小幡北山埴輪製作遺跡
さて水戸偕楽園の好文亭は再開され確か明日まで無料開放だったと思うし、今日はひたちなか市の十五郎穴で奈良時代の正倉院と同じ刀子が発見された一般公開されたという。古代のロマンが広がっている。
さて、今日の話は埴輪の製作工房の遺跡です。
古墳時代に日本の各地に大規模な埴輪を製作する工房があったという。
茨城県にもひたちなか市に「馬渡埴輪製作遺跡」という比較的大規模な工房跡が見つかっており現在は公園として整備されているそうだ。
この馬渡(まわたり)遺跡は昭和44年(1969年)に国の史跡に認定されている。
今回紹介するのは、6号国道沿いに看板を見つけて立ち寄った「小幡北山埴輪製作遺跡」である。
この小幡小山遺跡は行ってみて、馬渡史跡に匹敵する大きな製作工房遺跡なので驚いた。
場所は昔の水戸街道の小幡宿に近い場所だ。
江戸時代の水戸街道は水戸の手前が「長岡」その手前が「小幡」である。
6号国道沿いに「はにわの里」という天狗納豆を売っているドライブインがあり、この少し水戸よりである。

国道からほんの少し入った場所に史跡公園としてきれいに整備されていた。
入口に駐車場もきちんと完備されていたが、この時期訪れていた人は誰もいなかった。

公園に足を踏み入れると、ご覧のようなだだ広い少し起伏のある広場に「道順」という矢印がつけられた遊歩道が続いている。
そしてところどころに木が植えられている所と少しこんもりとツツジ(ドウダン?)などでこんもりと筒状に形成したものが点在しています。
これは道順を一回りして何かがわかりました。

ここは材料の粘土を掘った場所だそうです。直径2~3m、深さが1mくらいの穴の跡が見つかったようです。
この工房が造られた理由は、ここで良質の粘土が採取出来たためでしょう。

ここは粘土で埴輪の形を作っていた小屋があったと想像されています。
1つの小屋の大きさは3.5m□、4.6mx7.4m長方形など床面積で屋根を三角形に組んでいたのではないかと言われています。
床跡から土器の破片などが見つかっています。
また近くに昔の小屋を再現した建屋が作られていたようですが、今は看板だけで建て物はありませんでした。
撤去してしまったようです。理由はわかりません。

ここに窯の模型が作られていました。のぼり窯と言うようです。

これがのぼり窯の模型の断面です。
筒状の窯の中に粘土で作った埴輪を入れ、下の方に薪などで火を焚き、内部の粘土を焼いたようです。
そして上の方から煙を出したのです。

これでやっと遠くから眺めていた時に筒状のツツジなどでつくられた者が何を意味しているのかわかりました。
このように丘の起伏を利用して斜面に窯が並んでいたようです。
全部で59個発見されていて、数では日本一だそうです。

この絵のように焼かれていたのですね。
現地案内板より
「小幡北山埴輪製作遺跡は、埴輪という焼き物をつくっていた工場の跡です。材料の粘土を掘った跡、埴輪の形をつくったり、保管しておいた建物の跡、埴輪を焼いた窯の跡が見つかっています。窯の数は59基と全国で一番多く、平成4年(1992)国の指定史跡になりました。
埴輪は人物や馬、円筒形などいろいろな種類があります。町内からはこの遺跡でつくったと思われるいろいろな埴輪が出ています。前田にある上ノ山古墳から出てきた埴輪も、ここで作られたものです。 茨城町教育委員会」
でもなんでYAHOOはこういう史跡を地図に載せないのだろう??
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さて、今日の話は埴輪の製作工房の遺跡です。
古墳時代に日本の各地に大規模な埴輪を製作する工房があったという。
茨城県にもひたちなか市に「馬渡埴輪製作遺跡」という比較的大規模な工房跡が見つかっており現在は公園として整備されているそうだ。
この馬渡(まわたり)遺跡は昭和44年(1969年)に国の史跡に認定されている。
今回紹介するのは、6号国道沿いに看板を見つけて立ち寄った「小幡北山埴輪製作遺跡」である。
この小幡小山遺跡は行ってみて、馬渡史跡に匹敵する大きな製作工房遺跡なので驚いた。
場所は昔の水戸街道の小幡宿に近い場所だ。
江戸時代の水戸街道は水戸の手前が「長岡」その手前が「小幡」である。
6号国道沿いに「はにわの里」という天狗納豆を売っているドライブインがあり、この少し水戸よりである。

国道からほんの少し入った場所に史跡公園としてきれいに整備されていた。
入口に駐車場もきちんと完備されていたが、この時期訪れていた人は誰もいなかった。

公園に足を踏み入れると、ご覧のようなだだ広い少し起伏のある広場に「道順」という矢印がつけられた遊歩道が続いている。
そしてところどころに木が植えられている所と少しこんもりとツツジ(ドウダン?)などでこんもりと筒状に形成したものが点在しています。
これは道順を一回りして何かがわかりました。

ここは材料の粘土を掘った場所だそうです。直径2~3m、深さが1mくらいの穴の跡が見つかったようです。
この工房が造られた理由は、ここで良質の粘土が採取出来たためでしょう。

ここは粘土で埴輪の形を作っていた小屋があったと想像されています。
1つの小屋の大きさは3.5m□、4.6mx7.4m長方形など床面積で屋根を三角形に組んでいたのではないかと言われています。
床跡から土器の破片などが見つかっています。
また近くに昔の小屋を再現した建屋が作られていたようですが、今は看板だけで建て物はありませんでした。
撤去してしまったようです。理由はわかりません。

ここに窯の模型が作られていました。のぼり窯と言うようです。

これがのぼり窯の模型の断面です。
筒状の窯の中に粘土で作った埴輪を入れ、下の方に薪などで火を焚き、内部の粘土を焼いたようです。
そして上の方から煙を出したのです。

これでやっと遠くから眺めていた時に筒状のツツジなどでつくられた者が何を意味しているのかわかりました。
このように丘の起伏を利用して斜面に窯が並んでいたようです。
全部で59個発見されていて、数では日本一だそうです。

この絵のように焼かれていたのですね。
現地案内板より
「小幡北山埴輪製作遺跡は、埴輪という焼き物をつくっていた工場の跡です。材料の粘土を掘った跡、埴輪の形をつくったり、保管しておいた建物の跡、埴輪を焼いた窯の跡が見つかっています。窯の数は59基と全国で一番多く、平成4年(1992)国の指定史跡になりました。
埴輪は人物や馬、円筒形などいろいろな種類があります。町内からはこの遺跡でつくったと思われるいろいろな埴輪が出ています。前田にある上ノ山古墳から出てきた埴輪も、ここで作られたものです。 茨城町教育委員会」
でもなんでYAHOOはこういう史跡を地図に載せないのだろう??


今日公開のあった十五郎穴出土品、虎塚古墳前の広場で行ったそうです。
私はいけませんでしたが行った方の話ですごい混んでいたそうです、
県外からも多数来ていたそうで、さすが新聞報道はすごいといってました( ̄▽ ̄*)
今回の出土品が見つかったのは一年以上前で、
当時すでに簡単な発表があったと思います。
まあ間違いなしが取れてからの公表なんでしょうね。
私の記事の
http://orode.blog137.fc2.com/blog-entry-97.html
発掘はここと、ここの上にあがった部分でも発掘していました。
どっちから出土なのかは判りませんが。
> 今日公開のあった十五郎穴出土品、虎塚古墳前の広場で行ったそうです。
> 私はいけませんでしたが行った方の話ですごい混んでいたそうです、
テレビで見学者の映像をみました。子供連れなどでにぎわっていました。
意外ですね。こんなにたくさん来るのも。
きっと普段は誰もいないでしょうから。
> 今回の出土品が見つかったのは一年以上前で、
kurokenさんの記事は良く覚えていますよ。曾我兄弟、虎御前ましたね。
でもこれでここが歴史的に注目されるのもいいことですね。
ありがとうございました。
古墳時代の埴輪を製作する工房があったというのは、とても歴史を感じさせる場所ですね。
数は日本一なのですね。
当時はたくさんの埴輪が焼かれていたのですね。
古代にタイムスリップしたような気分ですね。
お返事遅くなりました。
> 古墳時代の埴輪を製作する工房があったというのは、とても歴史を感じさせる場所ですね。
このような場所があちこちあるらしいのですが、あまり知られていませんね。
でも歴史の流れを知る上で貴重なところだと思います。
> 数は日本一なのですね。
そのように書かれていました。でも私も初めて知りましたた。
> 古代にタイムスリップしたような気分ですね。
古代を感じさせてくれますね。コメントありがとうございました。