千手院山門
先日から常陸国分寺の雪の時の写真を載せていますが、もう少し載せておきたいと思います。
この昔の常陸国国分寺の跡に現在も同じ名前のお寺が建っています。
しかし、昔あったという国分寺は戦火などでほとんど焼失してしまったと思います。
江戸時代にはこの地には千手院という大きなお寺があり、ここ常陸府中の町の中心的な寺院でした。
いま残っているのはこの山門だけとなりました。
この千手院は、818年行基大僧正の弟子行円上人によって開基され、1253年には一旦廃れてしまったが、その後1593年に中興されたいわれています。

この藁葺屋根の山門をくぐると、その正面に現在の国分寺の本堂があります。

山門に彫られた彫刻については昨年の鷲の話でも紹介しました(こちら)がまた写真を撮ったので載せておきます。
小猿を鷲がつかまえていまにも襲いかかるように見えます。

サルが悲鳴をあげているようです。
しかし、この彫刻の解釈としては「鷲は慈悲深い観音様の化身であり、猿は煩悩に身を焦がして奈落の底に転げ落ちようとしている人間を現しており、それを救済するために鷲となって助けている」のだそうです。
でも鷲のするどい爪で押さえつけた猿の口からは悲鳴が聞こえそうですよね。

国分寺本堂です。宗派は(新義)真言宗。 空海(弘法大師)様の密教です。
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この昔の常陸国国分寺の跡に現在も同じ名前のお寺が建っています。
しかし、昔あったという国分寺は戦火などでほとんど焼失してしまったと思います。
江戸時代にはこの地には千手院という大きなお寺があり、ここ常陸府中の町の中心的な寺院でした。
いま残っているのはこの山門だけとなりました。
この千手院は、818年行基大僧正の弟子行円上人によって開基され、1253年には一旦廃れてしまったが、その後1593年に中興されたいわれています。

この藁葺屋根の山門をくぐると、その正面に現在の国分寺の本堂があります。

山門に彫られた彫刻については昨年の鷲の話でも紹介しました(こちら)がまた写真を撮ったので載せておきます。
小猿を鷲がつかまえていまにも襲いかかるように見えます。

サルが悲鳴をあげているようです。
しかし、この彫刻の解釈としては「鷲は慈悲深い観音様の化身であり、猿は煩悩に身を焦がして奈落の底に転げ落ちようとしている人間を現しており、それを救済するために鷲となって助けている」のだそうです。
でも鷲のするどい爪で押さえつけた猿の口からは悲鳴が聞こえそうですよね。

国分寺本堂です。宗派は(新義)真言宗。 空海(弘法大師)様の密教です。


・・・とてもそうは見えない・・・
(プロレスの反則技に見えてしまいました)(T_T)
こんばんは
どうみても子猿が鷲に襲われて悲鳴をあげているみたいですよね。
でも寺の山門の上にある彫刻ですからそのようなものは置かないとも思いますが・・・・。
サルの目が恐いです。反則技(目・鼻・口へ攻撃)ですよね。
彫刻も注釈がないと理解できないものです。
ありがとうございます。
> 風情のある山門ですね。
ここも国分寺の遺跡に目が行きがちですが、この山門も残された貴重なものです。
> 彫刻も注釈がないと理解できないものです。
この彫刻については案内書や権威ある人も解釈が分かれたりしていましたが、
今はほぼこちらになったようです。
理由はこの山門を補修した時に作られたり修理した時の記録などが出てきて
このような意味だと分かったといいます。
(何と書かれていたか知りませんので、何処まで信じられるかはわかりません)
でもそのような解釈を知って見て見るのもいいでしょう。
一度ご覧ください。