水郷麻生(茨城百景)
今日はクリスマスイブですね。でもどこか石岡の街中は静かです。
行方市の旧麻生町は行方四頭の(三男)麻生氏がいたところであるが、この名前の基になったのはやはり麻が生い茂っていたのであろうか。大麻神社があるので、これは確かなことかもしれない。
大麻と言うと今ではマリファナなどの原料だというので栽培は一部のところに限られるが、昔は麻は当然大切な材料であった。
総(ふさ)の国というのはこの麻であり、徳島(阿波)からもたらされたものである。
大麻神社はまた何時か紹介するとして、今日は先日から紹介している天王崎のすぐ近くに「茨城百景水郷麻生」という碑が建っていることを紹介しておきたい。
この碑が少しわかりにくいのだが、この岬のすぐそばにある「八坂神社」の境内に置かれている。

この写真のように霞ケ浦から吹き付ける風などでかなり読みにくくなっていました。


神社の鳥居は今回の震災の影響かわからないが、少し危なっかしくなっていた。

参道の両脇は松並木となっており、海べりと言う印象が強い。
霞ケ浦も昔は海だった。

この八坂神社は慶長9年(1604)麻生藩の藩内24か村の総鎮守として祀られたという。
昔は旧暦の6月14日、15日に藩の祭典が盛大に行われ、廃藩後は、古宿、新田の両集落が中心となって「麻生祇園馬出し祭」が行なわれてきたという。いまでも7月最終の土日に祭典が行なわれており、八岐大蛇に見立てた飾り馬と須佐之男命を奉じた神輿がもみ合う神事が行なわれているそうです。

「新治の洲」から新治国(筑波山)を望む

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行方市の旧麻生町は行方四頭の(三男)麻生氏がいたところであるが、この名前の基になったのはやはり麻が生い茂っていたのであろうか。大麻神社があるので、これは確かなことかもしれない。
大麻と言うと今ではマリファナなどの原料だというので栽培は一部のところに限られるが、昔は麻は当然大切な材料であった。
総(ふさ)の国というのはこの麻であり、徳島(阿波)からもたらされたものである。
大麻神社はまた何時か紹介するとして、今日は先日から紹介している天王崎のすぐ近くに「茨城百景水郷麻生」という碑が建っていることを紹介しておきたい。
この碑が少しわかりにくいのだが、この岬のすぐそばにある「八坂神社」の境内に置かれている。

この写真のように霞ケ浦から吹き付ける風などでかなり読みにくくなっていました。


神社の鳥居は今回の震災の影響かわからないが、少し危なっかしくなっていた。

参道の両脇は松並木となっており、海べりと言う印象が強い。
霞ケ浦も昔は海だった。

この八坂神社は慶長9年(1604)麻生藩の藩内24か村の総鎮守として祀られたという。
昔は旧暦の6月14日、15日に藩の祭典が盛大に行われ、廃藩後は、古宿、新田の両集落が中心となって「麻生祇園馬出し祭」が行なわれてきたという。いまでも7月最終の土日に祭典が行なわれており、八岐大蛇に見立てた飾り馬と須佐之男命を奉じた神輿がもみ合う神事が行なわれているそうです。

「新治の洲」から新治国(筑波山)を望む



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