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古東海道(1)

 今日は青空が広がり久しぶりに気持ちの良い日となった。
梅の花もあちらこちらで急にほころび始め、今週末には満開を迎えそうだ。
そうなると一気に春が訪れるのだが、花粉も飛び始めるのだけはどうにもいただけない。
せっかく見て下さいとばかりに花も咲き始めるのに、外を散策するのが億劫になってしまう。
困ったな。

 さて話は変わって、私の住む茨城県石岡市は常陸国の国府があった地である。
そのために、江戸時代になる前までは長年にわたって大国常陸の中心都市として栄えてきました。

しかし、現在はその栄華も単なる自己満足の呪文のように唱えるだけで、他所の人から見れば「何か変なたわごとをつぶやいている」というくらいにしか映らないでしょう。

私もこの土地に来るまで、歴史的なものに特に興味もなく、長い間隣り町に住んでいたのですが、ほとんど興味もなく、内容も全く知りませんでした。

そしてこの地に越してきてはじめて「平氏発祥の地」「茨城の県名発祥の地」などということも聞いたのです。
隣り町にいても、祭り好きが多く、馬鹿騒ぎするお祭りがあることくらいしか話は聞こえてこなかったのです。

まあここで聞いたといっても、特に印象に残るものではなく、「この町に生まれ育った人には大切なものかもしれませんがそれ程大した話ではないよね」程度です。

そして引っ越してきて1年程過ぎてから、この石岡は古東海道の終点都市だと何かで読んでから興味を持ったのです。

まして「大掾(だいじょう)氏」などといわれても、そんな名前聞いたこともないし、ましてこんな漢字は読めませんでした。
どんな活躍した戦国武将なの?と調べて見ても、茨城で活躍したのは「佐竹氏」くらいしか名前も出てきません。

何故なのでしょうか? この土地の歴史は何時消えて眠ってしまったのでしょうか。

歴史はそこに住む人たちが継続して伝え語り、遺跡を保護し、庶民の中にいくつもの伝承された話が伝わりながら作られていくものではないでしょうか。

現在NHKでは平清盛が放送されています。石岡では平家発祥の地としてこの放送に期待する声があります。
しかし、平清盛は伊勢平氏であり、その先祖をたどると平国香(くにか)や高望王になるわけですが、この人達がここ石岡に住んで活躍していたと信じられています。

この石岡は国府があったので、お役所があった場所です。
平国香の館は「石田館」と呼ばれ、旧明野(あけの)町にありました。

墓も明野(筑西市東池田)にあります。

しかし石岡の平福寺にある五輪塔の一つが国香だと石岡の人は言っています。
もっともこの頃の人は墓もはっきりしないことが多いですね。

国香が平将門に攻められて死んだのは西暦935年ですので、はるか遠い昔です。

でも色々な資料や意見を聞いて、読んでどちらが本当らしいのかとか、それがどんな意味を持っているのかなども理解していく必要があるように思います。

山岡鉄舟が臨終のときに奥様に書いて渡したという司馬温公の家訓があります。

 「金(こがね)を積み  もって子孫に残す  子孫未だ必ずしも守らず
 書を積みもって子孫に残す  子孫未だ必ずしも読まず
 しかず陰徳を冥々のうちに積み  もって子孫長久の計となさんには
 これ先哲の格言にして  すなわち後人の亀鑑なり 」

過去の遺産の上にあぐらをかいていても、財産を譲られた放蕩息子がその財産を使い果たせば何も残りません。
「陰徳」とは人のために陰ひなた関係なく良いことをなすことだと思います。

何かをやってあげた、ましてや見返りを望んで何かをするなどと言うのは陰徳ではありません。

陰徳を積めば、子孫が困った時にもまわりの人もよろこんで手を貸してくれる。これが子孫繁栄の基になるのだといいます。

私もこれからは色々な人のためになることを骨身を惜しまずに出来る人になりたいと思っています。
しかし、まだまだ生活もしなければならないし、物欲もありますので、これを実践するのは難しいです。

山岡鉄舟は貧乏を苦としていなかったようです。勝海舟に頼まれて徳川慶喜の家来として駿府に到着した西郷隆盛に会いに出かけた時には自分の刀はなく、人から借りていったとも聞いています。

でも、ここ石岡は地元発展だけを望んでもどうにもならないように思います。
まわりの市町村とも連携して、ともに発展することが大切だと思います。
まして旧市内と八郷地区など意識がまだ離れているようではだめですね。

私がこの地の歴史に興味を抱いたきっかけとなった「古東海道の終点都市=茨城県石岡市」の魅力をこの街道を調べながらわかる範囲を少しずつ書いていきたいと思います。

では次回から週に1回ずつ程度で5~6回位に分けて述べたいと思いますが、まだあまり知られていないし、こちらもわかっていませんのでさわりだけを書きたいと思います。

keyaki.jpg

1月中旬に石岡のイベント広場横にコンビニが出来ました。
ここは赤レンガ特集で載せたところ(こちら)ですが、今回地震で塀も一部崩れ、一部の建物も取り壊してコンビニができました。

keyaki02.jpg

この敷地内にあった欅の古木が2本コンビニの駐車場の中に残され、天に向かって枝がのびています。

mon.jpg

このコンビニは比較的近いので利用もします。開店前にはチラシを持って家にも来られました。

しかし、この欅の存在は他の方のブログで知りました。
笠間市の飯田で「青葉農園」をされている「ようこそ里山へ 茨城笠間・青葉って永遠」さんです。
情報ありがとうございました。こちらにも載せさせていただきました。
(このブログもリンクさせていただいています)

石岡市内にあるスーパー「タイヨー」さんにも大きな欅の木が残されています。
是非大切に残していきたいですね。

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古東海道 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2012/03/12 19:23
コメント
No title
>金(こがね)を積み  もって子孫に残す  子孫未だ必ずしも守らず
>ここ石岡は地元発展だけを望んでもどうにもならないように思います

 子孫が放蕩を尽くさないとしても業態を変えて同じ場所で繁栄を続けるのは難しい、というより出来ない相談なのでしょう。
 このコンビニの場所もかつての石岡のお大尽の一人の屋敷の一部に建ったのですね。青柳新兵衛さんも代々襲名する名前で、剣道を好み道場まで造り、もちろん息子たちにもやらせていました。私はそれら石岡の名家がまだ立ち行っていた時代に少年時代を過ごしたわけですが、名家の子供らは人がらは別として頭の回転に関してはそれなりにDNAを受け継いでいたナと想い起こされます。
 それでも同業で3代続かないのは個人の能力を超えたさだめというものなのでしょう。

 さて、この旧国分町にコンビニが出来たので国分寺を見に行ってトイレに困ったとき駆け込み処が出来てよかったですね。
 もうすぐ国分寺の花まつりが行われるのでしょうか。
忠顕様へ
こんばんは。

私は昔の繁栄を知りません。これは大昔ではなく昭和の初めの頃です。
今の石岡の町は実際はもう人口や規模から行っても昔の栄光にしがみついているように見えて仕方がありません。
良いものがたくさんあるのに磨いてそれをふくらませることが足りないように見えます。
今回の震災でもかなりのお店などがなくなりましたが、何か事を興こそうと思ってこの地に進出する人はあまりいないんではないかと思ってしまいます。

自分でも何が出来るかわかりませんが、こうしてブログくらい書いていくだけでも「この町には活気がある」と思ってもらえるほんの少しの力になれると信じています。

> 子孫が放蕩を尽くさないとしても業態を変えて同じ場所で繁栄を続けるのは難しい、というより出来ない相談なのでしょう。

放蕩は例えばなしですが、昔の醤油産業が廃れた原因を好き勝手に書いたこともあります。
景気の良い時に投資をして事業を発展させる。これが出来ていないのです。先が読めていない。
というような気がしています。

> このコンビニの場所もかつての石岡のお大尽の一人の屋敷の一部に建ったのですね。青柳新兵衛さんも代々襲名する名前で、剣道を好み道場まで造り、もちろん息子たちにもやらせていました。私はそれら石岡の名家がまだ立ち行っていた時代に少年時代を過ごしたわけですが、名家の子供らは人がらは別として頭の回転に関してはそれなりにDNAを受け継いでいたナと想い起こされます。

現在も青柳道場の看板はあります。
またクリスマスには蔵で蔵コンサート?のような催しも行っています。

> さて、この旧国分町にコンビニが出来たので国分寺を見に行ってトイレに困ったとき駆け込み処が出来てよかったですね。

ほんとにそうですね。イベント広場にきれいなトイレを作ればいいのですが。

> もうすぐ国分寺の花まつりが行われるのでしょうか。

昨年は震災の影響があり自粛して中止となりました。
4月8日に今年は桜が満開になるといいですね。
こちらに昨年の記事を載せています。
http://yotsuba23.blog104.fc2.com/blog-entry-314.html
家訓・・・深い御教えです・・・。
おはようございます。

素晴らしい遺言ですね。
代々家訓として生き続け 子孫を反映させていくのでしょうね。感じ入りました。

ダイヤモンドを磨くのはダイヤモンド。
人も人によって人となって行くのだと思いました。

単に徳を積むとか 善行を施すではなく
「陰徳」と言っていることも深いのですね。


西郷隆盛も 子孫の為に美田を残さず と言ったように記憶しています。

>私もこれからは色々な人のためになることを骨身を惜しまずに出来る人になりたいと思っています。

こうして石岡の歴史や伝統・祭事を綴っていらっしゃること自体が 大切で大きな社会貢献だとおもいます。

現在もそのことを初めて知り 学び 郷土への思いを再認識している人もいるでしょうし 後世の人への贈り物にもなります。

調べ物は膨大な時間や資料調べが必要になります。良く綴り続けていらっしゃると尊敬しています。私はいつもそのように思って拝見しております。


でも根を詰め過ぎずに ゆっくりとお願いします。


Re: 家訓・・・深い御教えです・・・。
言の葉IS 様

> 素晴らしい遺言ですね。
> 代々家訓として生き続け 子孫を反映させていくのでしょうね。感じ入りました。

こちらに来て山岡鉄舟の生きざまにも共感するところがあります。
胃がんで死ぬ間際まで書を頼まれれば数万点も書いたそうです。
そしていただいた謝礼を自分では使わず困った人に分け与えたといいます。

> 人も人によって人となって行くのだと思いました。

本当にそうですね。学べるところは年齢に関係なく学びとって成長していきたいものです。
若い時はこんなことは考えませんでしたので、逆に年とってからこのような境地がわかってくるのかもしれません。
60にして耳順(みみしたがう)なのかもしれません。

> 西郷隆盛も 子孫の為に美田を残さず と言ったように記憶しています。

これも聞いたように思います。

> こうして石岡の歴史や伝統・祭事を綴っていらっしゃること自体が 大切で大きな社会貢献だとおもいます。

わあ、とてもうれしいです。石の上にも3年と思って願掛けのように綴ってきました。
少し肩の力を抜いていきますね。
たいしたことはないんですが、続けることって結構大変ですね。

> 調べ物は膨大な時間や資料調べが必要になります。良く綴り続けていらっしゃると尊敬しています。私はいつもそのように思って拝見しております。

はずかしいですね。
こんな好き勝手なことを書いていても尊敬だなんて。
会ったらきっとがっかりされますよ(笑)

良きブロ友に恵まれましたことに感謝申し上げます!!

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