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柿岡曲馬団

 先日キグレサーカスの倒産が新聞に載った。
日本三大サーカスの一つが終わりを告げたのだ。
昔、テレビなどなかった時代にはサーカスの興業が地方でも数多く行われ活況を呈した。
私も小さい時に木下サーカスを見に行った記憶があり、いくつか見た記憶があるのでキグレサーカスも見たかもしれない。
またボリショイサーカスなどが来た時にも見にいった記憶もある。
 さて、皆さんは柿岡曲馬団というサーカス団を御存知でしょうか。
私は名前も聞いたことはなかったのですが、八郷町史に載っていたのを思い出したのです。
そこで、今日仕事帰りに図書館によって確認してきました。
柿岡の名前と八郷町史ですから、この地元で作られたサーカス団なのかと思いましたが、違っていました。
柿岡春二郎(本名:荒川治二郎?)が率いた曲芸団で、明治後期から昭和初期までの間で非常に大きなサーカス団だったようです。
春二郎は青森県八戸に明治4年に生まれます。
一家は祖父が会津戦争で戦死し、青森にやって来たといいます。
若い時に横浜に出て小さなサーカス小屋の番頭となりいくつかの小屋を渡り歩きます。
そして明治39年に柿岡一座(柿岡興業部)を興し、明治42年に大阪で喝さいを浴びて東京両国や浅草で興行を行って人気の一座になったといわれます。
 大正時代には大変な人気で、団員は150名以上。当時はサーカス(曲馬団)がいくつもあり、その中でも一番の人気で二番目が木下大曲馬(後の木下大サーカス)だというのですから、人気の程がわかります。
ネットで検索して、面白いものを見つけました。
古書の中にこの柿岡曲馬団の絵葉書(カード)が売り出されており、3枚で12,000円の値が付いていましたのでびっくりですね。
内容は「2頭の馬の背に3人の少女が乗って曲芸」「男性がバランス棒のようなもので片手倒立し、もう一方の手で2枚の皿回し」「団員数十人の集合写真」でした。面白いですね。
 さて、そのほかどのような出し物があったのでしょうか。
「大曲馬曲乗」「猛獣曲芸(熊)」「自転車曲乗」などの名前が載っています。
大正12年の関東大震災の時には、いち早く罹災者を慰安するためにチャリティ(2日間無料)で公演を行なっています。
その時の興業には「柿岡曲馬」「木下曲馬」「宮田洋行」「矢野曲馬団」「有田洋行会」「柴田曲馬団」「麻田洋行」などの名前がつづられています。そのトップに柿岡曲馬の名前があります。
 さて、八郷の柿岡市の名前が出てきませんでしたが、はっきりしたことが分からないのですが。柿岡春二郎は大正三年に分家して柿岡に戸籍が移ります。
屋敷も持つのですが住んでいたところは宇都宮のようです。
ただ、吉生から養女をもらっており、戦後になってこの柿岡に移ってきたようです。
またそのころは、一座はほぼ活動は終わっていたようです。
昭和29年に柿岡で死去。84歳でした。墓は柿岡の善慶寺にあり、亀の背に乗った墓石ですぐわかるようです。
zennkeiji.jpg
善慶寺は柿岡小学校(柿岡城跡)の麓にあります。写真は桜並木と善慶寺です。
 参考までにロシア(モスクワ)に行ったときに見たボリショウサーカスの写真も紹介しましょう。
borishoi02.jpg
上の写真はショーのラストに近い演技です。さすが本場ですね。観客はほぼ満員でした。
borishoi01.jpg
ボリショイサーカスの入場券を手に入れていなかったため、午前中に会場で購入しようとしたら、入口におばあさんが「良い席があるよ」と呼び込み。いわるるダフ屋ですが、正規の券は買えないので、少し高めのようでしたが、午後の券を購入できました。
友達がモスクワ大学に留学していたので会話ができ助かりました。
また、これとは別に、現地の人にボリショイバレーの公演の券を前もってお願いして取ってもらいましたが、こちらはさすがに当日に券を購入するのは無理なようです。なかなか取ることができないといっていました。
とてもすてきなバレーを見学でき良い思い出ができました。
(こちらバレー公演は撮影禁止のようです。セキュリティチェックもうるさく、持ち物などは全て預けなければなりませんでした。)

八郷地区 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/10/22 18:09
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