茨城百景古渡の湖畔
今日は寒いですね。こちらは雪にはならなかったようですが、都心は少し白くなったみたいですね。
ただ今夜あたり少し降るかもしれませんね。
でも寒いのはやはり嫌です。家の中で暖かくして居ようと思います。
この古渡(ふっと)については今までに縄文語の地名ではないかと紹介したことがありました(こちら)。
また、この湖畔の写真も一度(昨年2月)紹介したように思います。
でもまた浮島の手前のこの湖畔も再度載せておきたくなりました。

「茨城百景古渡の湖畔」の石碑は傾いているようですね。

小野川は昔はこの辺りは結構広かったと思います。
この少し上流を「常陸国風土記」では「榎(え)の浦の津」といい「駅家(うまや)が置かれてゐる。伝駅使(はゆまづかひ)らは、この地に着くと、まづ口と手を洗ひ、東に向き直って香島の大神を遥拝し、そののちに国に入ることができる」(口訳・常陸国風土記)と書かれています。

この緑の橋は旧道側の橋なのです。新しい橋のように感じます。
国道125号線からこの橋を渡って古渡の町に入ります。

この湖畔からも筑波山が良く見えます。
古東海道が霞ケ浦を渡ったとしたら、「榎の浦の津」から小舟に乗りこの古渡からそのまま霞ケ浦に漕ぎだして対岸に渡ったのかもしれません。
高浜(石岡市)の湊にそのまま漕いで行けたのかもしれません。
天気が悪く三叉沖(みつまたおき)が荒れた時は牛渡地区に上陸したのかもしれません。
古渡=ふっと、牛渡=うしわた ですから読みも難しいし奈良朝の頃の時代に何があったのか・・・・
古に想いが行ってしまいます。
そういえば昨日書いた「毘沙門堂」のある場所は 馬渡=まわたり といいます。
色々なことが想像されます。

小野川から霞ケ浦につながる景観。
この古渡(ふっと)は縄文語(アイヌ語)とも思いますが、この小野川が霞ケ浦に注ぐところなので「ふっと」の「と」は「江戸」の「戸」と同じかもしれません。
この川を少し上ったところに「江戸崎」というこのあたりの中心地があります。

この古渡橋のところで管理区分が変わります。霞ケ浦は国の管理、川は県の管理です。
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ただ今夜あたり少し降るかもしれませんね。
でも寒いのはやはり嫌です。家の中で暖かくして居ようと思います。
この古渡(ふっと)については今までに縄文語の地名ではないかと紹介したことがありました(こちら)。
また、この湖畔の写真も一度(昨年2月)紹介したように思います。
でもまた浮島の手前のこの湖畔も再度載せておきたくなりました。

「茨城百景古渡の湖畔」の石碑は傾いているようですね。

小野川は昔はこの辺りは結構広かったと思います。
この少し上流を「常陸国風土記」では「榎(え)の浦の津」といい「駅家(うまや)が置かれてゐる。伝駅使(はゆまづかひ)らは、この地に着くと、まづ口と手を洗ひ、東に向き直って香島の大神を遥拝し、そののちに国に入ることができる」(口訳・常陸国風土記)と書かれています。

この緑の橋は旧道側の橋なのです。新しい橋のように感じます。
国道125号線からこの橋を渡って古渡の町に入ります。

この湖畔からも筑波山が良く見えます。
古東海道が霞ケ浦を渡ったとしたら、「榎の浦の津」から小舟に乗りこの古渡からそのまま霞ケ浦に漕ぎだして対岸に渡ったのかもしれません。
高浜(石岡市)の湊にそのまま漕いで行けたのかもしれません。
天気が悪く三叉沖(みつまたおき)が荒れた時は牛渡地区に上陸したのかもしれません。
古渡=ふっと、牛渡=うしわた ですから読みも難しいし奈良朝の頃の時代に何があったのか・・・・
古に想いが行ってしまいます。
そういえば昨日書いた「毘沙門堂」のある場所は 馬渡=まわたり といいます。
色々なことが想像されます。

小野川から霞ケ浦につながる景観。
この古渡(ふっと)は縄文語(アイヌ語)とも思いますが、この小野川が霞ケ浦に注ぐところなので「ふっと」の「と」は「江戸」の「戸」と同じかもしれません。
この川を少し上ったところに「江戸崎」というこのあたりの中心地があります。

この古渡橋のところで管理区分が変わります。霞ケ浦は国の管理、川は県の管理です。


古渡でふっと・・読み方を教えて頂かないと絶対に読めませんね。(>_<)
秋田にも男鹿市払戸という地名があります。
払戸これで(ふっと)と読みます。
やはり縄文語なのでしょうかね。
日常ただ通り過ぎてしまいがちなことに 心を留めると 古に思いがワープして 何だかわくわくしてきますね。
今日も小さな発見の在る
素敵な一日でありますように☆~
朝早くからご訪問にコメントありがとうございます。
> 古渡でふっと・・読み方を教えて頂かないと絶対に読めませんね。(>_<)
・・・そうですね。このような場合は言葉(音)があって、後から漢字がついたというものが多いようです。
> 秋田にも男鹿市払戸という地名があります。
> 払戸これで(ふっと)と読みます。
・・・これも不思議な名前ですね。
昔の男鹿半島と八郎潟の様子がわからないと名前の由来がわからないですね。
想像するだけでワクワクします。
> やはり縄文語なのでしょうかね。
・・・戸はここにあった湖に川がそそいでいた戸口だったのかのしれません。
全国にたくさんありますね。
縄文語は昔の日本人の言葉でアイヌ語と一緒ではないかもしれません。
アイヌ語に多く受け継がれているだけです。
普通に使っている日本語に縄文語と思われる言葉がたくさんあります。
学会では認めていないのでしょうね。でも考えるだけで楽しいのでいいのです。
今日も良い日でありますように!
海浜公園の西側が、
馬渡=まわたり
前渡=まえわたり
です
調べてないのでわかりません(^^ゞ
> ひたちなかにも渡あります。
> 海浜公園の西側が、
> 馬渡=まわたり
> 前渡=まえわたり
> です
面白いですね。埴輪の公園ががあるところですよね。
意味はわかりませんが、何処か共通の物があるかもしれませんね。
平安時代より後なら馬を船にのせて渡ったところと言う意味かもしれません。
しかしもっと古いとなれば別な意味も考えないと・・・。
昔このあたりを営業で回っていたのものです。
古渡の由来ですが、地元の方の話を思い出しました。
昔、ヤマト王権の東国進出の際の戦闘で切れ味の鋭い武器を使って
土着の住民の首を次々とフッとフッと切ったために付けられた。
という話です。複数の方から聞きました。
その戦いに関係するホイホイ地蔵や首塚がいまだに存在します。
> 昔このあたりを営業で回っていたのものです。
あまり何もないところですので営業も大変だったでしょう。
でも古い良いものもたくさんあり独特の場所ですね。
> 古渡の由来ですが、地元の方の話を思い出しました。
> 昔、ヤマト王権の東国進出の際の戦闘で切れ味の鋭い武器を使って
> 土着の住民の首を次々とフッとフッと切ったために付けられた。
> という話です。複数の方から聞きました。
> その戦いに関係するホイホイ地蔵や首塚がいまだに存在します。
なるほど。これはいかにもありそうな話しですね。
潮来の由来と似ています。痛く殺したのでイタコだそうですね。
いつの時代からこのような話が出来てくるのかわかりませんが、私には
地形的なアイヌ語の方が気に入っています。
またいろいろなことを教えてください。