阿多可奈湖(あたかなのみなと)
今日は3連休の最終日。成人式ですね。昔のように15日と固定されている方が良かったと思うのは天の邪鬼なのかな?
昨日は夕方4時過ぎには月が上がり始めていたので、まだ明るいうちに東の方に白い月が出ていて印象的でしたが、今日は暗くなって見上げたら真ん丸の大きな黄色い月が優しく微笑んでいるようでした。
本当に丸いのはなぜかホッとします。
丸い地球を眺めたらどんなに美しいのでしょうね。
さて、今から5~6000年くらい前は今より海面がかなり高く(縄文海進)説によっては7mくらい高かったとされています。(説によっては2~3m)(前回説明しました)
地形的にみると東京下町から埼玉南部と霞ケ浦周辺の地形がかなりドラスティックに変わっています。
ただ現在の歴史が卑弥呼辺りから始まるとすれば、今から1800年くらい前まで遡ればいいことになり、縄文時代は少し違った次元でとらえた方が良いかもしれません。
しかし大化の改新(646年)以降、藤原氏をはじめこの国の歴史をうまく隠して封じ込めてた時代が続いていたようです。
何処まで信じて良い情報なのかなどはこれからいろいろな事実が明らかにしてくれるでしょう。
今はあふれる情報の中からほんの少しの痕跡がある程度にすぎません。
こんなことも掘り起こしていけば面白いこととは思います。これも年寄りの道楽にはもってこいかも・・・・。
この事を理解しないと、1000年以上前のこの国の姿が見えなくなってしまいます。
簡単にこれからいくつかの場所をあげて現在と比べて見たいと思っています。
しかし、この作業は時間もかかりかなり根気が必要ですので、のんびり時々続けようと思います。
まずは、那珂川下流の「阿多可奈湖(あたかなのみなと)」についてです。
常陸風土記には那賀郡と香島郡との境には阿多可奈湖(あたかなのみなと)があったと書かれています。
この阿多可奈湖の位置を涸沼にあてる説(新編常陸国誌など)と那珂湊の古名とする説(日本地名辞典など)があるとされていますが、古代の地形を考えると下のような大きな湖(汽水湖)が浮かび上がってきます。
これは「Flood Maps」というソフトでGOOGLE地図上で誰でも見ることができます。
現在の地図の海面を1m~60mまで変化させて自由にシュミレーションできます。
昔の海面は考古学では貝殻の発掘分布などで時代ごとに高さ分布を調べて推察しますが、実際には堆積物が川の下流や平野にはたまりますのでこの辺りをどう考慮するかで変わりそうです。

(Sea level +5mにてシュミレーション)
上の地図は水戸・大洗・ひたちなか近辺の海面を+5mとした時の地図です。
現在の涸沼がもっと大きくなり那珂川下流と一緒になっているのがわかります。
現在も那珂川とは川で繋がっており、明治初めまでの霞ケ浦北浦水運繁栄の経路でした。
この阿多可奈湖はこの地図で現れた涸沼と那珂川下流域を合わせたような広大な地域になっていたのではないかと思います。
ところで「那珂湊」の地名については地名の本も出ているようですが、読んでいないのでわかりません。
しかし、前に書いたことがありますが、高知県の「奈半利(なはり)」は土佐日記で「那波の泊」と書かれているというので沖縄の「那覇」、大阪の「難波」などと同じで「那珂」=「なは」=「湊」の意味ではないかと漠然に思っています。
これは日本に昔から住んでいた縄文人の言葉=縄文語=アイヌ語と考えてよいのではないでしょうか。
どうですか、自分の住んでいる町の近くが昔どうなっていたかなどをシュミュレーションして見ませんか?
当然西日本、東日本などでも変わって来ると思います。
どうもこのFlood Mapsは衛星からの測定のようですので高い建物があると建物の上が陸地のようになって誤差が出るようです。
今は洪水や津波の影響調査などに主に使われているようです。
もちろん1000~1500年前に5mも海面が高かったとは思えません。しかし、河口の方は川の上流から土砂を堆積させたり、富士山の爆発による火山灰の堆積などで湿地帯や湖の浅いところは埋まってきてしまったと思われます。
とりあえず+5mくらいで考えると、昔の地形が考えやすくなるという程度です。
あくまでも参考ですから、あまり信用しないでくださいね。
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昨日は夕方4時過ぎには月が上がり始めていたので、まだ明るいうちに東の方に白い月が出ていて印象的でしたが、今日は暗くなって見上げたら真ん丸の大きな黄色い月が優しく微笑んでいるようでした。
本当に丸いのはなぜかホッとします。
丸い地球を眺めたらどんなに美しいのでしょうね。
さて、今から5~6000年くらい前は今より海面がかなり高く(縄文海進)説によっては7mくらい高かったとされています。(説によっては2~3m)(前回説明しました)
地形的にみると東京下町から埼玉南部と霞ケ浦周辺の地形がかなりドラスティックに変わっています。
ただ現在の歴史が卑弥呼辺りから始まるとすれば、今から1800年くらい前まで遡ればいいことになり、縄文時代は少し違った次元でとらえた方が良いかもしれません。
しかし大化の改新(646年)以降、藤原氏をはじめこの国の歴史をうまく隠して封じ込めてた時代が続いていたようです。
何処まで信じて良い情報なのかなどはこれからいろいろな事実が明らかにしてくれるでしょう。
今はあふれる情報の中からほんの少しの痕跡がある程度にすぎません。
こんなことも掘り起こしていけば面白いこととは思います。これも年寄りの道楽にはもってこいかも・・・・。
この事を理解しないと、1000年以上前のこの国の姿が見えなくなってしまいます。
簡単にこれからいくつかの場所をあげて現在と比べて見たいと思っています。
しかし、この作業は時間もかかりかなり根気が必要ですので、のんびり時々続けようと思います。
まずは、那珂川下流の「阿多可奈湖(あたかなのみなと)」についてです。
常陸風土記には那賀郡と香島郡との境には阿多可奈湖(あたかなのみなと)があったと書かれています。
この阿多可奈湖の位置を涸沼にあてる説(新編常陸国誌など)と那珂湊の古名とする説(日本地名辞典など)があるとされていますが、古代の地形を考えると下のような大きな湖(汽水湖)が浮かび上がってきます。
これは「Flood Maps」というソフトでGOOGLE地図上で誰でも見ることができます。
現在の地図の海面を1m~60mまで変化させて自由にシュミレーションできます。
昔の海面は考古学では貝殻の発掘分布などで時代ごとに高さ分布を調べて推察しますが、実際には堆積物が川の下流や平野にはたまりますのでこの辺りをどう考慮するかで変わりそうです。

(Sea level +5mにてシュミレーション)
上の地図は水戸・大洗・ひたちなか近辺の海面を+5mとした時の地図です。
現在の涸沼がもっと大きくなり那珂川下流と一緒になっているのがわかります。
現在も那珂川とは川で繋がっており、明治初めまでの霞ケ浦北浦水運繁栄の経路でした。
この阿多可奈湖はこの地図で現れた涸沼と那珂川下流域を合わせたような広大な地域になっていたのではないかと思います。
ところで「那珂湊」の地名については地名の本も出ているようですが、読んでいないのでわかりません。
しかし、前に書いたことがありますが、高知県の「奈半利(なはり)」は土佐日記で「那波の泊」と書かれているというので沖縄の「那覇」、大阪の「難波」などと同じで「那珂」=「なは」=「湊」の意味ではないかと漠然に思っています。
これは日本に昔から住んでいた縄文人の言葉=縄文語=アイヌ語と考えてよいのではないでしょうか。
どうですか、自分の住んでいる町の近くが昔どうなっていたかなどをシュミュレーションして見ませんか?
当然西日本、東日本などでも変わって来ると思います。
どうもこのFlood Mapsは衛星からの測定のようですので高い建物があると建物の上が陸地のようになって誤差が出るようです。
今は洪水や津波の影響調査などに主に使われているようです。
もちろん1000~1500年前に5mも海面が高かったとは思えません。しかし、河口の方は川の上流から土砂を堆積させたり、富士山の爆発による火山灰の堆積などで湿地帯や湖の浅いところは埋まってきてしまったと思われます。
とりあえず+5mくらいで考えると、昔の地形が考えやすくなるという程度です。
あくまでも参考ですから、あまり信用しないでくださいね。


縄文海進いい響きです、
関係ないですが小学生の頃なんでこんな所に貝塚や縄文集落があるのか不思議でしょうがなかったです。
ちゃんと疑問が解けたのは高校の地学を受けてからでした
(地学の先生が白亜紀層の発見者だったのでわりと興味持ったです)
小学校でちゃんと縄文海岸線の図を重ねていてくれたら疑問は無かったのに( ̄▽ ̄*)
私らは詰め込み世代ですから暗記暗記の内容はいっぱいでしたが、
もっと子どもの興味を引くように教科書が作ってあればと恨みますわ。
> 縄文海進いい響きです、
最近津波で少しずつ言われ始めましたね。世間はその程度でしょうね。
> ちゃんと疑問が解けたのは高校の地学を受けてからでした
> (地学の先生が白亜紀層の発見者だったのでわりと興味持ったです)
すごい先生だったのですね。白亜紀の層となるともう日本と言うよりロシア大陸辺りから移動してきたかもしれませんね。想像もつきません。
日立市の方にはもっと古い地層が見つかっています。
茨城に何故? って感じですが・・・・
> 小学校でちゃんと縄文海岸線の図を重ねていてくれたら疑問は無かったのに( ̄▽ ̄*)
この<Flood Maps>などを知らなかったので 昨年は国土地理院の地図の5m等高線を色塗り
したりしていました。
疲れて嫌になって調べていたらこんなソフトがあったのです。
やはり日没の位置も調べないとダメですね。
小学生にやらせたら興味を持つ子供が出てきますよ。そういった授業がいいですね。
利根川を移す前の地図などを探してきてやったら面白いのですが。
私はまだ太刀打ちできませんが・・・。