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石岡の街並み(1)

 このブログも常陸国国府石岡を中心にその周りの歴史を掘り起こすことをテーマにして続けているが、今昭和の香りが残る町としてこの都市を見ると実に興味深い。
自分の住む街をどのように紹介するかは結構難しいし、意外に気がつかないことも多い。

現在映画「 ALWAYS三丁目の夕日'64」が公開され、この地でロケが行なわれたこともあるので、少しずつ紹介していけたらと思っている。

昨年の東日本大震災でこの町も大きく被害を受けた。
現在も修理中のところや取り壊されたところなどたくさんあり、もう少し落ち着いてから紹介した方が良いとも思っていましたが、こんな時だからこそ、その姿をありのままに見ていただくのもよさそうです。

この町は明治から昭和の初めにかけて商都として発展を遂げました。
鉄道が敷かれる前は、この先の高浜の港から霞ケ浦の水運が発達し、たくさんの物資が江戸へ運ばれ、また江戸から都会の商品を持ち帰ってきてたいそうにぎわっていました。
特に醤油、酒、製糸などの産業が盛んに行われ、それに伴った物流などでにぎわっていたといいます。

そんな中、昭和4年に市の中心部である中町を中心に大火が発生し、大きな被害を受けました。

しかし、大火後の復興は早く、関東大震災後に東京で急速に広まった「看板建築」を取り入れた商店などが一斉に作られていきました。

そして、その時に建てなおされた街並みが現在国の有形文化財として登録されているのです。

私のホームページ「1300年の歴史の里ロマン紀行」にも記事を載せています(こちら

これから少しずつこれらの建物や、その他の面白そうなものなどを気が付いたら紹介していこうと思う。

今日は「十七屋はきもの店」さんの建物を紹介します。

(この写真のみサムネルです。クリックで拡大写真を表示します。)
jyuusichiya01.jpg

この向かって右側は久松商店さんで、今は店貸ししています。現在は手作り洋品小物などのお店が入っています。
その前には町おこしなどを計画した喫茶店がありましたが、撤退してしまいました。

この久松商店さんは、昭和4年に建てられた時は化粧品と雑貨の店でした。

17ya02.jpg

今日紹介したいのはその隣りの「十七屋商店」さんです。

今も昔と変わらず履物を売っています。
注意して見てほしいのはこの建築様式です。
細かな紹介が少ないので、見どころを紹介します。

私が気にいっているのは屋根の上の方のアーチ型の細かな模様です。
「ロンバルディア帯」というものだそうです。

イタリア北部のロンバリディア地方の石工が11世紀頃に初め、ヨーロッパ各地に広まったものです。
そして、関東大震災後の銀座にもとりいれられた様式名なのです。

現在も一部銀座にも残っているようですが、このクリーム色に統一されたデザインの美しさは特筆する価値があるように思います。
是非建築美術の記念としても残してほしいものです。
(銀座の建物は、銀録館(こちら)、や新田ビル(こちら)などがあるようです。
石岡でも是非このような建築様式の比較なりをきちんとやってほしいものです。)

また、持送風式の柱頭の柱型を中心に縦長の連窓を左右に配しています。
なかでも、この十七屋さんが昭和4年の大火の後に最初に復興した記念すべき建物です。

17ya.jpg

さて、お店は今も昔ながらの履物、靴などを売っていますが、あまり商品が動いていないようにも思います。
どうやって商売されているんでしょうね。

このお店もおばあさんが一人で店番しているようです。

そしてお話をよくしてくださるそうですので、昔のお話などをお聞きすればきっと教えて下さるでしょう。

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石岡の街並み | コメント(8) | トラックバック(0) | 2012/02/25 18:20
コメント
No title
二軒とも趣きがあっていいですね~。
この色使いは、当時としてはかなりハイカラだったのでしょうね。
町の建物をみると石岡が歴史ある土地だとよくわかります。
冬のデコポンさん
こんばんは。

> 二軒とも趣きがあっていいですね~。
人通りが少なく閑古鳥がないているようですが、どこか昔の香りがあり
映画のセットのような建物ですよね。
もう少し知られても良いのではないかと思っています。

> この色使いは、当時としてはかなりハイカラだったのでしょうね。
> 町の建物をみると石岡が歴史ある土地だとよくわかります。

とてもうれしいです。これからも少しずつ紹介します。
No title
昭和4年にこんな和洋折衷のモダンな建物がこんな田舎町に出来たのを、最初はたいそう関心したものでした。しかし、当時の都会の建築や、人の行き来を知ると、不思議でも何でもないとわかりました。
横浜山手の洋館は有名ですが、いずれも大正の関東大震災後に外人の住宅などとして建てられたものが残っているわけですが、明治のころから洋館はあったわけで、石岡の大火よりだいぶ前です。
 そして、石岡の人はけっこう東京や横浜に行っていたのです。私の曽祖父は石岡近郊の出身でしたが東京で活動しましたし、私の父方の祖母と母方の祖母はともに東京で学びそこで知り合ったのが父母が結婚したきっかけでした。祖母の時代は鉄道が開通していたから容易だったのでしょう。
ことほどさように想像するより石岡でも熱心な人は進取の精神を持っていたのだと理解しています。
モダニズム建築ができたのも当然なのでしょう。敬服すべきは、それを80年以上残して(修復して)きていることだと思います。
忠顕さまへ
貴重な情報ありがとうございます。

石岡は明治時代後期や大正・昭和初期にとてもモダンな建物が多く建てられたようですね。
今でも覚えておられる人も多いと思いますが、六間通りや香丸側の通り沿いに
今残っていればとてもモダンで素晴らしい建物が並んでいました。

私は残された写真で知るだけですが、今残っていればとため息が出るような建物です。
355号線などの拡張で壊されたものもあるようですが、残念ですね。

しかし、今残されている物に対する意識ももっと大切にしていかないとと思います。
商工会が中心となって補助金を入れて補修などもしたのできれいになっています。
これを維持していくのも大変なのだと思いますが、私達が後世に伝えていかなければ
いけないですね。

残念がってため息をついていてもしょうがないのでもっと知っている人も声をあげて
知らせることも大切なことだと思います。

この明治から昭和の初期の栄えていた頃もなんとか掘り起こしていければいいと思っています。
ありがとうございました。
No title
こんにちは(ご無沙汰してしまいすみません)

リンク先、面白いです。建物写真は好きなので
他の方のブログも見たりしてます。
むかーし、仕事の研修で大手町の古ーいオフィス
ビルに行ったことがあります。レンガ作りの
無骨な建物でしたが 廊下がものすごく広く、
それぞれの会社の入り口が「アパートの玄関みたい」と思った記憶が。

上部にすりガラスが入っていて、金色のペンキか
何かで会社名が書いてある。森繁さんの「社長
シリーズ」みたい。真鍮の取っ手。

今は再開発されて ないかもしれませんが
もう1度見たい建物です…
NINAさん
こんにちは。

体調、お仕事如何ですか。
夜の東京風景もいいですね。
そんな写真もそのうちに歴史となってくることもあります。

> リンク先、面白いです。建物写真は好きなので
> 他の方のブログも見たりしてます。

この銀座散歩やその他の昔の建造物の写真も歴史になっていくんですね。
今回の震災で特に考えさせられました。
石岡ももっと蔵などの写真も撮っておけばよかったと・・・。
前に赤レンガの写真を撮ったところも震災で幾つかなくなっています。

地元ももっと知らないといけないですね。

その時何でもないものが時が経つと懐かしかったりするんですね。
これからも素敵な写真いっぱい残してください。
blog拝見しました。私はこの中町商店街で育ち、そのころはこの建築物が当たり前でごく普通で、むしろ古くさくて、、といったところでした。大人になり遠くに嫁いで改めて見ると、とても風情に溢れた町だったんですね。最近はレトロな町並みとしてネットにも写真やblogが溢れ、テレビでも紹介していたりと、客観的に生まれ育った町を見ることが増えました。ひとりの元住民として嬉しく思います。来月久しぶりに子供たちをつれて里帰りです。小さいちびたちにはまだまだ分からない魅力かと思いますが、レトロな町並みをゆっくりと散歩でもしようと思います。素敵なblog、拝見できてよかったです ありがとうございます
ひさ様
こんばんは。
石岡中心部のご出身ですね。
たしかに遠く離れて見て故郷が見えてくるのかもしれません。
またこちらに来られるようですのでその今の姿を感じて下さいね。
来週月曜日のNHKもきっと懐かしい風景が出ると思います。
(鶴瓶の家族に乾杯)
私はこちらの出身ではないので客観的に見られるのかもしれません。
素敵なところですよね。

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