義経の横笛
本日映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」が公開されたそうです。
朝からテレビでもあらすじなどを紹介していました。
昨日コメントで紹介を受けましたのでこちらでも載せておきます。
家内に「石岡でも撮影されたらしいよ」といったら、「去年の話でしょ」と知っていました。
こちらの紹介記事では昨年1月に石岡駅前通りの「喫茶マツ」で撮影されたシーンで、銀座のフルーツパーラの設定だそうです。
1964年(昭和39年)当時の銀座と少し雰囲気が似ているのかもしれませんね。64年は東京オリンピックの年ですね。
その時、東京都の高校1年生になった私達にも、学校で抽選でオリンピックの入場券が配布されたのです。
でも人気のある競技はほとんど当たりません。私は自転車競技を見ました(八王子)。
どんな時代だったのかな。1万円札が出来たのが6年前。大卒の初任給が2万円位だといいます。
確かに東京オリンピックで東京は大きく変わったように思います。
何をやるにも今より躍動感とスピードはあったような気がします。
石岡の中町商店街は昭和4年の大火の後に建てられた看板建築の登録文化財の建物が続いています。
この建築も当時の石岡には勢いがあったようです。復興のスピードもあったのです。
何事もすぐに補助金などに話が行ってしまうのはどこかおかしくなっていますね。
今回の震災であちこちが修理中であったり、建て直しなどがありますので町の紹介も、少し落ち着いたらやりたいと思います。(前に作った私のHPに紹介があります。参考まで → こちら)
さて、今日は源義経の笛のお話です。お話ですからこんなのもある程度に読んでみてください。
色々な歴史とからんでくるのでとても面白いのです。
先日、昔の古海道は箱根峠を通らずに足柄峠を通っていたと書きました(こちら)。東名高速を通ると「足柄サービスエリア」がありますね。むかし金太郎がまさかりかついでクマに乗り相撲のけいこをしたあの足柄山です。
その記事に「新羅三郎(源義光)の笙(しょう)」の話を書いたので、もう少しこの話はその後のお話があるので紹介しておきましょう。
実は牛若丸(源義経)が京の五条の大橋で弁慶のなぎなたを欄干に飛び乗ってヒラリヒラリとかわして、降参させた時に持っていた笛が残されているといいます。(真実かどうかはわかりません)
この笛がこの新羅三郎から伝わった笛だというのです。
これは久能山の寺に残されているとあったので、HPを開いてみました。(こちら)
そのHPの内容を下記に抜粋させていただきます。
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新羅三郎義光伝来薄墨笛
悲劇の武将源義経が牛若丸時代から愛用したといわれる横笛。七百年の風雪に耐えて奏者を得ればいまにさえた音色を惜しむところがない。
駿河国新風土記の久能寺の条に「源義経所持薄墨の笛、此笛蝉(笛につく装飾金具)なし中村式部少輔再興、笛の頭に金にて村の字を置り」とある、また駿国雑誌巻二十九上有度郡の条に「義朝朝臣の常に手馴持玉ひし漢竹の蓬調の薄墨と名付けたるを常磐の方より御曹司に伝え置れしを、身を放たず携玉ひ」また「浄瑠璃姫別れの悲しみにたえず終にむなしくなれり。
母は姫の年ごろ携る所の器物を蓬莱寺に納め薄墨といえる笛は、駿河国有度山久能山に納玉云々」と記されてある。
さらに笛の添え状には、薄墨の笛がそこなわれていたので文禄四年(1595)に駿河国城主中村一氏式部小輔が補修したという記録がある。
これらによりこの笛は新羅三郎義光伝来のものが源義朝~常磐御前~義経~浄瑠璃姫~久能寺と伝わったことがわかるのである。
------------------------------------------------------
本当かどうかはわかりません。
新羅三郎は笙(しょう)の名人と伝わっていますが、笙と横笛では形状は全く違いますね。
しかし、この新羅三郎が常陸国にやってこなかったら佐竹氏や甲斐武田氏の誕生はなかったかもしれません。
常陸国と切っても切れない縁があるのです。(源氏です)
また、驚いたことにこの久能山久能寺の名前が「鉄舟寺」になっていることです。
この鉄舟は「山岡鉄舟」のことです。
江戸城無血開城の真の立役者とさえいわれる鉄舟がこの寺を再興したとして祀られ、寺の名前にまでなってしまっていたのです。
この山岡鉄舟も茨城県とは切っても切れない関係があります。
また石岡市高浜の「高浜神社」の扁額も山岡鉄舟の書です。
さて、少し長くなりましたのでこの続きはまた明日に続きます。
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朝からテレビでもあらすじなどを紹介していました。
昨日コメントで紹介を受けましたのでこちらでも載せておきます。
家内に「石岡でも撮影されたらしいよ」といったら、「去年の話でしょ」と知っていました。
こちらの紹介記事では昨年1月に石岡駅前通りの「喫茶マツ」で撮影されたシーンで、銀座のフルーツパーラの設定だそうです。
1964年(昭和39年)当時の銀座と少し雰囲気が似ているのかもしれませんね。64年は東京オリンピックの年ですね。
その時、東京都の高校1年生になった私達にも、学校で抽選でオリンピックの入場券が配布されたのです。
でも人気のある競技はほとんど当たりません。私は自転車競技を見ました(八王子)。
どんな時代だったのかな。1万円札が出来たのが6年前。大卒の初任給が2万円位だといいます。
確かに東京オリンピックで東京は大きく変わったように思います。
何をやるにも今より躍動感とスピードはあったような気がします。
石岡の中町商店街は昭和4年の大火の後に建てられた看板建築の登録文化財の建物が続いています。
この建築も当時の石岡には勢いがあったようです。復興のスピードもあったのです。
何事もすぐに補助金などに話が行ってしまうのはどこかおかしくなっていますね。
今回の震災であちこちが修理中であったり、建て直しなどがありますので町の紹介も、少し落ち着いたらやりたいと思います。(前に作った私のHPに紹介があります。参考まで → こちら)
さて、今日は源義経の笛のお話です。お話ですからこんなのもある程度に読んでみてください。
色々な歴史とからんでくるのでとても面白いのです。
先日、昔の古海道は箱根峠を通らずに足柄峠を通っていたと書きました(こちら)。東名高速を通ると「足柄サービスエリア」がありますね。むかし金太郎がまさかりかついでクマに乗り相撲のけいこをしたあの足柄山です。
その記事に「新羅三郎(源義光)の笙(しょう)」の話を書いたので、もう少しこの話はその後のお話があるので紹介しておきましょう。
実は牛若丸(源義経)が京の五条の大橋で弁慶のなぎなたを欄干に飛び乗ってヒラリヒラリとかわして、降参させた時に持っていた笛が残されているといいます。(真実かどうかはわかりません)
この笛がこの新羅三郎から伝わった笛だというのです。
これは久能山の寺に残されているとあったので、HPを開いてみました。(こちら)
そのHPの内容を下記に抜粋させていただきます。
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新羅三郎義光伝来薄墨笛
悲劇の武将源義経が牛若丸時代から愛用したといわれる横笛。七百年の風雪に耐えて奏者を得ればいまにさえた音色を惜しむところがない。
駿河国新風土記の久能寺の条に「源義経所持薄墨の笛、此笛蝉(笛につく装飾金具)なし中村式部少輔再興、笛の頭に金にて村の字を置り」とある、また駿国雑誌巻二十九上有度郡の条に「義朝朝臣の常に手馴持玉ひし漢竹の蓬調の薄墨と名付けたるを常磐の方より御曹司に伝え置れしを、身を放たず携玉ひ」また「浄瑠璃姫別れの悲しみにたえず終にむなしくなれり。
母は姫の年ごろ携る所の器物を蓬莱寺に納め薄墨といえる笛は、駿河国有度山久能山に納玉云々」と記されてある。
さらに笛の添え状には、薄墨の笛がそこなわれていたので文禄四年(1595)に駿河国城主中村一氏式部小輔が補修したという記録がある。
これらによりこの笛は新羅三郎義光伝来のものが源義朝~常磐御前~義経~浄瑠璃姫~久能寺と伝わったことがわかるのである。
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本当かどうかはわかりません。
新羅三郎は笙(しょう)の名人と伝わっていますが、笙と横笛では形状は全く違いますね。
しかし、この新羅三郎が常陸国にやってこなかったら佐竹氏や甲斐武田氏の誕生はなかったかもしれません。
常陸国と切っても切れない縁があるのです。(源氏です)
また、驚いたことにこの久能山久能寺の名前が「鉄舟寺」になっていることです。
この鉄舟は「山岡鉄舟」のことです。
江戸城無血開城の真の立役者とさえいわれる鉄舟がこの寺を再興したとして祀られ、寺の名前にまでなってしまっていたのです。
この山岡鉄舟も茨城県とは切っても切れない関係があります。
また石岡市高浜の「高浜神社」の扁額も山岡鉄舟の書です。
さて、少し長くなりましたのでこの続きはまた明日に続きます。


「ALWAYS三丁目の夕日’64」が公開されましたね。
この映画は昭和の匂いのする良き時代の映画ですね。そちらにある喫茶店での撮影シーンもあるのですね。当時の雰囲気がある喫茶店なのですね。
ぜひ観てみたいですね。
義経の笛のお話もとても良いですね。
ひとつのお話から色々な歴史を知ることができて面白いですね。
こんばんは。
> 「ALWAYS三丁目の夕日’64」が公開されましたね。
> この映画は昭和の匂いのする良き時代の映画ですね。そちらにある喫茶店での撮影シーンもあるのですね。当時の雰囲気がある喫茶店なのですね。
> ぜひ観てみたいですね。
石岡の町はあまり変化しなかったために昭和の趣のある街並みがあります。
発達しないのも困りものですが、これも今では売りになる町おこしも可能です。
「喫茶マツ」は普通の喫茶店ですが、お客さんは少ないです。
でもきっと雰囲気はあるのかもしれませんね。
機会があれば紹介します。
> 義経の笛のお話もとても良いですね。
> ひとつのお話から色々な歴史を知ることができて面白いですね。
良く読んでくださり嬉しいです。お話半分ですが、このような話が伝わるには
背景がありますので考えるのも楽しくなります。
ありがとうございました。