石岡の街並み(4)
今日は雪が降り、やっと少し暖かくなってきたところでしたが、また春が少し遠ざかってしまいました。
水戸の梅もまだもう少し先でしょうか。
今年は茨城は梅の花は3月半ば頃になってからが良いようですね。
先日昔あった映画館のことを書いたら早速情報を教えていただいた。
国文館は「すがや」の横の道をスーパータイヨーの方に少し入った右側の水交館の左の空き地になっている場所あたりで、もうひとつの東宝は金丸町にあったそうです。
実は映画館のことを少し書いたのには理由があって、この石岡の中町通りを歩いていた時に下記の看板を見つけた。

「ぱれっとシネマ1・2」とあり、ここに昔上映されている映画のポスターが貼られていたのだろう。
ところで、このぱれっとシネマは6号国道沿いにあるジャスコ(現イオン)の中に1987年から2008年4月頃まで上映されていた映画館だ。
主に子供向けの映画が多かったようだが、撤退してもう4年近くになる。
この看板はおそらくその時からそのままなのだろうと思う。

場所は中町のメイン通りで、江戸時代には矢口家の本陣のあったすぐ近くである。
このシャッターもきっと4年間下ろされたままなのかもしれない。
何となく気になってしまったのである。
ではここから近くに並びにある建物を少し見て見よう。

国府三丁目の信号のそばに4軒のお店が並んで建っています。
向かって左から「玉川屋本店」「石岡将棋会館」「ヤマモト時計店」「石岡富国社」

玉川屋本店・・・甘納豆などの豆菓子中心のお店

吉田くつ店・・・今は「石岡将棋会館」です。正式な将棋大会なども行われています。

富国社・・・農業用機械販売です。建て物とイメージはあいません。
でもミニュチアセットでも作りたくなるような建物ばかりです。
場所は国府三丁目の信号のすぐ近くです。(地図は「石岡の街並み(3)」の記事に出ています)
昔はこの信号から曲がっていくと「国文館」の映画館があり、総社の下の入口(宮下)へつながっていたのですね。
今は途中にスーパー「タイヨー」があり、大きな欅の木が残っています。
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水戸の梅もまだもう少し先でしょうか。
今年は茨城は梅の花は3月半ば頃になってからが良いようですね。
先日昔あった映画館のことを書いたら早速情報を教えていただいた。
国文館は「すがや」の横の道をスーパータイヨーの方に少し入った右側の水交館の左の空き地になっている場所あたりで、もうひとつの東宝は金丸町にあったそうです。
実は映画館のことを少し書いたのには理由があって、この石岡の中町通りを歩いていた時に下記の看板を見つけた。

「ぱれっとシネマ1・2」とあり、ここに昔上映されている映画のポスターが貼られていたのだろう。
ところで、このぱれっとシネマは6号国道沿いにあるジャスコ(現イオン)の中に1987年から2008年4月頃まで上映されていた映画館だ。
主に子供向けの映画が多かったようだが、撤退してもう4年近くになる。
この看板はおそらくその時からそのままなのだろうと思う。

場所は中町のメイン通りで、江戸時代には矢口家の本陣のあったすぐ近くである。
このシャッターもきっと4年間下ろされたままなのかもしれない。
何となく気になってしまったのである。
ではここから近くに並びにある建物を少し見て見よう。

国府三丁目の信号のそばに4軒のお店が並んで建っています。
向かって左から「玉川屋本店」「石岡将棋会館」「ヤマモト時計店」「石岡富国社」

玉川屋本店・・・甘納豆などの豆菓子中心のお店

吉田くつ店・・・今は「石岡将棋会館」です。正式な将棋大会なども行われています。

富国社・・・農業用機械販売です。建て物とイメージはあいません。
でもミニュチアセットでも作りたくなるような建物ばかりです。
場所は国府三丁目の信号のすぐ近くです。(地図は「石岡の街並み(3)」の記事に出ています)
昔はこの信号から曲がっていくと「国文館」の映画館があり、総社の下の入口(宮下)へつながっていたのですね。
今は途中にスーパー「タイヨー」があり、大きな欅の木が残っています。


「矢口本陣」のことはどこかの記事に書かれているのかもしれませんが、石岡では知られた名家です。表通りのパン屋さん「ヴィオレ」もこの矢口さんが昭和40年代に始めました。石岡にはそれまで本格的に窯を持つパン屋さんは皆無だったのでたいそう評判になったものです。各所に支店も出しましたが駅前の西武(?)は廃業になって撤退。
パン屋を始めたわけは「お前なんかはパン屋にでもなっちまえ」と人に言われたから、と衒いと冗談で言ってました。
矢口家に限らず古い家は立派な庭を持っている家が少なくありません。例の細長い敷地の中にも必ず庭があります。御影石を文様に敷いてあるのが明治以前の造りなのでしょうか、必ず石畳があり池があり、もちろん珍しい植木があり、という庭です。それらの庭を見られれば石岡を見直すもうひとつの魅力になるのですが、おそらく個人宅ではほとんど無理…でしょう。
自分にはケーキ屋にも見えてきました (^^
石岡の町並み、レトロな感じがいいですね。
というおっサレーなものを売り出してくれた当時最も
モダンを感じたお店でした。当初2Fがカフェだったのではないでしょうか?
こんばんは。矢口家もパン屋さんの裏側に隠れてしまって庭など見られませんね。
水戸信用金庫側の駐車場から家の構えくらいが見えるだけです。
中を見ればきっと優れた庭もあるのでしょうね。
昔(江戸時代?)この矢口家のとなりに「天王社」という神社があったそうです。
中町の中心となる神社で、ここで行なわれていたとされる祇園祭が石岡の祭りの原点だという人もいます。
何処の祭りも姿を変えながら、大きくなったり、廃れたり・復活したりしています。
古きを守ることも大切ですが、時代に合わせていく対応力も求められているように感じています。
やはり呼吸をしていかないと西友や石岡信金、高喜などのように少しずつ歯が抜けていってしまうのでしょう。
商工会議所はどうしたいのかな~。姿が見えない。よそ者なんか目に入らないみたいに思えてしょうがない。
今日もコメントありがとうございました。
> 富国社、農業用機械販売店には見えないですよね。
> 自分にはケーキ屋にも見えてきました (^^
名前からして出版社か新聞社のようなものかと思っていたんです。
でも中を覗いたら何やら農業機械用の道具小物などが置かれていましたよ。
たしかにケーキなら美味しそうなお店ですよね。
> というおっサレーなものを売り出してくれた当時最も
> モダンを感じたお店でした。当初2Fがカフェだったのではないでしょうか?
今でもおしゃれな感じのパン屋さんですよね。
モダンなパン屋さんの先がけのようなお店だったのですね。
確か何曜日か忘れましたが、割引の日があったような気がします。
この一角まんまラーメン博物館にしたいですね。
わざわざ作らなくても、まんまこれがあるのです
から。
亀有帝釈天前の参道も、そのままで寅さんワールド
ですね。
このあたりに駄菓子屋さんがあってもよいのではとも。行徳では駄菓子屋さんコンスタントに
流行っています。
ラーメン屋さんも通りに並ぶと人が集まるのですよね。
朝日屋さんも1軒ではなく競争するくらい数が集まれば
流行るんです。行列ができるのも時間の問題。
> このあたりに駄菓子屋さんがあってもよいのではとも。
やはり何かコンセプトが足りないかも・・・。
味噌専門、薄口醤油、醤油とんこつ、つけ麺と
並べれば楽しいですよね。
ラーメン博物館は色々食べたいお客さんのために
各店小盛を出しています。駄菓子屋もあります。
中町のここで小盛4杯食べて、駄菓子屋で遊んでラムネ飲むとか楽しそうです。駄菓子屋さんは肉無し
やきそばとかもんじゃとか置くと泣けますね。
これはまさに三丁目の夕日ですね。
こんな町造りもいいですね。
住んでみたいと思える姿を求めていくと
きっとそんな町なのかもしれません。
夢を追いかけていきたいです。
去年のお祭りとときと、今回の帰省の時と
外からのお客さん増えているように見えました。
この皆様にどうリピーターになっていただき、更に御新規様を呼び込んで頂けるか、商売としては当然考えるべきことでしょう。
観光旅館の冷蔵庫にはソフトドリンク、酒が置いてあり、旅館の収入の重要な一部ですが、今や石岡は午後6時、旧市内で酒買うのも難しい。
これは生活困難地域でしかありません。やっぱり帰りたい帰れないかなあ、、。
> 外からのお客さん増えているように見えました。
少し今回の雛まつりはお客さんも増えたのかもしれません。
でもまだまだ閑古鳥状態の時もありますから、いろいろ勉強して今後につなげていただきたいですね。
この祭りの主催元は「石岡市商工会議所」だそうです。
でも祭りを盛り立てているのは違った人達のように思います。
そのように盛りたて役がいるので少しでも来ていただける人が増えたのでしょう。
> 観光旅館の冷蔵庫にはソフトドリンク、酒が置いてあり、旅館の収入の重要な一部ですが、今や石岡は午後6時、旧市内で酒買うのも難しい。
でも昼間なら売っている所もありますね。夜はお客さんがいないしまして観光客も来ない。
鶏と卵の関係かもしれません。どこかに仕掛けが必要なのでしょうね。
通りを歩く人の数が今の2~3倍に増やす必要があります。
内部の人だけでなくまわりから集まってくる工夫が必要でしょう。
西友やコーキがあった時はそれなりに人が多かったように思います。
> これは生活困難地域でしかありません。やっぱり帰りたい帰れないかなあ、、。