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安居千日堂

 少し昔の子供の頃の話が続きましたので、このブログの元のネタに戻ります。

本当は古東海道のネタを書いていきたいのだけれど、その前に少し他の記事を混ぜながら進めたいと思っています。

今日は笠間市安居にある「千日堂」を紹介します。

何故このお堂を取り上げるのかと言うと、私が書こうとしている古東海道にこの辺りの土地が関係しているのです。
「安居」は「あご」と読みます。

私のいる石岡が常陸国の国府があった土地で、常陸国は律令制の敷かれた時代に東海道に属する国の最北(最東)の国になりますので、その時代に作られたといわれる古東海道は各国の国府を最短距離で結ぶように作られていたようですので、その終点は国府「石岡」と考えられます。

しかし、それからしばらくしてから(900年代前半)書かれた「延喜式」には16km置きに馬を常駐させていた場所(中継場所)駅家(うまや)の名前が載っているのですが、石岡が終点ではなく、常陸府中(石岡)の次の駅家が「安居(安侯)駅」で水戸の「河内駅」へ続いていたのです。

そしてそこから海岸線沿いの道と美和や鷲子などの方を通る道に分かれ、「東山道」と合流して仙台の先の多賀城まで続いていたのでしょう。

それを証拠つけるのは石岡からこの安居へ向かう途中に「五万堀」という土地がありますが(小美玉市)、ここで古代官道の跡が見つかっています。

この五万堀や納場、また近くにある「泥障塚古墳」などの名前は源義家が奥州征伐の時に通った道であることを示しているようです。そんなことを考えていくのも楽しそうです。

今日はそんなことを考えながらこの千日堂を見て見ましょう。

石岡から県道52号線(石塚街道)を進むと、前に白鳥などを紹介した「池花池」(こちら)があります。
その池の西北側が五万堀地区になります。

そのまま街道を進むと納場、安居、下安居となります。

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恐らく昔の駅家(うまや)は涸沼川の手前のこの地区近くではないかと漠然と考えています。
何も調べていないのでわかりません。
それにしてもバスは走っているようですが、1日に何本もありません。

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千日堂への入口はこの街道の十字路の信号のところにあります。なかなか形のいいお堂です。

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お堂の入口わきに「市指定文化財 安居灯籠念仏」の石碑が建てられています。

笠間市のHPより説明文をそのまま掲載させていただきます。

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「新仏の往生安楽を祈って行われる古くから伝わる盆行事である。記録によれば寛文年間(1661~1673)より千日堂前庭で念仏供養を行い、近郷53か村1200戸の念仏道場として盛んであったという。

戦後中断されていたが、昭和50年に念仏講並びに地区内の有志の方々(念仏講の法眼様と地区の中老様)の依頼により、青年会が中心となって保存会が結成され再開されて今日に至っている。

 笛と太鼓、鼓の奏でる音曲に合わせて新仏の年齢や地位に応じた讃が唱えられる。
また、讃の前後には「南無阿弥陀仏」が唱えられるという特徴がある。

 かつては13日に菩提寺の妙行院で「笠ぞろい」をして、讃歌と新仏迎えの念仏が唱えられた。
15日、16日の晩、千日堂に勢ぞろいした念仏衆は、高燈籠を立てて待つ新仏の家に「道行き(流し)」と呼ばれる曲を奏して行進する。高灯楼を囲んで庭念仏と讃歌が唱えられる。

現在は千日堂に新仏の位牌を祀り、遺族を招いて「寄せ念仏」という形式で行われている。」
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まあ、350年前頃より、近隣の53か所の村が集まり、念仏道場としてこの千日堂が造られ継承されてきたようです。そしてお盆に新盆の家の供養が行なわれてきたのです。

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千日堂の名前は、寛保年間(1741~44)に庵王弁的という僧が千体の仏像を彫り祀ったために、千日堂と言われるようになったそうで、現在でも890体程の仏像が残っているそうです。

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古東海道 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2012/03/15 20:41
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