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羽黒山公園と麻生城跡

12月初めに行った行方市(なめかたし)の天王崎で夕日を撮っていたが、本当の目的はもう一つあって、このすぐ裏の山に行ってみたかったのです。

岬での夕日を程々にして、暗くならないうちにすぐ近くの羽黒山公園に登ってみました。
ここは行方四頭の麻生氏の居城があったところなのです。
昨年ブログで「羽黒」の地名として載せていたところです。

 関東平家の直系である「常陸大掾(だいじょう)氏」の平清幹の三子がそれぞれ長男盛幹は吉田太郎、次男忠幹は行方次郎、三男成幹は鹿島三郎となり吉田氏・行方氏・鹿島氏となる。

この次男忠幹(行方氏始祖)の子景幹が地頭職に任じられ、行方地方で勢力を拡大し開拓していきました。
しかし、このあちこちには鹿島の神宮の領地もあり、争いも盛んに起こったようです。

この景幹には4人の息子がおり、行方氏・島崎氏・麻生氏・玉造氏になっていきます。
その三男の麻生氏の居城がここにあったのです。

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天王崎のすぐ陸側が小高い山となっており、ここが麻生城跡で現在は羽黒山公園になっています。
上の写真は羽黒山公園から天王崎に沈む夕日を眺めたものです。
ここからの夕日がきれいでした。

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夕日が公園の紅葉を更に赤く染めていました。

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ここに「麻生城跡」の碑が立っています。

「椎の大木に囲まれ、霞ケ浦を一望できる羽黒山公園は、鎌倉時代に常陸大掾氏の一族行方忠幹(ただもと)の孫、家幹(いえもと)が築いた麻生城(別称羽黒城)の跡である。忠幹の子景幹(かげもと)は、元暦元年(1184)源義経に従って、屋島の戦で戦死し、その所領は四人の子に譲与された。
長子為幹が行方(後に小高に移る)、二子高幹が島崎、三子家幹が麻生、四子幹政が玉造に城を築き、それぞれ地名を名字として、武威を振るった。
この子孫は「行方四頭」とよばれ、中世を通じて行方郡の中心勢力となった。
しかし、戦国時代になって、常陸大掾家の統制力が弱まると、同族間で抗争し、麻生城主之幹(これもと)は天正12年(1584)、同族の島崎安定に攻められ、滅亡した。
周囲の土塁、空濠などに当時の面影を残している。」(現地説明看板)

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麻生 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/12/17 13:41
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