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古東海道と富士山噴火

 今年の箱根駅伝は東洋大の圧勝でした。それにしても柏原選手の山登りはすごかったですね。

もう30年以上も前ですが、箱根のホテル小湧園に正月泊まったことがあり、その時目の前の坂をものすごいスピードで下っていく駅伝選手をホテル前で見ていたことがあります。

あの坂ですから普通だったら恐くてスピードなど出ませんね。登りも普通の駅伝とはあまりにも違います。

昔の江戸時代の東海道は「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」などと言われておりますが、やはり東海道では難所の一つでしょう。

この箱根路は塔の沢-宮野下を通る道ですが、江戸時代の東海道は箱根湯本からもう少し南側の現在の箱根新道に沿った旧道でした。
箱根の関所近くには、お玉が処刑されたという「お玉ヶ池」などがあります。
(箱根湯本~箱根峠間:13.2km、標高差最大:771m)

一般には江戸時代の東海道を旧東海道と言っていますので、この東海道五十三次の道しか思いつきませんね。
しかし今の1号国道(東海道)側もまた、曾我兄弟(鎌倉初期)の墓などがある富士山麓を通っていますので、こちらも部分的には使われてはいたのだと思います。

私が興味を持っているのはその前の東海道で、古東海道ですからこの道ではないのです。

ヤマトタケルも源義家(八幡太郎)も源義光(新羅三郎)も足柄峠を通っています。
この足柄峠に多くの物語が残されて伝わっています。

その道は沼津から今の御殿場線に沿って御殿場に北上してそこから足柄峠を越えて小田原に下る道です。
足柄峠から見る富士は絶景だといいます。
(参考写真 → こちら :ウィキメディア・コモンズ)

箱根道

さて、古東海道がこの足柄峠を越えていたのは確かでしょうが、過去に富士山が大噴火をしてこの峠が通れなくなった記録が残されているといいます。

1万年以上前の話は置いておくにして、3000年ほど前から富士山の火山としては何度も爆発的な噴火を起こしているようですが、大和朝廷の成立後の記録に残っているものとしては

800~802年:延歴大噴火・・・これにより足柄峠越えが一時閉鎖され箱根峠越えの道が使われた。しかしこの足柄峠の道は復旧されて復活。

864~866年:貞観(じょうがん)大噴火・・・これにより青木ヶ原が形成され、富士北麓にあった「剗の海(せのうみ)」が埋まって、その一部が精進湖、西湖になった。
(この貞観大噴火は貞観地震の5年前です)

その後も何度も噴火を繰り返しています。937年(承平噴火)、1033年、1083年、1435年、1511年、・・・
最近の大きな噴火は江戸時代で1707年の宝永大噴火です。
この時は富士の中間部が大きく崩落し、江戸市街に大量の火山灰が降ってきたといわれています。

延歴大噴火で足柄峠が通れなくなったようですが、それでもこの道が復活してからはまだこちらがメインの通りとなっていたようです。

足柄峠にまつわるお話を一つ紹介します。

足柄峠笛祭りのお話:

 群雄割拠の時代にあって新羅三郎義光は風流な笙(しょう)の名人といわれ、笙は豊原時元に学びました。
時元は並び無き笙の名人でありましたが、一子時秋がまだ幼少のため、家伝の秘曲を新羅三郎義光に授けました。
 その後、三郎義光は奥州で苦戦(後三年役)していた兄八幡太郎義家を助けるために京を立って奥州へ向かいます。(1087年)
まだ若き時元の子時秋は、義光の戦死による秘伝の秘曲が永遠に伝わらなくなることを恐れ、義光の後を追いかけ、足柄山でついに追いつきます。
この時義光はその志を察して、時元より伝えられた秘曲・大食調とハ長曲の二曲を中秋朧月夜の元で時秋に授けるのです。
この時の笙の音色を、無念無想ただ嫋嫋(じょうじょう)と表現されています。新羅三郎義光はこの時、時秋に「我は武のため、貴殿はこの道のため」と諭し、笛の秘曲の奥義を伝えたとされています。
この故事にちなみ毎年9月の第2日曜日に足柄峠笛まつりが開かれています。

さて、この新羅三郎(源義光)は常陸介となり常陸国にやってきます。そして常陸平氏との関係も結んでその子孫として「佐竹氏」「甲斐武田氏」を生むことになります。

まあもっとも、前九年の役(陸奥征伐)にやってきたときの中心人物は八幡太郎・新羅三郎の父源頼義は常陸平致幹の娘と一夜を共にして娘が生まれています。
(この時の源頼義は63歳を越えていますので、昔でもこんな盛んな人もいたのですね。87歳で亡くなっています)
後で常陸大掾(だいじょう)氏を継ぐことになる吉田氏の娘が、出羽清原氏の家督を継いだ海道平氏出身の成衡の妻となり、この婚姻が後三年の役の原因となったようです。

また常陸平氏系の吉田氏の祖、平(吉田)清幹の娘が、この新羅三郎の長男の妻となっています。
まったく何処がどうなっているのかこんがらがってきますね。

まあ誰と誰が結婚してといっても、昔は政略的な婚姻が多かったでしょうからあまり考えて見てもわからなくなるだけですね。


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古東海道 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/01/10 18:43
コメント
後三年の役→後三年の駅
こんにちは。
秋田は平年の3倍の降雪。
日頃の挨拶も雪掻きに終始しています。(>_<)
人生の中のしなくて良い苦労のような気がしますが 何事も自分の課題ですから 置かれた所で頑張って咲いて?しおれて?います(@_@;)

そんな秋田からRoman様に喜んで頂ける情報をお知らせ致します。(既にご存知かもしれませんが)

秋田駅から 奥羽本線で一時間少々で 後三年駅があります。近くには金沢の柵 などがあります。金沢資料館もあります。

私などが御説明するよりも 一目瞭然の写真付きの良い記事を見つけましたので お時間の在る時ご覧下さいませ。

(金沢の柵 秋田)と検索なさってください。

西沼・金沢柵もとってもいいと思います。

ご参考になれば とっても嬉しいです♪~ 
Re: 後三年の役→後三年の駅
言の葉IS様

こんばんは。
コメントとてもうれしいです。

> 秋田は平年の3倍の降雪。
> 日頃の挨拶も雪掻きに終始しています。(>_<)
・・・大変ですね。私なら雪が降ったら仕事も休んで寝ていたいと思いますが、雪国の人は
雪カキをしなければ生活も困りますものね。

> 人生の中のしなくて良い苦労のような気がしますが 何事も自分の課題ですから 置かれた所で頑張って咲いて?しおれて?います(@_@;)
・・・置かれた場所で、御立派にされておられるのですから尊敬します。
もう1カ月もすれば春の足音が近づいてくるでしょう。
車の運転だけお気をつけてくださいね。

> そんな秋田からRoman様に喜んで頂ける情報をお知らせ致します。(既にご存知かもしれませんが)
> 秋田駅から 奥羽本線で一時間少々で 後三年駅があります。近くには金沢の柵 などがあります。金沢資料館もあります。

この情報とてもうれしいです。言葉では後3年の役などと知っていても何処で戦っていたのかなど何も知りませんでした。
まったく思っていたイメージの場所と違いました。清原氏が滅びて全て殺されたようで心が痛みます。

でも西沼・金沢柵とてもいいところですね。
もう少し私も調べてみたいと思います。本当にありがとうございました。

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