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月出里

 このブログでも地名ついて何回か載せているが、今回の「月出里」も何かあるかと調べてみたが、何もわからなかった。こういうのも珍しい。

「月出里」と書いて「すだち」と読みます。
地元の説明では「月の出る夜に、鳥が一斉に飛び立つ里」の意味だとあった。
当然私としては縄文時代などとの関連を地名に見出したいのであるから、この説明では納得しない。

まあ難読地名としての面白みはあるが、どうみてもこの場所が渡り鳥が一斉に飛び立つ場所とも思われない。
湖があるわけでもなく、夜になれば辺りは暗く特に鳥の飛び立つイメージは湧かない。

大昔に小野川などがもっと幅が広かったのですが、川からも離れており、木々が多いので鳥はいるかもしれないが・・・・。

「すだち」というと徳島名産の「スダチ=酢橘」との関連はないのかなどとも疑ってみたが、地元で「すだち神社」と呼ばれている鹿島神社(八坂神社も併設)にもそれにまつわる話もないようだ。

ただ神社に残された資料では300年程前にはこの辺りは「月出村」と呼ばれていたらしい。
それが何時か「月出里村」となっていったようである。
月出だけで「すだち」と読んでいたものと思う。
また神社では名前にあやかってか「酢橘(すだち)」の木を植えたりしているという。

私がなぜ、この地名に興味を持って調べていたのかと言うと古代の「信太郡」の郡衙があったとされる小野川沿いの「下君山」から、この月出里を結ぶ道路が直線的にのびており、それが昔の官道の遺構ではないかと騒がれているからなのです。

下君山に信太郡の郡衙があったかどうかもまだ確認されていません。この信太郡もかなり古いので、先に書いた阿弥神社のある竹来(高来)にあり、その後美浦村の信太地区に移転し、最後にこの下君山になったのではないかと思っています。

この直線道路は官道の遺構ということは確認されていないようです。私としてはどうも違うのではないかと思っています。
古代東海道の方向と合いません。
多くの記事がこの信太郡衙より常陸国国衙(石岡=府中)には霞ケ浦を船で渡ったということを書いていません。
この郡衙から阿見町→土浦→石岡へ向かう道を想定しているようです。
しかし土浦は昔は今の街中は水の下で東京都同じように沼地です。
従って、奈良時代以前の道は霞ケ浦を渡ったに違いありません。

この月出里も何か古いものに結びつくかと思ったのですが17~18世紀頃より前はわかりませんでした。

SUDACHI.jpg

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地名 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/12/27 18:54
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