fc2ブログ

子安神社(2)

 今日は昨日の子安神社の続きです。
この神社の本殿の紹介をします。

koyasu12.jpg

拝殿の裏へ回ると本殿が木の枠で囲われています。
立派な本殿なのですが、かなり時代が建ったものなので雨風に耐えられるようにおおっているものと思います。

koyasu13.jpg

この本殿は江戸初期の建立といわれ、途中で建て替えなどが行なわれていないことから貴重な建物だと思います。

koyasu14.jpg

なかなか凝った彫刻が施されています。

神社の由緒としては大同2年(807年)に富士浅間神社より木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を、また鹿島より武甕槌命(たけみかづちのみこと)を分霊して祀っています。

胎安(たやす)神社は763年の創建としていますので、胎安神社の方が44年古いことになります。
また同じ木花開耶姫命ですが、胎安神社は山城国葛野郡(京都嵐山)梅宮大社より分霊しています。
また胎安神社は鹿島ではなく香取神宮の経津主命(ふつぬしのみこと)を祀っているのです。
この両者の違いは何なのでしょうか。

どうやら元は一つだったと思われる記録もあるようですが、別れてからかなり経っており訪れて見るとその雰囲気は全く違っています。

胎安神社の宮司は現在36代目らしいので数百年~1000年前くらいに遡るようです。

源頼義、義家親子が前九年の役にこの近くで宿泊しこの両方の神社にお参りしたといわれていますが、その伝わり方も少し違います。(行きは1055年、帰還は1064年の両方ともに訪れたということは両方で同じです)

胎安神社では近くの下雫村に陣をはり、義家(八幡太郎)の都に残した妻の安産を祈願して、無事安産であったお礼に「太刀一振り」を奉納したので、この義家の嫡男の誕生日9月9日を祭日としたとなっています。
(下雫村は江戸時代に秋田より移ってきた本堂氏の志筑(しづく)藩の場所が昔、下雫村であるのでこの場所に八幡太郎が滞在したという話になってしまったものと思います。胎安神社は本堂氏の保護を受けていました。)

一方子安神社では宿泊したのはこの神社の近くであり下雫村とは言っていません。
実はこの近くの石岡市正月平(しょうがつだいら)というところに、この親子が正月に宿泊したという記録が残されています。(正月平については以前地名の話として書いています。→こちら

宿泊が正月になったのでその地が「正月平」というおめでたい地名になったというものです。
当時戸数も少なく大変であったにもかかわらず、総出でもてなしたため非常に感謝されたと記録があるようです。(正確には読んでいませんので未確認です)

そしてこの時に子安神社でお祭りがあり人々が神社に集まっていたので、その由緒を聞き頼義、義家親子がこの子安神社にお参りしたといいます。そして近くの川に架かる橋が通れないのを武士たちが橋をかけ直してくれたといわれています。

この川は今は天の川という洒落た名前になっています。高浜で恋瀬川に注いで霞ケ浦に流れています。
ここに架かる橋は建て替え工事を3年以上前からやっていて(臨時のバイパス橋で通行していた)今年になってやっと通れるようになった場所です。

それほど大きな橋でもないのに時間がかかりすぎです。昔はすぐに架けてしまったのですから・・・。

今の子安神社の例大祭は3月3日に行われています。

少し話が長くなってしまいましたが、この続きはまた明日へ。

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 茨城県情報へ  ← よろしければクリックお願いします。

志筑・かすみがうら地区 | コメント(6) | トラックバック(0) | 2012/02/04 17:29
コメント
こんばんは
はじめまして。

当ブログには、コメントを頂いていながら
お礼のコメントもせずに申し訳ありませんでした。

覆屋の中の本殿の彫刻がすばらしいです。
今後も、大事にされていくと良いですね♪
タクさん
こんばんは。

いつもありがとうございます。
御朱印はいただいていません。
いつもこっそり拝見し、時々宮司さんなどがいると話を聞いたりしています。
ここも前来た時に偶然お会いしてお話しできました。

やはり興味のある情報をお持ちでした。

> 覆屋の中の本殿の彫刻がすばらしいです。
> 今後も、大事にされていくと良いですね♪

囲ってしまうと良くわからなくなってしまいますね。
じっくり見ると大変細やかな彫刻がしてありました。

コメントありがとうございました。
No title
こんばんは。
りっぱな建物ですね。
彫刻もとても凝っていますね。
昔の造りは雨風にも耐えられるように、丈夫に出来ているのですね。
ふみりんさん
ふみりんさん

コメントうれしいです。
神社仏閣も有名なところは皆さん行かれるのですが
このように忘れられたところにその地域の歴史が眠っています。

そんなところを訪ね歩いています。

> 彫刻もとても凝っていますね。
> 昔の造りは雨風にも耐えられるように、丈夫に出来ているのですね。

やはり300年ほど手を加えないと痛みも激しいです。
きれいな彫刻も多いのですが、やはりこれからも残していくには修理なども必要ですね。
ありがとうございました。
No title
いつもながら詳しい情報を有難うございます。
こういった建物には龍の彫刻がつき物なのでしょうか?
桐生の天満宮にも、これと同じような彫刻がたくさん施されていました。
あまりにもそっくりなので不思議です。
冬のデコポンさんへ
冬のデコポンさん 
こんばんは。
ケメント嬉しいです。

> いつもながら詳しい情報を有難うございます。
この記事は自分の覚書のように残した記事で、一般の方が読んでも
それ程面白くまないでしょうね。
でも読んでくれたらとてもうれしいです。ありがとうございます。

> こういった建物には龍の彫刻がつき物なのでしょうか?
> 桐生の天満宮にも、これと同じような彫刻がたくさん施されていました。
> あまりにもそっくりなので不思議です。

このような彫刻が何時頃から使われるようになったのかわかりません。
少なくても江戸時代初期頃からはあちこちで似たような彫刻はあるようです。

宮大工の世界ですから代々親方・弟子などで受け継がれてきたのだと思います。
年々このような大工が減って来るのはさびしいです。

昔のお宮などや仏像も修理をして受け継いでいかなければいけないようです。

管理者のみに表示