土屋稲荷神社(美浦村)
美浦村のJRAトレーニングセンターの素晴らしい広大な敷地を見て驚いたが、入口は警備のゲートがあり中には一切入れなかった。
ここもウロウロしていて道を間違って進入してしまったので特に見たかったものではなかったが、競走馬を運ぶトラックや大型バスなどがたくさん並んでいた。
この帰りに通ったところでこの神社を見つけた。
特に変わったところもないい普通のお稲荷さんであったが、「土屋」の名前が気になった。
土屋はこの地域の名前であった。
このような人の名前が住所になっているのにはわけがあるはずで早速調べて見た。
土屋は土浦藩の藩主「土屋家」と関係があった。
最後の土浦城主土屋挙直(しげなお)の子土屋正直(まさなお)が経営する農場がここにあったのだという。
最後の藩主の子供ということで時代は明治である。この土屋稲荷神社付近にこの土屋農場の社務所があったという。
明治維新になって、土屋農場を作り、この地域の開墾を進めて、大農場を営み、地域の開墾入植者を募って人々に働く場などの提供をしてきたようです。
このため、この地では土屋正直は土屋の殿様などと慕って地域のきずなが強いようです。

車が通る道路わきに鳥居があり、そこから参道が真っ直ぐに続きます。
黄葉した木の葉が下に落ちて参道を埋めていました。
向かって左手は地域の公園になっており、その隣りには「土屋地区農村集落センター」の建物があります。

この「土屋稲荷神社」などの名前で立ち寄ったのです。少し変わっているでしょうか?
「なんでこんなところに寄るの?」などと言わそうですので、このようなところに行くのはいつも一人です。

稲荷神社の拝殿のすぐ横に立派な石碑が3つ置かれていました。
何だと思います?
美浦村村長の碑文が彫られています。すこし紹介します。
「土屋集落在住の還暦をこえる先達長命者を銘記し長寿を祝う記念碑の建立の偉業を讃え深甚の敬意を表しつつここに碑文を寄せるものである。
・・・・・当土屋集落は、その先陣を切り、今や二千数百の民を有する最大地区に飛躍をとげた。これは古い歴史とフロンティア開拓精神にあふれた土屋地区の魅力の賜であり、素朴にして善良な人々の連帯的地域づくりの成果である。・・・・」
そして「米寿」「喜寿」「古稀」「還暦」の人の名前が刻まれています。
10年ごとに作られているようです。
なにか美浦村の地域おこしの一角を見たような気がします。

少し見ていただけなのにもう日が沈んでしまいました。
見る場所により夕日の色合いも違って見えますね。
先日書いたように茨城県では東海村と美浦村だけが村のままで独自路線を歩んでいます。
今ではこの村も都会から多くの人が移り住んだりしているようです。
でもみんなが一緒になって村を守っていきたいと思っているようです。
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ここもウロウロしていて道を間違って進入してしまったので特に見たかったものではなかったが、競走馬を運ぶトラックや大型バスなどがたくさん並んでいた。
この帰りに通ったところでこの神社を見つけた。
特に変わったところもないい普通のお稲荷さんであったが、「土屋」の名前が気になった。
土屋はこの地域の名前であった。
このような人の名前が住所になっているのにはわけがあるはずで早速調べて見た。
土屋は土浦藩の藩主「土屋家」と関係があった。
最後の土浦城主土屋挙直(しげなお)の子土屋正直(まさなお)が経営する農場がここにあったのだという。
最後の藩主の子供ということで時代は明治である。この土屋稲荷神社付近にこの土屋農場の社務所があったという。
明治維新になって、土屋農場を作り、この地域の開墾を進めて、大農場を営み、地域の開墾入植者を募って人々に働く場などの提供をしてきたようです。
このため、この地では土屋正直は土屋の殿様などと慕って地域のきずなが強いようです。

車が通る道路わきに鳥居があり、そこから参道が真っ直ぐに続きます。
黄葉した木の葉が下に落ちて参道を埋めていました。
向かって左手は地域の公園になっており、その隣りには「土屋地区農村集落センター」の建物があります。

この「土屋稲荷神社」などの名前で立ち寄ったのです。少し変わっているでしょうか?
「なんでこんなところに寄るの?」などと言わそうですので、このようなところに行くのはいつも一人です。

稲荷神社の拝殿のすぐ横に立派な石碑が3つ置かれていました。
何だと思います?
美浦村村長の碑文が彫られています。すこし紹介します。
「土屋集落在住の還暦をこえる先達長命者を銘記し長寿を祝う記念碑の建立の偉業を讃え深甚の敬意を表しつつここに碑文を寄せるものである。
・・・・・当土屋集落は、その先陣を切り、今や二千数百の民を有する最大地区に飛躍をとげた。これは古い歴史とフロンティア開拓精神にあふれた土屋地区の魅力の賜であり、素朴にして善良な人々の連帯的地域づくりの成果である。・・・・」
そして「米寿」「喜寿」「古稀」「還暦」の人の名前が刻まれています。
10年ごとに作られているようです。
なにか美浦村の地域おこしの一角を見たような気がします。

少し見ていただけなのにもう日が沈んでしまいました。
見る場所により夕日の色合いも違って見えますね。
先日書いたように茨城県では東海村と美浦村だけが村のままで独自路線を歩んでいます。
今ではこの村も都会から多くの人が移り住んだりしているようです。
でもみんなが一緒になって村を守っていきたいと思っているようです。


掲載ありがとうございました。
はずかしながら土屋の事がよくわかりました。
これからもよろしくおねがいします。
> はずかしながら土屋の事がよくわかりました。
> これからもよろしくおねがいします。
美浦の方は皆さん熱心で素晴らしいですね。
これからも時々取り上げさせていただきたいと思います。
コメントありがとうございました。