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諭吉通り

今日は朝、娘たちを成田空港まで送って行った。
昨夜は早めに寝たが、気になったためか目が覚めたらまだ午前三時前。
六時まで時間があるので、又寝ればよいのだが、考え事をしていたら眠れなくなってしまった。
おかげで、寝不足であまり調子が良くない。
今日は早めに寝よう。明日は寒波がやってくるというので、日本全国雪の便りがあるが、まだ10月である。
もう少し気候の良い秋を満喫したいものだ。
 125号線を美浦村の少し先から成田方面に曲がって真っ直ぐ行くと国道408号線となる。
その街道に標識があり「長豊街道」と書かれている。
長豊は国道408号線が利根川に架かる橋にこの名前が付いているので、この辺りの地名であろう。
しかし、ここで気になったのはのこ街道の名前の下に「諭吉通り」と併記されていたことだ。
はてさて、これは福沢諭吉のことであろうが、この地に何の縁があるのだろうかと気になった。
調べてみると明治5年に印旛県長沼村(現千葉県成田市長沼)で起きた「長沼事件」が関係していることが判った。
江戸時代には、年貢を納めて長沼(ひょうたん型の大きな沼)での漁業権を得ていた長沼村であったが、周辺の村の申請で沼が国有化されそうになった。村の代表たちは必死に漁業を続けていけるように県に訴えたが非常に窮地に陥っていた。
その時ふと手にしたのが福沢諭吉の「学問のすすめ」であった。
その内容に感銘を受けて、諭吉に直接あって窮状を相談したところ、諭吉は請願書の起草や直接の働きかけなどを行なって、官有地ではあったが、村の借地権が認められた。その後さらに活動を続け、明治30年には村に無償払い下げが下されたのである。
地元の人達は、これにより、福沢諭吉への感謝を忘れず、大正7年に「長沼下戻記念碑」を建立したという。
今は干拓がすすみ、豊かな水田地帯となっているそうである。
 やはり、このように道路に名前を付けただけでも、こうして興味を引いて調べてみる人が出るのである。
石岡も街道の名前などを是非工夫してほしいものである。

街道その他 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010/10/26 20:02
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