼす結果になるように思えてなりません。
歴史もしっかり検証して、ここに残る祭り「羽生祇園祭」などもしっかり受け継いでいってほしいと思っています。
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その中で茨城空港からの道路拡張工事に遭遇して驚きました。
このように便利さを追求して歴史は破壊されていくのかも知れないと恐くなりました。
少しだけ現実を紹介しましょう。

この神社は前にヤマトタケルの神話で東京湾に身を投じて波を静めたという妻 弟橘姫を祀った「橘郷造神社」の入口です。ここから拝殿まで両側には木が生い茂って長い参道が続きます。
しかし、もとからすぐ隣に少し狭い道路が走っていました(行方市羽生と小美玉市与沢を結ぶ道路)。

問題はこの横の道路を神社側に広げるために参道の木がバッサリと切られていました。

もう建設中の道路がそこまで来ています。

神社の参道や拝殿・本殿などはそのまま確保されるようですが、この参道の景観が全く変わってしまいました。

木が切られてしまうとこの神社の持つ意義などが何処かに忘れ去られそうです。
弟橘姫の話もそうですが、この神社の橘郷という万葉集や源頼朝とも関係する由緒ある名前までも何処かに忘れられそうです。
道路を拡張する時に神社の反対側は少し崖になっていて、大分土を盛らないと拡張できません。このため神社側を削ったのでしょうか。

さて、この道路沿いには占部広方の万葉歌碑があり、もう一つ親鸞伝説の「喜八阿弥陀」にまつわる経塚があります。
今建設を進めている道を延長するとこの経塚の史跡をつぶす恐れがありそうです。もうすぐそこまで工事が進んでいます。
もっとも石岡の貝地にある経塚の碑も経塚は道路に引っかかってなくなり、後から道路わきに石碑を建てたものです。このようになってしまうのかもしれません。
親鸞が小石に1文字づつお経を書いて埋めたところと言われているところです。

この通りはそれ程交通量が多いわけではありませんが、行方と茨城空港を結ぶ道路として拡張しているのでしょう。
私にはこのような建設計画は身を滅ぼす結果になるように思えてなりません。
歴史もしっかり検証して、ここに残る祭り「羽生祇園祭」などもしっかり受け継いでいってほしいと思っています。


何故こんな開発の仕方をするんでしょう
参道は神社のものではないんですか?
国有地? ほかの方のブログにも
コメしたんですが、歴史的建造物を
保存しない「壊して新しくすればいい」的な
やり方では 全てが葬り去られ忘れられ
後に残るのは つぎはぎだらけの味気ない
景観だけなのに・・・
今晩は。
こういうことは止めてほしいのですがどうしたらいいのでしょうね。
行政も知っていてやっているとしたら怒りがこみ上げますし、
知らないとしたらあまりにも自分たちの歴s認識が甘いので驚くし、
誰の土地かは知りませんが、地方では道路が建設される時には自分
の土地を通したがる議員の人がたくさんいるようですよ。
日本人全般に言えますが自国の文化に対する認識がとても欠如した人がたくさんいます。
文化など育つわけもないです。
> 歴史的建造物を保存しない「壊して新しくすればいい」的な
> やり方では 全てが葬り去られ忘れられ後に残るのは、つぎはぎだらけの味気ない
> 景観だけなのに・・・
こんな事も知らない、考えもしないその場限りの開発は多いですね。
中華大陸並みの破壊ですね。
これが今時のこの国の役所の民度でしょう。
も、どうでもいいや。
ヨーロッパの国とアジアの国では何が違うのでしょうか。
文化を壊しても痛みは感じないのかもしれません。
今の市役所があそこにわざわざ引っ越した時に
なにか利権でもあったのでしょうか?
職員が増えた、手狭になった、モータリゼーションが、色々理屈はつけられるでしょうが、いまいち
腑に落ちない。
保健所、市役所、学校とまとまり、駅前には
警察署、消防署、簡裁と揃って公的機関の
コンプレックスが出来上がっていたのに、それ
を全て壊してしまったのだから、人の流れが
変わって当たり前。乱暴なやりかたですが、
この乱暴さの裏になにかあったんだろうな、
と思ってしまうのも無理ないとも、、。
古いものー悪、新しいものー善(実は誰かの
もうけ)と言う風潮は大陸もこちらも同様で
すか。情けないな。
役場が移ったいきさつはわかりませんが、何処かに載っていたような・・・・。
やはり手狭で用地を持っていたところから選んだようです。
利権とは思いたくありません。
意外に安易な選び方で町造りなどはあまり考えていないようです。
今も役場が被災したのでイベント広場に移りたいとか・・・
または議会だけでも立派な八郷の役場に移れば??など。
しかし、市町村合併の特例債の使い道を勝手に考えているだけだと思います。
市内の旧市街地に集中して便利だったのはわかりますが、車社会では駐車場もなく
もっと広域の石岡全体を考えてくれないと困ると思います。
産業誘致、働く場の確保、自然の保護、憩いの場の整理などエリア分けもはっきりしていません。
他所の町を渡り歩いてきていますが、石岡の市街地の人口から言ったらいろいろなものが
まだまとまってあるように思います。
もっと外からの人を集める工夫をしなければ発展はないと思います。
最近神社を色々と調べていて、貴ブログもよく拝見させて頂いています。
豊かな知識と広い視野から考証しているので、とても参考になります。
これは本当に酷い行為ですね。
何でも際限なく開発していけばいいのだと、自然環境や歴史伝統を壊しても、そうやってやっていくんだと、日本の行政や産業界はそういう感覚が強すぎます。
どこもかしこも開発し尽くして、金で言う事聞かせて、世の中がおかしくなったのはこういう考え方に大きく原因していると思います。
開発地域とそうでない地域を別け、自然環境や歴史的な場所は大事に保全すると言う感覚が、非常に薄いのでしょうね。
壊した方が金儲けできるとか、金儲けが優先とか、これでは世の中や心も壊れるだけです。
早くこんな風潮を変えないといけませんね・・・。
これからもうこんな事は、一切起きない世の中にしないとならないです。
コメント嬉しく頂戴しています。
> 最近神社を色々と調べていて、貴ブログもよく拝見させて頂いています。
> 豊かな知識と広い視野から考証しているので、とても参考になります。
とてもうれしいです。知識はそれほどないのですが、調べることは好きです。
> これは本当に酷い行為ですね。
今ある神社などを回ってみると道路開発のために場所を移したものもたくさんありますね。
ただ、今回のものを見ていたら、道路の場所を決定して地権者と決めたのでしょうが、
あまり納得のいく作り方ではなかったです。
もう少し選定方法もありそうに思います。
地域振興のために道路も必要ですが、歴史ある神社・史跡などを大切にしていくことも
地域住民の人たちも真剣に考えていかなければならないと思います。
またお立ち寄りください。