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石岡の街並み(2)

 茨城県石岡市には国の有形文化財に指定された昭和初期の建設(昭和4~5年頃)の看板建築という店舗兼住宅が数多く残されています。

その多くが昔の水戸街道(陸前浜街道)が石岡市街を通りぬけていた通り沿いに建っています。
現在はこの通りは電柱を地中化してスッキリとした趣のある街並みとなっています。

5~6年まえくらいでしょうか、この通りにはいわゆるアーケードが歩道の上にありました。
しかし、汚れも目立ち鳩なども住みついたりしていたために、色々反対もありましたが撤去されました。

そして青空が広がった通りを見渡したら、この看板住宅のみごとな建造物に光がさしたのです。
そして、国の有形文化財として順に指定を受け、一部のお店も改装をしてきれいになりました。

しかし、まだ比較的知られるようになったのも比較的新しいので一般には浸透していません。

こらから少しずつ知られてくると思います。

市としても歴史の宝庫でもある常陸国府とともにこの街並みも保護しながら整備していってほしいと思います。

観光地としてはまだまだ設備も不足しています。駐車場の整備、景観にマッチした公衆トイレの充実、観光案内地図の整備、観光施設での英文併記パンフレットや携帯への音性提供サービスなどいくらでもやらなければいけないことは山積しています。

今はまったくまだよちよち歩きの赤ん坊程度しかありませんが、こうして少しでも知っていただける人が増えてくれば若者も立ち上がってくれると思っています。

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 電線が地中化され、アーケードを撤去した石岡中町商店会(旧355号・旧水戸街道)

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 看板建築(国の有形文化財)の店舗(向かって右から福島砂糖店・久松商店・十七屋履物店)

今日はこの有形文化財には登録されていないお店ですが、昭和ロマンの香りのするお店を一つ紹介します。

sibanoya.jpg

昨日の久松商店・十七屋商店の通りの反対側の一角にあるお店です。
向かって左は晃玉人形店ですが、今はいつもシャッターが降りてしまっています。
その右側の「しばのや」さんが今日の紹介するお店です。

sibanoya_20120225191850.jpg

さて何屋さんでしょうか?
お酒、塩、タバコ、切手、食料品など昔の専売の品物が多いようです。

覗いてみると間口に対して奥行きは長いお店です。間口の3~4倍はありそうです。
本職というのは酒屋さんのようです。

sibanoya02.jpg

そして、昔懐かしいような不思議なものがたくさん売っています。

sibanoya03.jpg

地ビールというものが置かれていました。
さて地ビールなんてあまり聞かなかったのですが・・・。
「HITACHINO NEST BEER」と書かれている瓶でフクロウのマークが入っています。

お店の入口にあったフクロウのマークです。

このビール調べて見るとすごいですよ。
世界で一番売れているクラフトビールで、木内酒造さん(那珂市鴻巣)と言うところが造っているそうです。

またキリンの「ハートランドビール(ベルギービール)」の緑色の小瓶もおかれているようです。

また清酒「筑波」も美味しいお酒として名が通っています。こだわりのものばかりありますね。
このようなお店があることも知りませんでした。

sibanoya04.jpg

お店の中に入って写真を撮らせていただきたいとお願いしましたが、「店の中は撮らないでください」と断られてしまいました。

残念ですが表からみえる部分だけ紹介させていただきました。

さて、このお店が何時頃からあったのかは知りません。

でも昔の地図を見ると「活動常設 第二国文館」という映画館が近くにあったようです。
この映画館も昭和30年代まであったようですが、昔の方なら知っておられるでしょうね。

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石岡の街並み | コメント(16) | トラックバック(0) | 2012/02/26 17:07
コメント
No title
このように個人の商店が今でも残っているのはとても嬉しいです。

こちらでも大型店舗ができた地域では個人の商店が
店じまいせざるを得なくなっています。

もう一度このような昔ながらの街に返って欲しいと思いました。
自分の住む地域で買い物をして、地域が活性化するようにしたいですね。
No title
「間口に対して奥行は長いお店」は自家用車の無い時代は皆そうです。京都では間口税があったそうですが、常陸の国ではどうだったか知りまん。歩きで来る客をさばくには都合がいい形だと思います。
 そうした店が無くなった跡地が細長い空き地や駐車場になって石岡の街中に沢山ありますね。

「しばのや」に行ったことありませんが、典型的な昔の酒屋ですね。酒類販売店は設置規制があるので「徒歩の時代」には競争相手の心配はなく、経営危機に陥ったことはない、すこしは新しい商品を加えるが特にそれを柱にするような工夫もない、店構えはお客さんのことを考えるより、自分がやりやすいように荷物を雑然と積んでおく…そんな「ありえへん」店は外から来た人には珍しいものに映るんでしょうが、石岡の人は行きません。
逆に、店を新装した、例えば冷…酒店もお客さんは来ません。この両極端が同じ現象になるのは何故か、は石岡再生の研究課題の1つだと思うの
ですが。
日本全体が観光立国を目指す先駆けを地方から、という意識でまじめに考えてやれればいいと思うのですが。そうでないといずれ隣のお店同様の運命ですね。しばのやだけの問題ではないです。
冬のデコポンさんへ
冬のデコポンさん

こんばんは。

> このように個人の商店が今でも残っているのはとても嬉しいです。

どこも生き残りは厳しいですね。
でも何とか商店会も維持していってほしいものです。
大型店舗が出来ると皆そちらに流れていきます。

> こちらでも大型店舗ができた地域では個人の商店が
> 店じまいせざるを得なくなっています。

やはり工夫をしていかないと生き残れないですね。
特にこの辺りは人口が減っていく地域ですから難しいのもわかります。
何とか外から集客をできる魅力をつけてほしいと思っています。
忠顕さまへ
こんばんは。

> 「間口に対して奥行は長いお店」は自家用車の無い時代は皆そうです。京都では間口税があったそうですが、常陸の国ではどうだったか知りまん。歩きで来る客をさばくには都合がいい形だと思います。

京都の話は聞いていますが、この地にきて細長い敷地に驚きました。
きっと同じ意味合い(間口税)があったように思います。

今の人口構成では石岡市街地の衰退は目に見えています。
行政も、地元商店会や青年会などもきっともっと目を外に向けなければいけないのに
内向きな話題に終始しているように見えて仕方がありません。

でも、他所から来ると魅力的なものがたくさんある都市です。
やりようはいくらでもあるのにという声が外部の人から漏れ聞こえてきます。

本当に何とかしたいですね。

昔ながらの通りごとに別々に商店会があり、それぞれに会長さんなどがいるようです。
中町商店会、金丸商店会、寺通り商店会、香丸商店会、・・・・
これでいいのでしょうか。
束ねるために商工会がありますが・・・。あまり期待できない・・・。
No title
こんばんは。

昭和ロマンの香りのするお店は懐かしいですね。
大型店舗がたくさんできて、今では人々がそちらに流れていき、閉店するお店も多くなりましたね。
全国にこういうお店がまだまだ残っていてくれると良いですね。
ふみりんさん
こんばんは。

> 昭和ロマンの香りのするお店は懐かしいですね。
> 大型店舗がたくさんできて、今では人々がそちらに流れていき、閉店するお店も多くなりましたね。
> 全国にこういうお店がまだまだ残っていてくれると良いですね。

なんとか少しでも元気に続いてほしいですね。
生活地だった街
自家用車が決定的に生活を変えたような気がします。それ以前は、住宅地とか商業地という区別は少なくとも石岡にはありませんでした。「生活地」があったのです。みな町内で商売をし、住む人が町内で買い物をしました。冷蔵庫も一般家庭には無かったので、毎日夕方買い物にゆきます。町内には日常必要な食料の店は全てありましたから、よその町内で買うことは「仁義」に反する気風さえありました。
 毎日は必要でないもの、は市内に数軒しか無い店もありました。
 書店:タカギと近清
 おもちゃ:カギヤ
 餡:(名前は忘れました、国分町に1軒)
 ・・・
何が言いたいかといいますと、すでに数十年前から「生活地」は消滅して住宅地と商業地は別になり、かつての石岡の町にあった商売する店は、同じ形態では在り得ないということです。形にノスタルジアを見たい人は外部から来ます。住む人との関わりではなくなっています。当たり前ですね・・・
No title
ROMAN様
本日法事があり日帰りしました。
だめもとで直売所に行くと、驚いたことに開いていま
した。しかもお客さんが何人か。
納豆買占めさせていただきました。
ついで石岡カフェも覗きましたが、メニューがとても
充実しており、こちっらもお客さん多数。街中雛巡り
のお客さんも結構見かけました。やる気感じました。
うれしかったです。
でも他方、戦前からの街や店舗の作り見ると、
懐かしい反面、今時のビジネスには脆すぎる
とも思えます。それでも100年店がいくつも
ある、という稀有な街の価値をどうするのか、
また眠れなくなりそうです。
Re: 生活地だった街
忠顕さま

お便りうれしく拝見しました。

何処にも言えることではありますが、当たり前にあった日常は変わっていますね。
そして、郊外型の駐車場の広い大型店に人が集まり、僅かな人たちでまだ町や商店会が
維持されている状況ですね。

駅前通りの人の通行人の数もここ10~20年前から見ると半数くらいになっています。
町に残された人、この町で育った人はきっと昔が懐かしく、あまり他所から人が入ってきて
変わってほしくないという気持ちもよくわかります。

高喜がなくなり、西友が撤退して、人の流れがなくなりました。

やはりこれに代わる人の流れを生み出さねば町は機能を失う様に思います。
そうなった時には遅いでしょうね。

町は色々に姿を変えながら変わっていかないといけないのだと思います。
変わってはいけないものをしっかり見極めることも必要だと思います。

今は昭和の面影を残す特徴のある町が出現しました。これもアピールして隣りに新しいものが
出来てきてもいいのではないかと思っています。

>  毎日は必要でないもの、は市内に数軒しか無い店もありました。
>  書店:タカギと近清

タカギは廃業していましたが、今建て物を取り壊しています。これは震災の影響で建物の維持が出来なくなったようです。
昔の思い出は一つ消えました。モリコーの建物も古いので時間の問題でしょう。

>  おもちゃ:カギヤ

カギヤは楽器店とおもちゃ部門があったようですが、おもちゃは「ピノキオトーイ」という店になっていますが、入口にゲーム機が置いてあり、子どもたちが時々集まっています。
でも、これも元気はないです。

>  餡:(名前は忘れました、国分町に1軒)

こちらはわかりません。

> 住む人との関わりではなくなっています。当たり前ですね・・・

やはりそうなんでしょうね。多くの昔から住む人にとっては外からの人を受け入れるのには抵抗があるのかもしれません。

でも今は人が動かないと年寄りだけの町になってしまいます。

大学誘致、工場誘致、住宅地の開発など色々な手を打たなければいけないようにも・・・。
新しい産業を起こす企業を探す・・・。なかなか難しいですね。
行徳様
こんばんは。

こちらに来られていたんですね。
現在雛巡りでお客様が増えてきているようです。
それほどは多くないのですが、それでも地図のついた案内パンフをもって
年配のご夫婦などがウロウロしています。
今回また見直してみたのですが、いよいよ昭和ロマンのまちとして売り出しても
面白そうに思えました。
駅前の通りに
「いらっしゃいませ 昭和ロマンの町 石岡へ」
「お帰りなさい。 心の故郷へ」「お雛様がお待ちです」
などと大きく横断幕を掲げ、色とりどりの旗を通りに並べるべきですね。

また各新聞社、NHKなどにイベント情報を投げ込みPRすべきです。
なんでやらないのでしょうね。ツイッターも利用したいですね。
コンセプトをもっと早くから観光協会でもねって欲しいですね。

どうですか? 面白くなりそうですよね。
いろいろありがとうございます。
No title
ROMAN様
第二国分館は私達の世代でもすでに伝説でした。
跡地の認識はあったと思います。
現役で通ったのは富田のあたり。今性格な場所は
思い出せませんが、ここで東宝の怪獣物や
戦争物を多々見ました。

当時の石岡って、街のあちこちに独立した商店街
があり、駅前から石小に至る中心部には公共機関
が配置されており、歩ける範囲で一通りの用が
足りる理想的なコンパクトタウンでした。

今すんでいる所もお歩ける範囲で映画館や、役所
やスーパー、商店がありまして、結局人間が
必要なのはこんなもの。なんで石岡がここまで
なくなってしまったか。哀しいです。
ウィスキー一本夕方買えない駅前商店街というの
は、、、、。
映画館
行徳さん
貴重な情報ありがとうございます。
昭和32年ころの石岡には映画館が2軒あったようです。
国文館と東宝と書かれていたものを見たことがあります。
今は大分映画も復活してきましたが、廃れてしまった時期がありますね。

> 当時の石岡って、街のあちこちに独立した商店街
> があり、駅前から石小に至る中心部には公共機関
> が配置されており、歩ける範囲で一通りの用が
> 足りる理想的なコンパクトタウンでした。

そのことが今は意識の上で禍しているようにも思います。
街中アンケートをとると市街地に生鮮食料品を売るところがないとよく言われます。
でもそのために「あきんど配達便」今回の「野菜直売所」などのアイディアが出るのですが
実態はうまくいっていません。
スーパー「タイヨー」の一人勝ちです。
ここも撤退の話がありましたが、最近また元気です。
国府小がなくなりそうです。駅の鹿島鉄道跡地は市が買ったようです。
市役所を何処に建てるか色々検討中だといいます。
でも駅の橋上化もやれば費用がかかり市の財政が持ちません。
>
> 今すんでいる所もお歩ける範囲で映画館や、役所
> やスーパー、商店がありまして、結局人間が
> 必要なのはこんなもの。なんで石岡がここまで
> なくなってしまったか。哀しいです。
> ウィスキー一本夕方買えない駅前商店街というの
> は、、、、。
No title
収入証紙「売りさばき所」って
冷静に考えるとすごいネーミング…
No title
電線が地中化してるのを
初めて見ました。
やっぱり景色が違いますね。
NINA27さん
> 収入証紙「売りさばき所」って
> 冷静に考えるとすごいネーミング…

こんなところがこの石岡という商都であった誇りなんでしょう。
今では外から来た人は笑ってしまうものばかり・・・・。
この張り紙だって石岡市となっていますから昭和29年以降です。
テンスタさん
おはようございます。

> 電線が地中化してるのを
> 初めて見ました。
> やっぱり景色が違いますね。

今では閑古鳥が鳴いてそうな地方都市で時々見かけます。
この辺りでは少ないですね。
銚子や栃木県の馬頭なんかも地中化されていました。
景観はスッキリしますね。でも景観法が成立していないんです。

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