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筑波山と土浦

今日は夜になって大分冷え込んできました。明日はもっと寒くなる予報が出ていますので注意しましょう。

さて、今日は縄文海進で土浦の町を少しだけ見て見ましょう。
石岡は台地の上に街があるので、少し高台になっていますが、土浦の市街地は標高が低い低地なのです。

土浦MAP
(Flood Mapsで海面が+5mとなった場合の地図)

 土浦は中世以降に発展した街で、江戸時代は土屋氏がその録を拡大し、発展を遂げました。
江戸末期から明治初めは、霞ケ浦の水運でも石岡とともに発展していったのです。
(その後の発展は石岡の方が昭和の初めまでは勢いもあったように思うのですが、その後まったく逆転してしまったようです)

しかし、古代を見ると特にとるべきものは少ないようです。
これは現在市街地となっている大部分(土浦城も含めて)湿地帯で住みにくい場所であったことが原因だと思っています。
これは江戸が昔家康が都を移す前までの状態に似ています。

何もないところの方が便利であれば資財を投入して新たに街並みができる。
今回の津波災害が襲った場所を高台に移す計画が進められているが、100年経った時にはきっとまた湊の近くに人が住むようになるでしょう。それが人間の心理ですね。
100年も経てば災害を経験した人がいなくなり、本当に規制ができるのだろうか。

それより、津波が襲ったら、その規模を少しでも軽減し、到達時間を遅らせ、住民が皆で、どうやって逃げるかを考えた方が良いのではないだろうか?
また本気に高台移転をするのなら、その地に生活がしやすい環境や中心となる施設の建設などを集中投資するしかない。
でも範囲が広すぎて今回の対応はできないように思う。

霞ケ浦から眺めた筑波山とそのふもとの街並みは美しいと思う。
筑波山の上からこの町の夜景なども美しく見える。

石岡の高浜や土浦も昔は良く水害があった。今は完全に淡水湖になってしまい、まわりの水田や干拓には水害などの被害がほとんどなくなった。
逆に霞ケ浦の水質がどんどん悪化していったが、努力の結果かなり改善されてきた様に思う。

先日書いた鯉の養殖による餌の影響が水質を悪くしているとの指摘があったが、今回の鯉ヘルペスによる養殖中止で改善したという因果関係はあまり報告されていない。

私が最初に土浦の町に降り立ったのはもう40年くらい前になる、その当時駅前は「若鷲の歌」(予科練の歌)が駅前で盛んに流されていた。
今の人が見たら何なのかと思うに違いない。
これも予科練特攻隊の霞ケ浦部隊があったことが原因なのだが、戦後25年くらいたった時のことだから驚かされたものだ。

また桜町の飲み屋街も少し若者には恐いところのように感じていた。

そんなところも筑波万博で大分変ったが、駅前も最近元気がないようにも思われる。
市長さんも頑張ってやっているので、都会からの人も流れてきて、また発展するものと期待している。
石岡がとり残される心配などしていない。
ともに発展しないとTXができた「つくば」に皆な持っていかれるようでは困るのである。

少しは土浦も取り上げたい。他所から来るとこの町も川があり、城下町の風情も残る良い街並みである。

下の写真は、先日、霞ケ浦の阿見町の少し先の方から土浦の町を眺めたものだ。

tsuchiura02.jpg
(サムネルです。クリックすると少し拡大します)

撮影場所は下記です。


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霞ケ浦の自然 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2012/01/11 19:03
コメント
No title
こんばんは。
今夜は冷え込みが厳しいですね。
明日は道路の凍結が心配です。

写真、とてもきれいな景色です。
美しい自然がたくさんありますね。

Re: No title
ふみりんさん
こんばんは。
大分寒くなってきたようです。明日朝は水道管も凍りそうです。
しばらくは寒い日が続くでしょうが、春も遠からじですね。

> 写真、とてもきれいな景色です。
> 美しい自然がたくさんありますね。

本当にきれいですが、見慣れると感じなくなるのでしょうね。
こうしてとりあげる事で少しは見直してくれればいいなと思います。

大山、蒜山などに宍道湖、三瓶山、など昔行ったのを思い出します。
夏と冬に行きました。

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