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大御堂(筑波山)

 筑波山神社は観光客が多く訪れていますが、隣りの大御堂(おおみどう)を訪れる人はまばらなようです。
私も何度かこの神社を訪れていますが、大御堂は初めてです。

徳一法師が筑波山に「中禅寺」を建てたのは延暦元年(782)といわれています。
その後、弘法大師により真言密教の霊場(これは言い伝えで真実は不明?)として栄えてきました。

江戸時代には徳川幕府の庇護を受けて神社と一体となって栄えてきました。
特に徳川家光は随神門や御神橋などを寄進したため、江戸時代は非常に栄え、筑波詣でが盛んに行われました。

しかし、明治になり神仏分離令により寺(中禅寺)は一度は破却されてしまったのです。
破却というより破壊されてしまったようです。
いきさつは色々あるようですがこの辺のことはなにも伝わっていないですね。

これは麓にある六所神社(跡)を訪れた時に知った。
この大御堂はこの中禅寺を継ぐ形で再建(仮堂)されたのは1930年(昭和5年)になってからだそうです。

この筑波神社と大御堂の歴史をどう見るかは難しい。

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この大御堂は坂東三十三霊場の25番札所となっている。本堂は戦後に再建された(民家を移築した)ものと言う。
仁王門(随神門)は元々この寺の山門であった。
2度の災難(火災・山津波)にも本尊(千手観音)は無事で今でも拝むことができる。(奇跡の御本尊)
この本尊は民家に保管されていたようで、後にこちらに民家を移築して大御堂として保存するようになったようです。

本来はこちらが筑波の古来の霊場を踏襲しているともいえる。しかし一度皆壊されてしまったらしい。

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鐘楼。徳川家光が鐘楼も寄進しているが、この家光の鐘楼は寺が廃止された明治になって、つくば市内の慶龍寺に移築されたそうです。
現在の鐘楼はよくわからない。説明が書かれたものがない。現地には木の立て看板に手書きの大きさなどの説明があるが、雨などでにじんで読めない。
しかし、この鐘楼の風情はとても素晴らしい。ここから麓の方まで見下ろせる。

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本来の筑波の中禅寺には三重塔もあったという。現在は礎石として推定されている石が残されている。
これも何時頃まで存在したのかはよく分からなかった。

oomidou04.jpg

鐘楼脇に建てられた地蔵等の石像のすぐ後ろには三笠宮陛下のお手植えのヒマラヤ杉が植えられています。
(写真の少し右側ですが写っていません。上から2枚目の写真に写っています。)

筑波神社は多くの人が訪れます。しかし意外にそれぞれの施設などの説明が少ない気がします。
大御堂との関係もほとんど何も書かれていない。

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筑波・土浦・牛久地区 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2011/12/14 18:29
コメント
No title
こんばんは。風邪引きです…

最後から2枚目の鐘楼の写真が好きです
澄んだ空気が伝わってきそう

前記事の「四六のガマ」ってホントにいたんですか?
覗きました???
(「筑波山麓混声合唱団~マウント筑波のフロッグコーラス~♪」)
Re: No title
NINAさん
風邪大丈夫ですか?
今日は休んで寝てたのかな?

コメント書けるくらいなら大丈夫そうですね。

> 最後から2枚目の鐘楼の写真が好きです
> 澄んだ空気が伝わってきそう

私も好きです。
右はじにその下の地蔵さんなどが写っているのですが、写真としてはいまいちですね。

> 前記事の「四六のガマ」ってホントにいたんですか?

四六のガマは本当にいますよ。この土産物屋などでも見たことありますし、
少し下の方に「ガマ公園」があって前足4本指・後ろ足6本指のガマを見られると思います。
昔見たことあるのだけれど、この日はちょこっとのぞいたけれどいなかったです。

> (「筑波山麓混声合唱団~マウント筑波のフロッグコーラス~♪」)
ワー。コーラス。風邪引き声でどうぞ!

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